小説とかのあれこれ

 僕が最近部活動等でオリジナルの絵を描く時の世界観が出来上がってきました。機械化した世界、体の一部が機械化した少女、荒廃した街。ロマンの具現化のような世界。そんな世界が良いな。荒廃具合は形がある程度残って、ビル群に植物が覆いかぶさっているくらい。それくらいの荒廃具合。
 数か月前、小説を書きたい、という話をしていたのですが、この世界観で作ってみても良いのかもな、と思う。荒廃した世界に佇む半分機械の少女、想像するだけでもロマンを感じる。

 元々、機械少女が好きなのですね。完全に機械じゃない、半分くらいが機械の少女が好き。何年か前に見た、『死者殺しのメメント・モリア』という小説があります。その小説で、少女の胸が鳥籠のようになっていた、みたいな描写(数年前に一度読んだきりなのであんまり覚えていない)があって、その時のロマンによる高ぶりが今でも忘れられない。その時から、体の一部が人じゃないのが好きです。それがきっかけで、半分機械の少女、に僕はとてつもないロマンと高ぶりを感じる。

 機械じゃなくたって良いのです。今僕が読んでいる小説である『人獣細工』では、体のほぼ全ての臓器や器官を豚から移植した少女が主人公です。そこには機械少女で感じるロマンは痛々しさもあり感じませんが、やはり良いな、と思う。その痛々しさ、他の人とは違うんだ、という少女のコンプレックスとか、苦しんでいる様子に描写として良いな、と感じる。少女の持つ儚さと、痛々しさが混ざり合う事で生まれる化学反応が素晴らしいね。
 勿論、当たり前ですが小説や表現としての良いな、っていう感情であって、実際移植をして周りとの違いなどで苦しんでいる方をバカにする意図は全く無いです。
 ちなみに、現在進行で人獣細工は読んでいる途中なのですが、久しぶりにめくる手が止まらない本に出合った気がする。そして書いた人を見てみたら小林先生だ。『アリス殺し』『クララ殺し』を以前一回見た覚えがある。その時もめくる手が止まらなかった記憶がある。小林先生の作品は、めくる手が止まらないいい本を書くな、と思わせていただきました。

 こうやって、今まで読んできた本が自分の好き、になるのは何か熱いモノを感じる。ただ漠然とあれもこれも好き!もイイですが、ある程度自分の中の世界観があるのと無いのとでは、やはり創作をしていくうえでやりやすさが違うと思う。創作を、絵でも文章でもですが、する人は、本を沢山読んだり、絵を沢山見たり、そうゆう周りのモノを吸収するのは大事だな、と思う。それがいずれか自分の世界観とか、好きとか嫌いとか、苦手とかになっていくと思うから。

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