見出し画像

救急車で搬送されている間、僕は「言葉」のことばかり考えていた

病床で文字をタイプしてはや20-30分か。血液検査の結果は1時間後と告げられたばかり。

すなわち少なくとも後1時間はこのベッドの上からは動くことができないといことだ。時刻は午前2時を指している。ここは自宅から徒歩20分ほど離れた中目黒にある東京共済病院、その救急救命センターに僕はいる。

3/24 午前00:20頃、風呂上がりに意識を失い、倒れ病院に運ばれた。

これはそんなどったんばったんな3/23-24の半日を綴った記録である。その時感じたことは、その時書く。時が経つにつれ、記憶は薄れていってしまう。あの日あのとき感じた、噛み締めたことを残しておかないときっと後悔する。

そんな直感が、PCの入ったリュックを担ぎ救急車に乗った理由なのだろう。幸か不幸か検査結果まで1時間という暇をいただいたので、記事でも書こうとカバンからPCを取り出した。

さて、倒れた、病床だ、感じたことを書いていると言っても、読者の皆々様にはなんのことやらさっぱりピーマンだと思う。ってことで、ここからは経緯を事細かに描写して行こうじゃないか。もちろんフィクションなどでなく、ついさっきわが身に降りかかったこと。駄文長文なので、暇な人はどうぞご観覧くださいませ。

ここからはリアル救急搬送体験記の始まり始まり。文字をタイプしている今、僕が感じているのは、両腕が動くこと、両足も動くこと、意識もはっきりしていること。つまり一見して体に何の障害もないってこと。最初に読者の方を安心させるためにもそれだけは伝えておきたい。

たった一つ「言葉が出にくくなっている」ことを除いては。

- 23:30

今日仕入れたばかりのポラロイドで試し撮りをしていた。ストロングゼロや氷結ばかり並んだ味気ないコンビニの酒棚から選んだ、水曜日の猫を飲みながら、友人たちとLINEをし、ふざけたチャットを一通り終えたところで、風呂に入ろうかと思っていた。

ほんとこんなこと書くとバカなんじゃないかって感じなんだけど、飲酒後にタバコと本を片手に半身浴しながら読書。その時間およそ20分。換気扇はつけ忘れ。いや、ほんとバカなんじゃないかって思う。そんな状況で悠々自適に過ごし、翌1日のシミュレーションを終えて、風呂を離れようと立ち上がった時だった。

どうやら気分が悪いようだ。喉や胸のあたりが苦しい。立ちくらみか。お酒も飲んでたし、気分でも悪くなったのだろう。そう思いまず風呂場をあけ、換気扇をつけた。そう思い、タオルを取り体を拭いて水気をとり、ユニットバスを出た。本にのめり込むとついつい長風呂をしてしまうのは良くない癖なのだけど、今日浴槽に持ち込んだ本が小説だったから、長風呂までは行かないよな…

と考えていたところで、意識を失った。次に目を開けたとき、視界に入ってきたのは天井だった。朦朧とした意識の中でまず気づいたことは、素っ裸で仰向けになって倒れていること、フローリングが冷たいこと、そういえばさっきゴンって音がしたな、頭ちょっと痛いなってことてくらいだった。意識がしっかりするまで冷えたフローリングの上で寒さに耐え忍んでいたのを覚えている。

数十秒だったか、数分だったか。お腹が冷えたからかお腹も痛くなってきた。うーむ。なんて日だなんて思いながら、落ち着くのを待った。そこからさらに数分。そろそろ大丈夫かな寝よ、って思ったのだけれど、さすがに別の病気を抱えていた身なので、一応親に電話をした。

-00:30

LINEをコールしてしばらく経って、おそらく寝起きと思われる母親がコールに出てくれた。浅く、荒げた息で話す僕の言葉を聞いて、相当心配していた。その時の僕は「普通に言葉を紡いでいた」ように思う。後ほど聞いた話によると寝る直前だったのらしいけど。

