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”いじめられた過去”と”働けない今”

※この記事は4分で読めます。

最近、イジメられていた頃のことを頻繁に思い出す。

あれは中学生の頃だった。

何故いじめられ始めたのかは定かではないが、最初は小さな火種が気付いたころにはだんだんエスカレートしていき、暴言だけではなく殴る蹴るの本格的なものに発展していった。

しかし自分は体が弱かったわけではないし、ガリガリだったわけでもない。

むしろ筋肉質で身長だって平均くらいはあった。

ケンカをすれば負ける気はしないくらいの自信も力もあった。

それでもほぼケンカにはならず、ひたすら我慢する日々を過ごした。

それはすごく屈辱で辛い日々だった。

どうして我慢をし続けたのか。

それは感情を表に出してしまうのが怖かったから。

いや、単純にそれだけではないかもしれない。

仕返しも怖かったのかもしれない。

なんといっても背後には暴走族がいるというのが怖かった。

それで耐え続けた。

いつしか当時の担任の先生の助けもあって、卒業まじかにはイジメも終わりを迎えた。

それから高校生になり、人間関係も一新し、新たな生活を送った。

そして高校も卒業し、社会人になった。

しかし、ここでまた新たな問題に直面した。

そしてこの問題こそが今抱えている一番大きな壁。

何故一番大きな壁だと思うのか。

それは、かつてイジメられたことによる後遺症だから。

その頃イジメられていた一番の原因は我慢し続けたこと。

なので意識してか、無意識かは分からないが、自分を守るために感情を爆発させなければという強い防衛本能が働くようになった。

そういった理由もあり、イジメを耐え続けてきました。

これこそがイジメでうけた後遺症というわけです。

この防衛本能は強く働き、職場で嫌な人間関係に巻き込まれると、かつて抑え続けて我慢し続けた感情をむき出しにするようになった。

もうあの頃のように我慢し、惨めな思いはしたくない。

耐え続けた日々に恐怖し、それを振り払うかのように、時には職場の備品を蹴り飛ばし、時には仕事中に帰り…

どんどんと社会に馴染めない自分になっていった。

そんなことをしていく中で、働くことが怖くなり、自分を守るため、いつでも逃げられるように履歴書の電話番号や住所の欄にも嘘も書くようになった。

そして色々あり、新卒で初めて会社に入ったあの日から既に10年近くの月日が流れた。

「何があってもキレてはダメ」という大人が嫌いです。

大人はすぐに一般論を振りかざし、ねじ伏せようとしてくる。

自分にとって怒りを我慢し続けてきたこと、怒りを爆発させられずにいたことが、そもそも全ての根源なんだから。

「我慢」がどれ程の後遺症を与え、その人の今後の人生に大きな影響を与えるのかも知らずにキレイ事は言わないでほしい。

でも同時に自分にとって、「怒り」とは自身を守ってくれる強力な味方でもある。

たしかに手当たり次第キレて暴れてしまうのは、その後を考えると大人としての冷静さを欠いている行動だと思う。

なので今後はこの怒りと上手く付き合っていくつもり。

決して抑え込めばいい感情ではないし、これも自分の大切な一部なんだと認めてあげるのが、自分の為にも、関わっていく人達のためにも大事なんだと思う。

そして、あの日々の経験が自分を成長させてくれたのは事実で、今更になってグチグチ言ってもどうしようもないのも分かってる。

なので愚痴を言うのは辞める。

けど今イジメられてかつての自分の様に我慢の日々を耐えている人がいるのなら一言いいたい。

「我慢する必要はない。闘うなら思いっきりやればいいし、それが無理なら逃げてもいい。逃げるのも立派な戦略なので、後遺症を負う前、もしくはすでに負っているのならこれ以上傷が深くなる前に、逃げればいいと思う。誰もアナタを責めることなんて出来ないから」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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