確かに、なんならそれこそアレみたいな感じですよね

メンタル強者のフリして実は一番自分が周りからどう見られてるか気にして良い人に思われるようにロールプレイをして自分の中に物を詰め込もうとしない人は、悪い人ではないんだけれど深く付き合おうとは思わない

なまじオリジナリティ出そうとして肩書きやステータスとかノリで色味を出そうとしてくる人ってなんであんなに居心地悪く感じるんだろう

シャニカマ(斜に構えてる)ぶったりしてみたり、周りから個性があると思われたくて切り貼りの知識で頑張って
それでも思った通りの人格に見られてないと勝手に拗ねて周りの人間を損切りする

面倒なのがこういう人は自意識は並以上に持ってるからハッキリとした悪意的な言動をしかけることはない

むしろ周りにこう見られたいという自意識によって善意的な立ち回りをして自分の居場所を確保する

あえて悪く言うと偽善的な立ち居振る舞いをして必死にセルフブランディングをする

それ自体は悪いことじゃないんだけれど、その結果を相手に求めてしまうからタチが悪い

根本に「周りにこう思われたい」があってそれを第一に動いているから自分が思っているような人物像を周りに描いてもらえてないと逆恨みが始まる

周りに良く思われたい、がこの人のモットーなのでそれが果たせないのが耐えられないしメンタルが保たないから防衛するために脳内で相手が悪いと仕立て上げることで自分のメンタルを保とうとする

そうやって自分自身で自分と向き合おうとしないで周りに無理やり自分というものを見てもらおうとしてそこだけで完結しようとする中身空っぽポテトヘッド野郎が最近よく口にしやがるのが

「確かに、なんならそれこそアレみたいな感じですよね」

ぞわぞわ〜

テレビに出てる人がよく使う言い回しばっかり吸収して自分の言葉を育ててこなかったやつはだいたいこれしか言わない

特に自分は「それこそ」って口癖にはめっちゃ警戒している

営業の人とかよく使ってくる、いやすぎ

使うなってわけじゃないんだけど、3文に1文は「それこそ〜」言うし、どれこそなんですか?こっちが考えてることがまるっとあなたの考えてることなんですか?

なんというか、すごく自分に目を向けて欲しいという行間を感じて居心地が悪くなる
論理的アピール、というか私が司りますよーというか

論理的っぽく見える言葉で中に何も詰め込まれてない自分を繕おうとしてそんな自分の隙につけ入られたくなくて「それこそ」で場を取り仕切ったつもりになって勝手に薄いバリアを張って息切れしてるくせに澄まし顔して余裕ぶる

中には何も詰まってないから簡単に隙を突かれることもあるけど、そんな時はすぐさま相手の発言から間髪入れずに「確かに」と挟んで倒れそうなドミノを必死に止める

「確かに」と言っておくだけで相手の発言を飲み込んだ態度を取れるし、下手すりゃ相手の意見は既に折り込み済み、って先回りぶれる

別に「確かに」って相槌がダメなわけじゃなくて、ここで大事なのは間髪入れずにこの相槌を打つこと

間をおいてこれを言うと相手の意見に食らった感じが出てしまうから、間髪入れずにこの相槌を打つことで相手のターンに持ち込ませることなく自分のターンを維持しようとする

コミュニケーションの基礎はターン制なのに、相手にターンを譲ってしまうと自分の中にある理想像を相手に描かすことが難しくなる
だから必死にターンを維持して相手が描く自分像をコントロールしようとする

そして「確かに」で維持したターンを「なんなら」と繋げて相手の発言を受けた上で一歩先の発言をしたように見せようとする(実際は大したこと言ってない)

そしてトドメに「〜みたいな感じ」と締めて比喩も出来ちゃうんですよアピール
これも大して上手くないし全然ピンと来ない比喩だけどこの言葉を使うことで比喩をしたという結果を得ようとする

で、相手が描く自分像をコントロールできたつもりになる

けど賢い人にはそんなの通用しないから裏で思ってたのと違うことを言われてたり思われてたりしたら勝手に逆恨みし始める

あんなにコントロールに努力したのになんで思い通りになってくれないんだ、ふざけんな、と逆ギレが始まる

学生時代に中途半端な成功体験ばっか積んで、実際は失敗もしてきたのにそれの原因究明することなく中途半端な成功体験だけを残して生きてきた結果の怪物

こんな怪物の餌になる前に勇気を出して距離を置こう!

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