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クリムトの球根 ー 長田弘さんの『詩ふたつ』

クリムトといえば、「接吻」が浮かぶ。

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わたしもこの絵が好きだった。特に恋しているとき。でも今、この絵を直視できない。


我を忘れた二人

まるで、四角い大きな扉のように立派な男が岸辺にいて、女はそこに流れついてしまったようだ。

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男は、大きな扉の役目を忘れ、目の前の美しい女しか見えない。

偶然を運命と信じ、我を忘れている。


男の衣装には、雲の文様のポケットまであって、天界人ならそこから何かを取り出し、世界を変えても彼女を手放さないだろう。

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それに、この男ときたら、若葉の王冠をつけ、唇に触れさえすれば、花が咲くと自惚れる。

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女の方も全身すっかりお花畑、ひざまづき、頰を染め、我を忘れている。

それが恋なのかもしれないけれど。なんともイタイ。


二人をいつか花々が覆う

一方、二人を囲む自然は、区切られた空間を一途に覆う。

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孔雀の尾のように金の模様となって下へ流れ、小さな花々は画面の外に広がり、新たに生まれ、また上へ上へと溢れてくるよう。

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ああ、この湧き上がる花々があって、イタイ恋は救われる。


時を止めて恋に溺れる二人だけど、もしこのまま時が過ぎたなら、花々はあっという間に、朽ち果てる二人を埋め尽くすだろう。

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すべてが夢の跡。


人は永遠などないと分かっていながらどうして恋するんだろう。


長田弘さんの『詩ふたつ』という詩集

さて、「接吻」の花々は、クリムトの他の作品にも見つかる。クリムトは生涯を通じて風景画を描き、それは作品の1/4を占めるとのこと。装飾画一色の人ではなかった。

そのクリムトの風景画に、長田弘さんの詩「花を持って、会いにゆく」と「人生は森のなかの一日」のふたつがつけられたのが、『詩ふたつ』という作品です。

落合恵子さんが帯に「すべての、それぞれの愛するひとを見送ったひとに」と書いています。悲しみのなかにある方に、手にとってほしい本です。


「花を持って、会いにゆく」という詩

わたしは、きれいな水と花を持って、なくなったひとに会いに行く。

クリムトの花々は「接吻」の足下に咲いていたように、名前のないまま丸い顔で、咲き乱れている。

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花だけでない。果実は樹の上で、葉の影で、たわわに実っている。

その絵につけられた、長田弘さんの詩が、ちょうど胸を打つ。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにはできない思いが、
ここにあると指さすのが、ことばだ。

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描こうとしても描ききれない思いは、花となり実となって、誰にも手折られずに、クリムトの風景のなかに佇んでいる。


クリムトの風景をすこしだけ

「接吻」の花々は、「田舎家」の近くまでおよぶ。壁は草いきれのなか。

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ひまわりは、男の代わりにたちすくみ、足下を花々に囚われる。

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りんごの実はお尻を向けて、丸く実り、花々もまん丸。

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オーストリアの湖アッターゼーは芸術家に愛された場所。そこでみた穏やかな波間もただ延々と繰り返し、漂う。

EPSON006のコピー


クリムトの風景に埋められているもの

長田弘さんは、クリムトを「樹木と花々の、めぐりくる季節の、死と再生の画家」といって、後書きにこう書いています。

 『詩ふたつ』に刻みたかったのは、いまここという時間が本質的にもっている向日的な指向性でした。心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。

ふたつの詩を声に出すと、クリムトの絵を窓にして、風景が遠くまで広がっていくような気がする。

あんなに女の人を描いたクリムトの風景には人が一人も見当たらない。

人のいないそこには、もしかしたらひっそり球根がうまっているのかもしれないな、と思う。絵をまえにして、私たちはその球根に、そっと触れているのかもしれない。


クリムトは56歳で亡くなる

「接吻」を描いた10年後、クリムトは脳卒中で倒れ亡くなった。その年、スペイン風邪が流行り、若いエゴン・シーレも、スペイン風邪で亡くなった。第一次世界大戦が終わって、また、現在と同じように、世界が見えない敵に一様に覆われ、多くの命が奪われた年だった。

クリムトの絶筆は「花嫁」という作品だそう。

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女性との関係が絶えなかったクリムトは10人以上の子どもがおり、でも、生涯独身で、花嫁を迎えることはなかった。

でも最後の作品は「花嫁」。

花嫁は、もはや象徴的にポーズはせず、無防備に、青い衣装で川のように横たわり、まどろむ。

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花嫁も官能をあらわにした女たちも、道化のような男も、赤ん坊も、みんなが一緒くたに行き倒れ。

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そうして、愛に溺れる人たちは、ついに、名のない花とただ雑魚寝だ。

とうとう、ひとつの風景になったのかもしれない。


描ききれない思いがまだ「ここにある」と指差して、描き残しもあるまま、クリムトは去ったのだろうか。

最後にここに、そっと埋められた球根は、人と花の間で、どんなふうに咲くのだろう。



※絵をスキャンし直して修正済(6/2)。そして、ついでに、クリムトを集めてみました。。

クリムト唯一の自画像
25歳、まだアカデミックな作品を描いていた頃。尖った顎をして眉を寄せています。

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出典)「もっと知りたいクリムト 生涯と作品」(千足伸行著/東京芸術)

猫を抱くクリムト
絵を描いている写真はみんなこんなガウンを羽織っているようで、陽気なおじさんにしか見えない。この人のアトリエに、何人ものモデルが出入りして、多くの女性を愛したとのこと。

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亡くなる6年前にエゴン・シーレが描いたクリムト
30歳年下のエゴン・シーレが描いた「隠者」では、後方のクリムトが前方のシーレを抱くよう。
シーレはクリムトに励まされ、この作品を彼へのオマージュとして描いたとあります(前述の「もっと知りたいクリムト」より)。
1918年同じ年に二人はなくなります。
二人とも大きな扉のよう。

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