やっぱり別の病気もあるし、怖いよねってことで、救急車呼ぶか親と相談。話していると、どうやら7119という番号があることに気づく。救急車呼ぶかどうかの相談番号ってよ。みんな覚えておくと良いよ。で、コールしたんだけど。繋がらない。

二回目のコール。繋がらない。調べてみると、東京都内、23区専用の回線があるそうな。ということで、かけてみる。またしても出ない。切ろうかなと思ったくらいに、ようやく出た。「はい、東京都の救急相談センターです」。状況を説明するだけ頭はしっかりしていたので、意気揚々という表現はおかしいかもしれないけれども、「なぜ倒れたのか?」その理由が知ることができれば、満足満足ってくらいの気軽さで僕は喋り始めた。

「こ、こ、こんにちは」。
「担当の看護師のものです。どなたについて相談ですか?」

僕と看護師のやりとりは、確かそんな第一声で始まった。

「ほ、ほ、本人です」。
「ご本人ですか、では状況を説明してください。」

 ここで違和感。全くもって喋れない。喋れない、は言い過ぎだな。どもる。言葉が紡げない。普段はあんなに饒舌に喋るこの僕が、口先の魔術師とでも自称しようとでもいうくらい無駄に喋るこの僕が「喋れない」。

看護師に症状を喋るうちに「ん?これおかしいぞ?」という感覚が違和感から確信に変わっていく。

「ふ、ふ、ふ普段、こ、こ、ここんな感じじゃないんですけど…」と

引き続き状況を説明したものの。どもりは取れず一向に激しくなるばかり。これはいかんってことで、気軽な症状相談から一転。救急搬送が決定した。

口頭で携帯電話の電話番号を伝え、救急相談センターから救急隊に繋いでもらう。搬送される?なら準備が必要だとPCと本と充電器を入れたリュックサックを背負う。親にも当然連絡した。さすがにCTスキャンの翌日の出来事で、まだ腫瘍の病名もわかっていない状態だったから、心配して袖ヶ浦から駆けつけてくれることになった。

- 00:59

もちろん駆けつけたのはまず救急隊だったけど。扉が軽くノックされた。救急隊はインターホン使わないのかな、と思いながらリュックを持って玄関を開ける。

「救急隊です。ご本人ですか?」

訛りの強い濃い顔のお兄さんとそのほか数名が扉の前に立っていた。言葉のどもりが酷くまともに喋れなかったため、状況はLINEで繋いだ母に代弁してもらった。話し合った結果、一応搬送決定。

意識はあるし、足取りも確か。吃音症状が出てるけど、「こんな深夜に行っても精密検査とかできないよ」と隊員の兄ぃやんは言っており、「そりゃそうだ。別に行かなくてもいいのでは」と伝えようにも言葉が出てこず、親に押しきれられ救急搬送決定。

さて、家の前に用意されていた救急車に乗ろうと道路に出たは良いものの、ずいぶんと遠い位置に救急車は停車していた。そういや道が狭くて引っ越しの時トラックも入れなかったなーとか思いながら、担架に乗せられ救急車まで連れていかれる。

人生初の救急車内はちょっと狭い印象。FRPをベースに内装にチープさを感じた。入って最初に確認されたのは身分確認。まさか財布から免許証を出して身元確認を最初に取られるとは思ってなかった。

救急車内で受けた措置は2つ。まずは指先に計器をつけた。これはおそらく血中の酸素濃度を測る計器じゃなかったろうか。睡眠科の簡易検査を受けた時に似たような機械を使った覚えがある。そしておなじみの血圧測定も終えて、一旦放置される。

意識もあるし、おぼつかないながらも言葉も発することができる。一見すれば緊急度のない患者なものだから、整備されてある最低限のマニュアルに沿っての 対応をしているのだろう。

相変わらず吃音症状は戻らない。自分の名前すらまともにいうことができない。この時初めて「この後の人生どうなるんだ」って妄想し始めた。

-余談: もしも喋れなくなったなら

営業、ファシリテーション、研修インストラクター、コンサル。おおよそ「喋る」ことがコアスキルの僕にとって「喋りに障害」が出ることは死活問題だった。先日は某上場企業と研修インストラクターの契約を締結したばかり、最年少という通りの良い肩書きでで末長くお付き合いするつもりで、新しい道が拓けたと思っていた矢先の出来事だったので、救急車に乗った時点では絶望しかなかった。

