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自分の居場所

令和元年11月9日
東京都新宿区にある日本青年館ホールで開催された「第68回全国青年大会 意見発表の部」に出場しました。

発表内容を記録しておくためにnoteにアップしました。
発表内容は「失敗ばかりだけど諦めずに成長してきた自分史について」です。
もしよかったら読んでいってください。

※この記事は4分で読めます。


タイトル「自分の居場所 」

【現在】
現在、私 は 26 歳で、リネーブルという 若者自立支援 団体 での 活動 でたくさんのことを経験しています。
畑を耕したり、数学や英語を教えてもらったり、習得したPC スキルを使って仕事を頂いたり。
努力を続けて出来る事を増やしてきました。
それらの経験によって「本当の居場所」を得る為には、どうしたら良いのかに気が付くことが出来ました。
しかし、この結論に至るまでには20年以上という長い時間を要しました。

【小学生】
私は幼い頃から生きにくさ と 疎外感を感じていました。
いじめを受けたり、裏切られたりしましたが、 そこから現状を変える為に筋トレや喋る努力を始めました 。
筋トレは今でも続けているし、喋るのが苦手だったのもだいぶ改善されました。
現状を打開するための努力を始めたこの頃が、今の自分の原点です。

【中学生】
中学では陸上部に入り、どんなにきつい練習もこなし、2 年生の秋、 私 はキャプテンに選ばれました。
努力を認められたと感じ、本当にうれしかったです。
しかし、50 人ほどの部員をまとめること は難しく、部は荒れました。
後輩にダメ人間だと言われようとようと、自分を殺して、必死に耐えました。
そんな中で、どうしたら皆をまとめられるか必死に考えました。
それでも協力してくれる部員もいて、私は最後最後まで頑張り抜くことが出来ました。
陸上競技で得た経験は、それ以降の人生でも、自信となり、心の支えとなりました。
しかし、同時に学校生活ではイジメを受けていました。
トイレに引きずり込まれて殴られたりしました。
ずっと強がっていましたが、それにも限界がありました。
このとき私は、自分の努力だけでは解決できないことに気づき、担任の先生に頼るという方という方法を法を選びました。
誰かに頼るという方法も含めて、逃げない選択をした結果、学校が少し居やすい場所になりました。
こうやって物事は良い方向に進んでいく、そう思いました。


【高校生】
私は高校生になりましたが、ここで、今でも今でも自分を自分を苦しめる問題に直面することになります。
私は、球技が下手です。
なので、体育の先生に付きっきりになってもらい暗くなるまで猛練習しました。
しかし、球技大会では、ガタイがよいだけで役に立たない私に、敵味方から野次が飛びました。
そして、間違いなくその出来事はトラウマになり、その後の人生に大きく影響しています。
今までは、立ち向かう選択をすれば物事は好転すると信じていましたが、高校生になって、それだけではどうしようもない壁に直面しました。
一方、陸上競技では過去の努力が結果を出し、体育大会のリレーのアンカーなどを頼まれて人気者でした。
物事が出来るかどうかで、ここまで天国と地獄を分けるのか。
無条件では、人は味方にはなってくれないんだと思うようになりました。
このように大変だった高校生活も、なんとか卒業を迎え、やっと苦しかった学校生活が終わったと、天にも昇る思いでした。


【社会人】
しかし、問題はまだ終わっていませんでした。
学生時代での苦手は、仕事にも影響しているようで、就職しても長く働き続けられず、早期離職を繰り返しました。
仕事が続かない原因は色々あります。
この頃から、生きづらいということいということをハッキリをハッキリ認識し始めました。
ある時、発達検査を受け発達検査を受け、、IQ検査の結果にショックを受け検査の結果にショックを受けました。
「あなたの限界はここまでです」 と、数字として叩きつけられたように感じました。
私は、打ちのめされました。

【リネーブル(居場所)】
ある仕事を退職してフラフラしていた時、友達が若者支援の居場所に行くというから私も付いて行くことにしました。
そこが、今でも通っているリネーブルという所です。
リネーブルは、若者の自立を支援する団体です。
私はここで、畑を耕したり、畑を耕したり、他愛もない話をしたり、楽しい時間を過ごしました。
今までどこに行っても疎外感を感じていた自分にとって、本当に久しぶりに気の休まる場所でした。
しかし、安心できるのと同時に無力感に襲われていました。
いつしか私は、頑張っていた学生時代の記憶にすがるようになっていました。
「あの頃はあんなに辛かったけど乗り越えた」「あの頃はみんなに認められた」
頑張りすぎて、完全に燃え尽きていました。
しばらくは、過去の自分にすがっては、出来ない言い訳を頭の中で繰り返す生活が続きました。


【リネーブル(パソコン)】
ある日、「西部君、パソコン触れると便利だよ」とスタッフから勧められました。
電源の入れ方も分かりませんでしたが、そこから、まずはタイピングの猛練習を始めました。
それからは、パソコンで何か仕事が出来たら良いなと思い、色々なことを勉強し、今では動画編集、イラスト作成などを出来るようになりました。
出来るようになると、「この仕事をやってみない?」等と、頼ってもらえることが増えました。
「ありがとう」と感謝され、役に立っている、という実感が持てるようになりました。


【まとめ】
疎外感を感じていた学生時代からたくさんの人に出会い、その中でリネーブルの人たちにも出会った今、思うことがあります。
それは、「本当の居場所が欲しいなら、誰かの役に立てばいい」ということ。
昔は、自分を殺してまでも、役に立たなければいけないという生きづらさを感じていました。
「自分が変わらなければいけない」と思い、「人は変われる」と自らに言い聞かせて、がむしゃらに努力していました。
そこには、孤独感や疎外感の恐怖がありました。
しかし今は、周りの人たちから受け容れてもらえるという安心感があります。
努力して、役に、役に立てて、そんな自分を自らもが認められて、初めて本当の居場所をみつけることができます。
そして、とくに頑張っている事は、2つあります。
ひとつは「収入を得る事」です。
今取り組んでいるのは、動画編集などで、22分くらいの動画を一本制作して5,000円くらい頂いています。
リネーブルという居場所には理解してくれる人達がいて、以前よりも業務外の事で悩みが減り、気持ちが楽になりました。
なので、今のように業務に集中することが出来れば、この仕事を続けることが出来ます。
目標は1年後には10万円ほどの収入を得ることを目指しています。
その為には、今度こそ投げ出さずに結果を出したいです。
もうひとつは「フットサル」です。
学生時代、「卒業したら二度と球技はやらない」と心に決めていたのに、周りの人に恵まれて、再び球技を始めました。
もちろん楽しいだけではなく、疎外感などの苦しい思いををする時もありますが、過去の自分を乗り越えるための再挑戦の場として、頑張っています。
今でも疎外感や生きにくさを感じることはありますが、人は変われるし、諦めなければ受け容れてくれる人も現れます。
努力だけではどうしようもない事があるのも知っています。
しかし、それでも自分なら乗り越えられると信じています。
たくさんの壁にぶつかり、挫折しながら、それでも自分を捨てずに、その中で、誰かの為になるよう、努力し続ければ、報われると信じて、これからも前を向いていきたいです。


これで発表を終わります。
ありがとうございました!

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