いしだちゃんを偲んで
『いしだちゃん祭り』というお笑いライブがある。
東京お笑いライブに精通している方ならば一度は耳にした事があるはずの、日本屈指の老舗ライブだ。
第一回はなんと1989年(平成元年)。
主催は作家・ライターの石田伸也さんだ。
なぜ石田さんがお笑いライブを主催しているのか。その経緯はいしだちゃん祭りのホームページに書いてあるので引用する。
第1回は1989年(平成元年)8月27日日曜日。SNSはもちろん、インターネットも携帯電話も普及していない頃の第1回だ。街には米米クラブの「浪漫飛行」やWinkの「淋しい熱帯魚」やプリンセスプリンセスの「世界でいちばん熱い夏」が流れていたし、バブル景気の真っただ中でもあった。そもそも第1回は「8月にクリスマスパーティーをやろうぜ」という、いかにもバブリーな僕の思いつきにより始まったもので、客席はすべて友人たちであり、その余興として2組の芸人を呼んだに過ぎないのだ。
時代を感じる話だ。そして、そのパーティーが次第にシリーズ化していく。
これに調子に乗って同年の10月1日、自分に誕生日に芸人枠を4組に増やしたことで祭りの骨格が作られていく。ここに早くもバカルディ(さまあーず)と金谷ヒデユキがいて、数年に渡ってレギュラーを務めてくれたことは大きな分岐点となった。
つまり、パーティーの『余興部分』が拡大していって、いつしか余興がメインになった結果お笑いライブという形式になったという、かなり稀有なライブなのだ。
始まりがこういった雰囲気なので、他のライブには無い"少しバブリーな雰囲気"がこのライブの持ち味だ。例えば、
・お笑いだけでなく、歌手の方がゲストで出演される事。(純烈さんや、斬波さん、原田真二さんが来られた事もあった。)
・MCは石田さんとグラマラス系のグラビアアイドルの方が務める事。(最近は和地つかささん)
・毎回見た事ない企画をやる。
・芸人のお弁当が必ず用意してある
と言った感じだ。
我々は2015年頃から毎回祭りには呼んでもらっていた。
このライブは音楽のお客様もいて客層が独特で、尚且つ持ち時間は8分という芸人としてはとても勉強になる舞台だったので、殆ど参加させてもらっていた。お弁当もあったし。
石田さんは芸人を招いた打ち上げを毎回開いてくれていた。なんでも、昔からの慣例らしい。
一度だけ参加して、前述のいしだちゃん祭り開催の経緯を聞かせてもらったり色んな話をした。
会が終わる頃には少し酔っ払った石田さんが僕の事を
「僕の事をわかってくれるのは出井ちゃんだけ」「僕の右腕」
と言っていた。落ち着いているのに調子の良い、不思議なおじさんだった。
2月7日。三福エンターテイメントがいつにも増して低い声で電話してきた。
石田さんが亡くなった。
あまりに突然の知らせだったので動揺した。体が悪いという話は聞いていなかった。
数日後の葬儀に参列した。パーマ大佐や、Gたかしさんなどの常連メンバー、スタッフさんなどが会場に居た。
石田さんの遺影は、祭りに参戦してきた名だたる先輩芸人さんや、出版社などから送られた花で埋め尽くされていた。
棺に花を入れて霊柩車に乗せると、外は東京には珍しく激しい雪だった。
霊柩車が走り去った後、ヤーレンズと三福の三人で、傘を差して石田さんの話をしながら駅まで喪服で歩いた。
あんな事があった、こんな事もあったと話しながら歩いていてふと、自分がいなくなった時こうやって誰か話してくれるのかな、なんて事を思った。
「ライブがやりたいな。」
という話になった。せめて一回なのか、続けるのかは分からないが、諸々の折り合いがついたらライブをやりたいな。
それが『三福ちゃん祭り』なのか、『出井ちゃん祭り』なのか、『楢原ちゃん祭り』なのか、はたまた『パーマ大佐ちゃん祭り』なのか分からないけど、やろうと思う。やらないとな。
まあ、俺『右腕』だしな。
以前書いたら喜んでくれた石田さんの本の感想noteを載せておく。
石田さんのご冥福をお祈り致します。
沢山ライブに呼んで下さり、ありがとうございました。
コーヒーが飲みたいです。