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友達の親に泣かれた ~トラウマ吐き出し~

色々しでかして生きてきたので自分にはいろいろトラウマがあります。
トラウマって一言で言っても実際にそうなのかはわからないのですが、かなり長い年月が経った今でも鮮明に思い出せるので記憶に残るような思い出なのは確実です。

田舎の団地に住んでいた

今までの記事にも書いていますがかなりの田舎出身です。
環境は少し歩けば本屋やらコンビニやらお店があるエリアもありますが、基本 

山、田んぼ、畑、田んぼ、田んぼ、山

みたいな場所でした。
虫が死ぬほど出るので最悪です。
特にカメムシ。この虫に襲われすぎて今でも洗濯物は外に干せず、夢にも出てきて確実なトラウマになってます。
まぁ、虫が大丈夫でしたら良いかもしれませんがバッタやらカマキリやらも大量にでます😂 都市エリアに住んでたら出てこなさそうな巨大な蛾もたくさんでますw
モスラみたいなのとか、緑のやつとかw
1匹2匹レベルでなくて、団地の部屋に続く階段その各階の電気に4匹とか普通に止まっているレベルです笑 今考えると怖すぎw
私の親二人とも虫が平気なので普通に住んでいましたが、こいつらの私の心につけた傷は半端なく絶対もう自然豊かな田舎には住めません。
カメムシ怖いカメムシ怖いカメムシ怖い
目覚めたら目の前の布団に🐢が止まってたなんてあるあるですw
たくさんいるから逆に平気みたいな人もいますが、私は見かけるだけで冷汗が止まらなくなって呼吸ができなくなるレベルで苦手です。無理。

逆にカブトムシとかクワガタ、きれいな蝶もたくさんいました。
オオムラサキとかもたくさん見ました😂
触れないけどレアな蝶は見れたらうれしい。

以上、まずは前置きの田舎の団地の環境でした。

住んでた住人たち

うちみたいに普通のサラリーマン家庭も多かったですが、おばあちゃんの一人暮らしとか、シングルマザー家庭もちょいちょい。
幼少期なのでなんも考えずに生きていたので特に子供の時は団地暮らしは気になってなかったです。そして結構あるんですよね、団地って。
あと子供も私が幼少期だったころは子供も多く別の棟に住んでる同級生とずっと外で遊んでいた記憶があります。
4人家族とかになると部屋数の問題でプライバシ―なんて皆無ですが、大丈夫なら普通に暮らせると思います。

我が家は私と弟が小さいときは母親が働いていなかったのですが、途中から働きだしたので早々に制限にひっかかったのですがしばらくそのまま住み着いてました😂家賃も一番高いのを払っていたそうですが、家を建てるような判断ができる親ではないので私が高校卒業するまではそのまま団地に住んでましたね。追い出されはしなかった😭
現在は引っ越し済みです。

親が共働きだと団地の住民のなかだとまだ収入が高い方になるので、結構妬まれてましたね。レベルの低い争いですが。
父親だけ働いているってところが多かったですね、ファミリーで住んでる人たちは。母親がパートくらいはいます。
そもそも共働きだと余裕で収入制限にひっかかるんでしょうね。なので若い層はしばらくしたら引っ越す人が多いのも団地の特徴なのではないでしょうか。

田舎なので子供の総数もそんなには多くないので同じ団地に住んでる子供はみんな知り合いなので、年齢が違っても普通に遊ぶ人は多いです。

シングル家庭

最初からシングルの家庭より途中から父親がいなくなったパターンも多かったですね。女作って出て行ったような感じですが、気が付いたら友達のお父さんがいなかったパターンは何度か見ました。
母親に教えてもらってきがついた感じですが、言われてみたら最近みかけないなあそこのお父さんみたいな。
団地のようないろんな人が住んでるところはまぁでもそんなにみんな気にしません。似たような環境の人もちらほらいるので。

