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救急車で運ばれた日のこと side M

二子玉川の駅前ビルディング。そこで故郷の友人と待ち合わせをしていた。目的の人物を探していると、見慣れた風貌を人混みの中に見つけた。向こうもこちらを見つけ、歩き出した。一歩、また一歩。2人の距離が近くに連れ、なぜか友人の顔が暗くなっていく。

手を伸ばせば届く距離に近づいた頃に突然彼女は泣き出した。一体どうしたというのか。

「ん?どうしたの?」
「今朝、母親が亡くなったって連絡があった…」

愛媛の友人が占いの仕事?で東京に出てきた。千葉から出てきた私は桜新町にいるたかり上手の息子の家に泊まっていた。
朝から人が亡くったという報告を聞いて、キリキリ胃が痛み出す。 果たして上の兄の体調は大丈夫だろうか….

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こんにちは、先日「もう病院来なくて良いよ」と言われた西山です。これはその日、心配で診断に連れ添ってくれた「のぶりん(母)」から聞いた「僕が救急車で運ばれた時」の心情を文字で綴ったものです。なので記事のサブタイトルは「side M(mother)」。笑

「倒れた重宝人が、その時の母の心境を文字に起こす」って面白い。というか、当日ののぶりんの語り口調があまりにも愉快だったので、これは書いて記録しちゃえ!と思った次第。もちろん彼女には内緒で書いております。ええええ。律儀で真面目な息子なので、事後報告はしっかりしますとも。(多分)

ということで、「救急車で運ばれた日-Side M」。超短編ではありますが、暇つぶしにどうぞご賞味くださいませ。

場面は夜へと飛び、のぶりんが寝るところから物語は再開、再開〜。

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時計の短針は真ん中から少し右に触れた頃、そろそろ寝ようかと布団に入った直後だった。

突然携帯がブルブルと震え出す。何かと思って画面を見たら上の兄からだった。こんな時間に一体何やねん。普段は私のチャットとか電話無視するくせに!と思いながら、電話に出る。

「はぁーーはぁーー」
「………」

ん、兄よどうした?何があった。

「…さっき風呂上がりに倒れた」

さぁっと血の気が引くのを感じた。

「何で倒れた?」
「飲酒後に半身浴して、タバコすぱすぱ吸いながら読書してた。で、立ったらくらっと来て倒れちゃった」

バカ兄…と一瞬思ったが、それよりも先日兄は手術をしたばかり。まだ原因不明の病を持ってる可能性もあり、昨日CTスキャンしたばかり。それと関連してるのでは…? そう思うと、胃がまたキリキリと痛み出す。
自分の状況はしっかり伝えられるようだから、大丈夫なようだけど...

「今、救急相談のサイト見てる。救急車呼ぶべきかどうか聞いてみる」

息が上がってる割には冷静だこと。電話終わったら連絡ちょうだいと言って、切る。
きっている間に、もし7119に繋がらなかった際は、23区内は別の電話番号をがあるようなので、それをチャットに送っておいた。

「繋がらない」とチャットがあったので、「別の窓口あるみたいよ」と教えてあげる。
彼は再度電話をかけているようだった。

それから数分再度兄から電話がかかる。

「きゅ、きゅ、救急車、よ、よ、よ呼ぶことにした」

え、喋りがおかしい。どうした。さっきはそんなことなかったぞ。
聞くところによると救急相談センターの看護師と話している時に吃音っぽい症状が出てきたらしい。
この子は今まで吃音だったことはない。喋れなくなる、ということは脳梗塞じゃないだろうか…

さらに胃がキリキリと痛み出すタイミングできりりん(ダーリン)が起きた。

ちょうどその頃、兄の家に救急隊員が到着した頃だった。彼を通じて救急隊員と話す。

「この時間なんで精密検査ができず、すぐ返されると思いますけど」

とは言われたが、吃音症状が出て心配だったため、搬送してくださいとお願いした。
兄、人生初救急車決定。兄弟揃って救急車のお世話になってしまったか….