ただここ2ヶ月の毎週毎週至る所で問題頻出。一個一個が心身に多大なるダメージを及ぼすような出来事ばかりだったからか、救急車が到着する頃には「もし喋りがダメなら、別のスキルをもっと伸ばそう」という意思決定が終わっていた。

今自分が明確に持っているスキルとは「言語的明瞭性」と「編集能力」。おおよそ現実にあり想像でき、言葉にできることあれば、いかなるものでも論理的かつ明瞭に説明でできるスキルが自身の強みだという自負がある。

件の研修インスタラクター契約の面接時に「言語的明瞭性これが自身の強みだ」とアピールしたし、歴戦の役員を前に簡易ワークショプを披露した後のフィードバックでも「確かにこれがあなたの強みだね」と言われた。つまり自他の間にギャップのない、確固たる強みということだ。

ただし、その本質は「編集能力」であると最近は感じるようになった。別に僕は此れと言って頭が良いわけでもない。大学も普通くらいのレベルの大学だったし。

 IQテストの1つ、WISC(ウェクスラー知能検査)などを基盤に開発されたWEB教育診断テスト「NOCC BASE 」(大学版は自社で独占販売中だよ!)の結果だとgfの因子、つまるところ1から10を読み取る、一般的には応用力と呼ばれるスキル点数は平均よりちょっと高いくらいだと出ている要は平々凡々の理解力で応用力ってこと。つまり能力的には本当に普通。

そんな凡人でも磨けば卓越するものがスキルというもの。今まで分野違いの職を転々としてきた経験や、常に二番手としてリーダーの言ってる「よくわからないビジョン」を可視化する訓練を無意識に徹底的にやっていたからか、「あぁ、あなたの言いたいことはこれで、図にするとこうで、別の分野の言葉に変えるとこうね」と編集する力が自然と身についていた。ついでにそれを第三者にさぞ自分ごとのように語るのが二番手かつ営業の役割でもあるので、言語的明瞭性も獲得した。プレゼンやら交渉やらで負けない理由はここにある。

営業やら超年上の社長相手の折衝や、多様なステークホルダーが入り乱れるまちづくりやらと「多世代、異分野」の人と話し、合意し、物事を進める経験ばかりあったのも強みを形成した背景にあるのかもと思っている。

実のところ僕がリーダーを張った経験は限りなく少ない。キャリアを振り返っても2つのイベントくらいじゃなかろうか。他はほぼ全て二番手かそれ以下のポジションで下働きしかしていない。

そんなことを自宅のある代官山から搬送先の中目黒の病院につく10分そこらの間で考えていた。言語的明瞭性から生み出される明快な喋りが自分の特徴であり強みではある。それはもしかすると吃音が治らなければ強みではなくなる。

しかし言語的明瞭性だけではなく、人に合わせて言葉や表現をかえ伝える編集能力もある。なら伝える方法は文章でも良い。図だって書ける。喋れない=聞けないではないのだから。文章や表現に特化すれば良いじゃない、そんな二番手業もありだし、今抱えている案件での立ち位置役割は変わらんな。うん大丈夫、と気持ちを切り替えることに成功した。

最近はなぜかプロダクトのモックアップデザインやUXデザインの仕事もしており、デザインスキルも少しずつ磨いているから、食いっぱぐれないだろうと確信もあった。人間、修羅場ばかり続くと気持ちの切り替えや前に進むための意思決定が早くなるものらしい。コラが怪我の功名といったところか。

- 1:43   閑話休題

果たして「別の強みに振り切っちゃえ」という意思決定は無駄になった。喋れなくなるかもしれないという心配は杞憂に終わったのだ。東京共済病院に到着し、自らの足で救急センターまで足を運んだ頃、僕の喋りは少しずつではあるが回復しつつあった。研修医っぽい若手の医者によるとおそらく「起立性低血圧」、いわゆる「めまい」という症状。