長々書きましたが、ここからタイトルの泣かれた友達の親が登場します。

友達のお母さん

その親は私と2歳違い(相手が年上)の女の子のお母さんでした。
その子の家庭はお母さんとその子、弟の3人家族でお母さんが働いて家庭を養ってました。シングルですが、その方の旦那さんはベランダから事故で落ちてなくなったので死別です。

友達はゲーム好きで同じくゲームもするオタクだった私は意気投合ししょっちゅう我が家でゲームをしていました。
今考えると2歳差にしては相手は幼い感じだったかな。
たまにその子の家にも遊びに行っていました。4階なのにガラスが割れていてそれをセロテープで補修していてびっくりしました。修理しないことにではなく、上の階に住んでるのにセロテープで留めてて外れて下にガラスが落下しないのかなってところにです。
(ちなみに我が家も私と弟がしょっちゅう喧嘩していた&神風〇〇ジャンヌに影響された弟が(←重要)新体操の真似をして棒にひもをつけてそれを使ってゴミ箱を回した際にガラスに激突して割れたやつが直さず段ボールで補修されて割れたままになってました笑)

我が家も部屋はわりとなんでも親ももらってくるからものが多く整理整頓なんてされてませんでしたが、友達の家もすさまじかったです笑
物が多い!!!
そこで友達のお母さんが帰ってくるまで二人、もしくは私の弟、友達の弟がいたりする場合もあるのですが楽しく遊んでいました。

今だと気にせず泊まりに行ってしまうのですが、小さいときは双方の親に許可をもらって泊まりに行くのが楽しみでした。
でも、相手の親は良いよって言ってくれるのにうちの母親は行っちゃだめ!!!ってキレて辞めるように言うのが普通でした。でも粘ると行けたりするので、たまに泊まりがけでいろんな友達の家に行っていました。
今考えると団地内の話なのですぐ駆け付けられる近所なのにダメなの意味わからん笑 

トラウマ事件

友達は久美ちゃん(仮名)とします。
久美ちゃんは子供同士だといい友達であったのですが、明らかに貧乏でした。そして無邪気。無邪気でいたいと思っていたのか、そもそも心が成長するのを彼女が拒んでいた感じもありました。
我が家はいわゆる中流だったのですが、うちの母親にある日久美ちゃんは貧乏くさくて嫌いだからあまり遊ばないでと言われてしまいました。
「お母さんに何がわかるの。いい子なんだからほおっておいて、口出ししないで」
と言い返したのを覚えています。
私の母親は少し無自覚に毒親っぽいところもあり、私と同じ発達障害持ちだと思っています。
まさか親にそんなこと言われるなんて思っていなかったのでめちゃくちゃショックでした。貧乏なのは久美ちゃんが悪いわけではないのに。

このことも今でも強く覚えています。
人の物をとったり暴力振るうような子ではなかったのです。

そして、ある日私は久美ちゃんの家に泊りがけで遊びに行くことになりました。相変わらず絶対一度は泊まりに行っちゃだめと反対する母親なのですが、人のおうちに遊びに行くときは何かしら持たせてくれます。
この時はチキンを持っていったことだけははっきり覚えてます。チキン以外にも何個か持たされていましたが、他の物は覚えていません。

「久美ちゃーん!!遊びにきたよーーー!!これうちのお母さんから、、、、」

手土産を久美ちゃんのお母さんに渡した瞬間

「なんでこんなことするの!!????!」

と突然怒鳴られました。

この時私は小学生。しかも3年とか4年生とかそんなときです。
自分の親以外から怒鳴られたこともほぼありません。

頭が白くなりました。
なんで、なんで怒鳴られてるの??

