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父ちゃん、聞こえてますか

本日は父ちゃんがお墓に入った日
この日を、この記憶が薄まらないうちにここに留めておきます。

父ちゃんが旅立ってからも月日は過ぎていきます。
忙しい日々の中で、ふと寂しさを感じる瞬間があります。
最後の支えが無くなってしまったような感覚。

やっぱりもう一度ちゃんと話したかったな。
どんなに後悔しても貴方にもう会うことはできない。

こんな気持ちで今日の日を迎えました。
青く澄んだ空のもと、父ちゃんの車で、父ちゃんを助手席に乗せて
お墓へと向かいました。
もうすぐこの車ともお別れをしなければならないと思うと
少し寂しいですが。

山の上にあるお墓は晴れると海が見えるのですが、山道はとても
険しく、車で行くのが一般的です。
なぜか祖父母は歩いてそこに行くのが好きで、私たち兄弟は子供のときに
長期休みとなると山道を登ってお墓参りに行くのが定番でした。

そんなお墓に私が父ちゃんの遺骨を持っていく日が来るとは。
市の職員さんの立ち合いのもと、父ちゃんはお墓へと入っていきました。
とてもあっさりと。

最後のお別れって、こんなもんかと少し寂しい気持ちでいると
お坊さんがお経を読み始めました。
このお坊さんが語ってくれた内容を残したくて、今日これを綴っています。

お坊さんが語り始めます。
まずは私と一緒にお手を合わせて頂きありがとうございます。
この寒空の中、冷えた手もこうして合わせると温かくなりますね。
この、手を合わせて「南無」と言いますが、方角の南が無いなんて話を
しているわけではないのです。
インドでは挨拶の時に手を合わせて「ナマステ」と言いますが、ここから
来てるとも言われています。

へー、なんて感心しているとお坊さんはさらに続けます。

浄土真宗の教えの中に「諸行無常」というものがあります。
この世のものはたえまなく変化し続けているということを、ありのままに
述べている仏教真理で、例えばこのお供えした花も1か月もすれば枯れますよね。葉の落ちたそこの木も春になれば緑の葉をつけますよね。
残念ながら人の死も防ぐことのできない無常です。
万物は過去、現在、未来と流れていきます。
過去はどんなに悔やんでも戻ることはできません。
今こうして話をしている、今、現在があるのは誰のおかげですか?
父ですよね。母ですよね。そしてそのお父さんお母さんを生んでくれた
おじいちゃん、おばあちゃんのおかげですよね。
本当はもっと計り知れないほどの祖先がいて、あなたたちは今現在
ここにいます。
信博様が大切に紡いできた命が今日ここに集まっている皆さんにも
宿っているのです。
この過去から紡がれてきた命を大切にするために人は努力するのであり
その一刻一刻が本当に貴重なのです。

ちょっと心に刺さりました。

「生前」という言葉、よく使いますよね。
でもよく考えると不思議じゃありませんか?
赤ちゃんが産まれると、そこからの数えかたは「生後何か月」ですよね。
では「生前」は産まれる前ですか?
たいていの人は生きている間のことを「生前」と呼びます。
仏教では「往生」という言葉があります。
「往って生まれて仏に成る」。
浄土へ往き仏に生まれる、というのが仏教の成仏です。
つまり、仏に生まれる前が「生前」であり
信博様はこの「生前」が終わったので、仏となって
皆様を見守ってくださるはずです。
お墓に入ったわけでも、いなくなってしまったわけでもありません。
なので、手を合わせて目を閉じてお話をしてください。
また会えるはずです。

ちょっと涙腺が…

私が抱えていた後悔
そして伝えたかった感謝の気持ち

私のもやもやした心は今日の空のように晴れ渡っていきました。

正直、宗教というものに興味がなく
なんなら敬遠してきましたが、今日の話はすっと心に入ってきました。

まだ父ちゃんと話ができるんだ、と。

家に帰ると実家から預かってきたCDの束が目に留まりました。
正直誰かにあげるか売ろうかと思っていたのですが、試しに1枚
聞いてみると

父ちゃんの部屋から流れていた音楽
目を閉じると笑いながらテレビを見ている風景
そんな私たちを優しく見守る父ちゃんが

ちゃんと会えました。
ちゃんと話ができました。

いっぱい残してくれてましたね。
ゆっくり聞いていくので、また話しましょう。

父ちゃん
いままでありがとう。
そしてこれからもよろしくね。


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