ここからは僕の推測。意識を失ったことによりパニック状態に陥り、言葉をきっとうまく紡げなかっただけないだろうか。もちろん、盛大に倒れてしまったので、頭を打って脳が…って話に発展することもあるやもしれないが、ここは深夜の救急センターだ。事前に救急隊員も言っていたが「精密検査はできない」だろうし、結局やらなかった。

一抹の不安は残りつつも、週末には一昨日とったCTスキャンの結果もわかる、もしかしたら別の病名が原因で倒れたのかもしれないので、不安は三歩歩いたら忘れることにした。

そして現在に至る。

「今宵の強烈な体験はしっかりと言葉に残しておこう」とPCを取り出し、忙しなく指を動かし始めた次第である。そうこうしているうちに親到着。「よっす!」と手を挙げて元気そうにしてる僕を見て一安心しているようだった。

アラサーの息子のために千葉から車を走らせてくれる親。本当に感謝しかない。正直、ここ半年間迷惑しかかけてない。なので今度しっかりお礼をしよう。欲しい欲しい言ってたシックスパッドはホワイトデーにキリちゃん(義父)にもらったようなので、何か別のものを。

両親も来たことだし、血液検査の結果がわかるまで、そろそろだろうか。ここらで一旦ラップトップを閉じて、続きは家に帰ってから書くことにしよう。

-----------------------------------------------------------------------------

- 3/24 

ここからは翌日夜に書いた話。血液検査の結果が出て、何も問題ないよと告げられたため、家に帰ることとなった。ここから先は通常の病院と一緒。保険証を出して、お会計。深夜料金の加算された初診料と夜間休日救急搬送医学管理料やら、よくわからん項目に検査料がくわわって、お値段7260円。昨日受けたCTスキャンよりは安いが、夜間搬送と血液検査と心電図でこの金額かぁ..と比較してみると少々高く感じてしまった。

日曜日は本当は足掛け1年くらい?かけてセッティングした 大学教職員向けFD/SD研修のために関西に赴くはずだったのだが、家に帰ったのが4時、現地に向かう予定だった新幹線は5時の便。起きれたら駅に向かおうと考えていたものの、精神も身体もどっぷり疲れていたため、当然起床は無理でした。申し訳ない。

体調もすぐれなかったけど、案件先の方々には頭を下げて研修にはオンラインで参加。反応を見る限り、良い場になったようだった。長い時間かけて実現した夢へ一歩だったので、研修終了後は悔しくて泣きに泣いたのはここだけ話。

ほぼ1年がかりで仕掛けてきた案件だったのでほんっとうに、悔しくて仕方がない。次への一歩は踏み出せてようでよかったけど。さてそんなオチの部分を書いてた頃に、玄関がノックされた。「Uber Eatsでーす!」昨日の今日なので、部屋から出ず精神を落ち着けるつもりで引きこもっていた。残念ながら冷蔵庫の食料ストックを切らしていたので、久々にUber Eatsを使ってみたのだった。

それにしても、何故にノックなんだろう。インターホン使えばいいのにね。配達員から食料を受け取り、扉を閉める際にインターホーンを試しに押してみた。鳴らなかった。だから救急隊の人もノックだったのね。理解した。

修理代は自費負担なのかな… 今はそれだけが気になって仕方がない。

余談 生きてる喜び感じようぜ

生きてる喜び感じよう!ということで、ずっとDIAMANTESの「勝利のうた」を今日1日中ヘビロテしてた。いや、ほんと生きてることは喜びだよね。生きてる喜び感じよう、嚙みしめよう。

復帰以後、本当に毎週多大なる負荷のかかる意思決定やタスク処理、事案が発生しており、生活への丁寧さがなくなったことが、倒れた根本原因だと思っている。なので、もう少し丁寧に、生きてる喜びをもっと実感できるライフスタイルに変えようと固く決意した。まずは自分がハッピーになることから。