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Our Story

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Yangonかるたが出来るまでの経緯や、ご協力してくださっている方々のストーリー、そしてメンバーの想いなどを集めました。
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#国際社会

「地球市民」として生きる

いま、世界で起きていること 私は昨年2月1日にミャンマーでクーデターを経験し、3月の末に日本に帰国しました。あれから、もうすぐ1年が経とうとしています。 世界で起きている混乱の中でミャンマーの報道も少なくなる中、湧き上がる気持ちを、今はまだうまく言葉にできません。 一年前、ミャンマーの人々が理不尽に弾圧されていく状況を見た私は、いまウクライナで起きていることを他人事とは思えません。内政か侵略かの違いは、関係ありません。人々が殺されている事実は変わりません。誰かの利益のた

Pray for Myanmar

クラウドファンディングのご報告 クラウドファンディング最終日は、クーデター発生から一年の2月1日でした。そして、また新しい朝が来ました。 みなさん、私たちとともにミャンマーについて考え、思いをシェアして下さってありがとうございました。 322人の方から、309万6500円のご支援いただきました。 一人でも多くの方にミャンマーを伝えたい、という思いだけの無知なチャレンジでした。若い私たちへの応援とミャンマーに関わる方の思いをうけとめて、いま、改めて責任の重さを感じています

対話の場をつくり続ける

ニュースでしかミャンマーを知らなかった人たちに 1月22日に、ICU高校でかるたイベント実施しました。 イベント終了後、生徒からは「クーデターを政治的な側面で見るより、市民の生活を知ることでその影響をより理解できた。」「ミャンマーのことを初めて知ったのは、クーデターのニュースでした。今後ニュースを見た時に、今日学んだ文化やZOOMで直接お話したミャンマーの方のことを思い出し、今までよりも自分ごととして捉えられることができます。」などの意見が出ました。 それでも幸せになる

平和とは何か

ミャンマー現地とつながりました 1月22日に、ICU高校でイベントがありました。かるたプロジェクトとしてのイベントではなく、ミャンマーに縁のあるICU在校生のイベントという位置付けで実施しました。 イベントでは、現地に暮らす(主にヤンゴン)ミャンマーの方とネットで繋がり、高校生が直接お話を聞く場を作りました。まずは、事前ミーティングで感じたことをお伝えします。 今回は取材が入っていたのですが、インタビューで「野中さんが考える平和とは何ですか」と聞かれ、言葉に詰まってしま

ミャンマーのクーデターから一年〜コロナの自粛生活とクーデター当日の思い〜

2020年 ミャンマーコロナ禍の暮らし 新型コロナウイルスの感染が世界中で広がり始めた頃、私はヤンゴンに住んでいました。 ミャンマーでは、かなり厳しいコロナ規制が敷かれていて、お店に入店する時、そして家に帰ってくる度、エントランスで検温され、熱があると、大人子ども関係なく、本人が一人で、そのまま隔離施設に連れていかれてしまう、という状況がありました。隔離施設は外国人には厳しい環境ですし、ミャンマー語が話せない私にとっては、毎日が恐怖でした。 ただコロナ以前に、ミャンマー

なんかもったいないよって思うから

もったいないよ 「ミャンマーを伝えたい」「はやく平和を取り戻して欲しい」と願うのは同情や哀れみからではありません。 なんかもったいないよ、と思うからです。 ヤンゴンにお気に入りのクレープのお店がありました。東南アジアだとガレットのお店が多いのですが、ここは生地がフニャッとして生クリームがいっぱいの、まさに日本のクレープ。ジャパンと付けばなんでも高いのに、現地価格と比較しても高くない。100円くらい。レーダンという若い人が集まる地域にありました。 そこで注文し待っていると

ガチャ運が悪かったではすまされない

「国ガチャ」「時代ガチャ」だってある 今年の流行語大賞のひとつに「親ガチャ」という言葉があります。 そもそも、私たちはこの時代に「ヒト」に生まれることすら選んだわけではありません。そして人はまだ地球を離れて生きることはできません。 その中で、日本に生まれた私たちは、良い「国ガチャ」を引いたと言えるのかもしれません。 15歳まで義務教育を受けられるシステムがあり、道が整備され、蛇口から水が出て、医療も受けやすい環境にある。もちろん個人差はあります。生き辛さを抱える人も多くい

悲しいニュースが続く

悲しいニュースがつづく 平和的なデモをする若者に国軍の車が突っ込み、轢き殺した事件で、若者の命がまた失われた。撮影していた人も連行されたと聞く。家族のもとに、無事に帰ってこれることを心から願う。 多くの日本人にとって、信じられない非道な行為かもしれない。上層部の指示なのか、末端の暴走なのか。同じミャンマー人同士なのに、道徳心はないのか。普通はそう考える。 久しぶりにニュースになったけれど、2月下旬以降、いつもどこかで起きている。もっともっと酷いこともたくさん起きている。目の

僕を生かす

全部おいてきた 僕は中学1年生です。ミャンマーのヤンゴンにあるインターナショナルスクールに通っていました。友達とサッカーをしたり、プールで泳いだり、一緒にご飯を食べたり。毎日、何も考えずに、ただ遊んで暮らしていました。 コロナとクーデターが起きて、平和な毎日は大きく変わりました。僕の友達は、それぞれの国に避難のため帰国していきました。 僕も母から「明日、日本に帰ることになったよ!」と急に言われて、お気に入りのサッカーボールも、Switchも、全部ヤンゴンに置いたまま日本に帰

自分の将来を自由に選択できる時代がくることを願って

応援ありがとうございます 12月1日に開始したクラウドファンディング。2日間で50%を超えるご支援を頂きました。応援メッセージを見て胸が熱くなり、勇気を頂いています。 これまで、たくさんの方にご相談をしたのですが、「やってごらん」「応援するよ!」と、いつも背中を押していただきました。たくさんの方に見守って頂いているからこそ、怖いもの知らずに挑戦できました。今は少し責任を感じて、恐ろしくなってきましたが、失敗も成功も考えずに、ただ突っ走ろうと思います。 行動力を評価してく

ごあいさつ

プロジェクトを始めた経緯をお伝えします はじめまして。プロジェクト代表の野中優那です。 私は2021年2月、ミャンマーでクーデターが起きた日、ヤンゴンで、家族と一緒に住んでいまし た。当時、ヤンゴン日本人学校の中学3年生でした。 ミャンマーでは、12月にコロナの感染者が急激に増え、厳しいロックダウンが続いていました。けれど、1月には感染者が減り、2月から、気軽に買い物に出かけられるようになるのではないか、 もしかしたら学校が再開して、対面て