救急車幼稚園の頃だったか、保内町役場のソファできゃっきゃと遊んでいて、突然姿が見えなくなったと思ったら、次の瞬間には頭から血をダクダク出していたのだった。不意すぎて私もびっくりした。救急車の中で「このミニカー持ってる!」と言ったのを今でも覚えている。

で、それから10数年。今度は兄が運ばれた。逆に今まで大病なく五体満足で入られただけ、幸せ、か。私も色々病気してるし..とか思いつつ、寝起きのきりりんん事情を説明した。

「それは病院行かなあかん」と一点張り。かなり心配しているようだった。
「ちょびっとまだアルコール残ってるかも」と言っても、「それは病院行かなあかん」との一点張り。

こんな頑固だったっけな、この人...
かくして千葉に引っ越して初、マイカーで海ほたるドライブをすることになったのだった。

……

「よっす!」

救急車で運ばれた上の息子はベッドの上で足を組みながらMacを開き、腕をあげ元気な声で挨拶してきた。

小一時間ほどかけて、きたというのに当の本人は気持ち切り替えたとか言ってケラケラしている。やはりチャラ男か。。張り倒してやろうか…こいつ….

内心、ビンタしてやろうかと思ったが、そこはぐっとこらえた。というのも脳梗塞だったら、流石にやばいと思ったからだった。
なのだが、どうやら脳梗塞ではなさそうだった。当直の先生が脳梗塞を疑い、両腕を上げさせ、身体の麻痺がないか簡単に調べたが、なかったと説明をしてくれた。

病院に着いてからしばらく経ったことで吃音症状は少し治っているようだったし、あーー、無事でよかった…。

と安堵している頃に血液検査の結果も出てきた。白血球の数値が高いこと以外は問題なし。つまり帰ってよし。
ということで、病床のある部屋から出て待合スペースへ。

それにしてもこの男ヘラヘラしすぎじゃないか。やっぱり張り倒してやろうか、とか思っていたら、さらにイライラするような言葉を被せてきた。

「家すぐそこだし、1人で寝る」。

おいおい、さっき救急車で運ばれたやつが何を言い出すか。心配だから千葉の家に連れて帰ろうと思ったのだが、兄は頑なに拒む。
このまま1人で居て、もう一度倒れたら…そう思うと気が気で仕方がない...

「いやいや、もしも倒れたら、つってもそれは千葉にいて部屋で倒れても同じやん。もしまた倒れて死んだら死んだで俺はええよ」

なぜここまで自慢げに話すのか。我が息子ながら謎である。渋々彼の要求をのみ車を出発させる。中目黒から代官山までの短いドライブののち、彼を蔦屋あたりでおろした。

「じゃ」とサバサバした声をかけて扉を閉めて、彼は自分の家へと歩を進め始めたのだった。

………

後日談。実はこの週末はヘラ男、下の弟の演劇公演期間中だった。そのため、土曜に兄が倒れたことは楽日の打ち上げ前まで伏せておいた。

適当な理由をつけて、ヘラ男に必ず演劇終了後に連絡するように調整する。

楽日終了後、ヘラ男から電話がある「うっす!お疲れっす!」
兄弟揃って軽い挨拶だこと…とか思いながら、終わってこれから打ち上げというテンションのヘラ男に昨日のことを話す。

「はぁ!何で言わんかったんぞ!」

怒られた。いや、当然弟の方が近いから呼ぶことも考えた。ただ楽日を目の前にして心理的負担をかけるのはどうかと思ったので、言わなかったのだ。

倒れたことにめっぽうショックを受けていた兄が「俺ダメな人間や、死にたい」とか言ってたことも伝えると「今から俺兄貴のとこ行こうか?」という、症状は治まってるし大丈夫よ。と言って何とかなだめ、彼は打ち上げに行くことを選んだのだった。

それから数日後、血液内科に兄と一緒に先日の検査結果を聞きに言った。CTの結果を踏まえ「もう病院来なくて良いよ」という完治の宣告を受け一安心した。病理診断に出していた腫瘍も病気ではなかったようだ。

この兄弟は本当に親を心配をかける。いや、私が勝手に心配しているだけだとよく言われるのだけれど….

そう話ながら病院を出たところで桜がある、と口にし出す兄。どうやら最近写真にはまっているようで、撮りたいとのことだった。
「せっかくなら撮ってあげるよ」と言ってくれた。

と思ったら、気がついたらチーズも何も言われずに撮られていた。合図くらいせんかい。
白黒で桜かどうか判別は付かないが、出てきたフィルムには不安が1つ消えてどこかスッキリした顔の写っている私が写っていた。

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母になりきって、文を書くって新鮮ですねぇ。笑 上記、情景については私の方で多少脚色しましたが、その時々で何を感じたか、何を話したかについては、母との会話、母から聞いた当日の心境をそのまま記載しております。つまり「こいつ張り倒したろか!」というのは母の本音だったようで hahaha 。母だけに。

さて、冗談半分、休日の暇つぶし、気分転換目的の本書き下ろし(?)でしたが、ただ面白いだけだと旨味がない。噛めば噛むほど味の出るスルメのような文章を書きたいと思っている小生としては何としてもオチをつけたく候。書きながら教訓じみたものを推論していました。

ということで、ここからが「救急車事件」から教訓を引き出してみました。それは「自他の認識のギャップは意識しようね」ってこと。ありきたりかな?うーん、後の文章を読んで判断してくりゃれ。

「本人が大丈夫!」と思っていても「周りは超心配する」。関係者間の認識のギャップは後々、関係性に歪みを生む可能性があるよってこと。家族は20数年一緒に暮らしてきたこともあり、「こいつはこういうやつだから仕方がない」と諦めてくれることもあるでしょう。

しかし、もし認識のギャップが「大切なパートナー」や「仕事の上司や同僚との間、外注さん」との間で生まれてしまったなら?あなたはどうするか?

あえて「こういうことしがちだよね」だとか「こうすべきだよね」といった具体例は書かないけれど。悪いと思えば率直に話す。意図がわからなければ率直に質問する。まずもって対話の場を設けることが重要だと2019年4月を目前にした西山は思っています。

西山の場合、以前にも書いたように「色々ありすぎて、気持ちの切り替えが大いに早くなった」たので、より一層や親をイライラさせたようでした。病院に運ばれた頃にはケロっとしてた僕ですが、「その切り替えのプロセスに当たって考えたこと」は家族からは見えないわけです。

「気持ちの切り替え」というものは得てして自分の頭の中で完結しがちで、「切り替わった気持ち、その結論だけ相手に伝えてしまう」ことって僕はよくあるんですよね。これがコミュニケーションミスの原因だったりします。見る人が見たら「ある日突然西山が爆発した」なんて思われるわけですから。でも「気持ちや考えが変わった背景を伝えない」ことによるコミュニケーションミスは、統計とったら一番多いんじゃなかろうか。

私はこう感じたからこう思う、だから今はこういう状態なんだ、と分かった上で相手に伝える。とっても大切なことだけど、忘れがちなことだし、難しい。毎日忙殺されていると「自分がいかに考えて答えを出したか」をメタ認知し、的確に文章にまとめ伝えることって本当に難しいんです。忙しからついイライラしまうしねぇ。

経験を積んだと思われる大先輩でもやはりそう言った心の機微はあるもの。上司だっていつも朗らかなわけじゃない。ということで「自分や他者がどういう状態か」をちょろっと意識した上でのコミュニケーションって重要だと思うんですよね。

家族だったから僕の場合、許容されたけど、(のぶりんは心の中でこいつ張り倒したろか!と本気で思ってらしいけどね 笑) 他の人だったら、許容されない時もたくさんありましょうとも。

てな訳で「自分の気持ちはしっかり伝えよう。理由込みで。それが他者とわかり合う、コミュニケーションへの第一歩」という教訓に無理やり落ち着けたところで本日の文章は終了でございます。

母から聞いた当日の心境が面白すぎて、文章にして残したいと思っただけにPCを開いたのに気がついたら変な教訓おじさんになってしまっていた。さーせん。「他者とわかり合う」なんて真面目なオチを書いてしまったものなので、次回はこれに関連したちょっと真面目なことを書こうかねぇ。

さて今日はこの辺で。

あ、ちなみにその後弟と会ってデートしたの絵d須賀、「親より先に死ぬのが最大の親不孝だ!」と後日叱られました。そりゃそうだ。