そのあと久美ちゃんのお母さんはチキンを見たまま泣いていました。

意味が分からない。
いつもと同じようにしただけなのに。
何もしていないのにひどい罪悪感を感じました。

でも、子供ながらにうっすらわかってしまいました。
久美ちゃんの家はチキンなんて普段食べれないんだと。
うちの母親が一晩娘がお世話になるからとお礼のために持たせた料理がただの嫌味に感じてしまったのだと。
きっと私一人が泊まりにいくのだけでも対応できないのではないかと私の母親に思われてしまったのではなのかと。
きっとこんな反応されなかったら何も思わなかったのに。

今でも鮮明に思い出せます。

久美ちゃんも
「お母さん!やめてよ!!」
と止めてくれていました。

きっと久美ちゃんのお母さんは私の母親が久美ちゃんを嫌いなように私のことも嫌いだったんじゃないかなと思います。
子供の友情は家が干渉してくると簡単に終わってしまいそうです。

結局その時はしばらくしたら久美ちゃんのお母さんは泣き止んで普通になりましたが、子供の私の心に大きな傷を残しました。
誰も悪いことはしていないのに、環境が違うだけでこうなるんですね。
他の友達のお母さんに渡したときは、わー!ありがとう。ともらってくれたのに。

その後


その日以降も久美ちゃんとも遊んでいましたが、久美ちゃんの家には遊びには行かなくなりました。久美ちゃんのお母さんにいつまた何を言われるかわからず、久美ちゃんにも近寄りにくくなりました。
そして2歳差だったので久美ちゃんは先に中学に上がりほとんど会うことがなくなり、2年後同じ中学校に私も進学しました。
中学校では自分はそこそこ厳しい部活に入り、その部活の3年生がなんとなく久美ちゃんをいじめていた気がします。久美ちゃんも仲が悪くなったわけではないのでタイミングが合った場合があり久しぶりに遊ぼうよ!となって団地のそとでいい歳して2人でローラースケートをしました。
翌日部活の3年生に、
「ねぇ昨日久美さんと外でローラースケートして遊んだんだってね?ぎゃはははは」
と言われなんとなく久美ちゃんと仲がいいと先輩に伝えるのはやめておいて方が良いかなと思ってしまいました。これはきっと久美ちゃんが先輩にからかわれて「ねぇねぇ何か面白い話ないの?」みたいな話から「昨日ローラースケートをしたよ!」みたいな返事をしたんだろうなと予想できました。
ちなみに部活内全員が知ることになり、ローラースケートなんてガキみたいな遊びはやめたほうがいいwと言われました。田舎なので一度部活のような狭いコミュニティで脱落したら3年間終わりです。
ちなみに中学校は部活必須でしたが、久美ちゃんは卓球部の幽霊部員でした。1年に数日しか休みがないような部活に入っていた私はいつの日か部活優先の部活での人間関係中心の人間となっていました。
子供のまま成長したような久美ちゃんは学校でも浮いており、ギャルの先輩たちにからかわれているのをたまに目にしていました。
友達甲斐がないって思われそうですが、部活必須の環境で部活に入っているのに毎日普通に帰宅してゲームばかりしているのはどうなんだと思ってしまっていました。ほかの人はみんな頑張ってるのに。
幽霊部員の人はうまくさぼれてるやったーみたいになっているのかもしれませんが、頑張ることをせずにってその後は大丈夫なのだろうか。。。。
ちなみにどうしても頑張りたいことがあるのに部活がない!みたいな人は別でそれに専念していいよ&1年に2回発表会があるからそれで成果の報告はしてねみたいな部活も用意されていたので彼女は完全にただの幽霊部員でした。

その後久美ちゃんは先に卒業し、ほぼ内申点で稼いだ推薦で地元の商業高校へ進みました。まだこの時は連絡は取っていました。
自分は別の高校に進んだのですが、団地にまだ住んでいたので道でばったり会った時とかは話はしたりうちに呼んでいたりしていましたね。

関係が変わったのは久美ちゃんが高校を卒業して、就職した後でした。
この時もまだ仲は良かったのですが、いつまでも小学生のように無邪気な久美ちゃん大丈夫?と思っていました。
彼女は食品を作る工場で働き始めていました。
どうやらかっこいい男の人がいるそうです。

「かっこいいお兄さんがいて、いつも私に会いに来てくれているのに外で鬼のような女先輩が止めてて毎晩騒いでるの」

と、久美ちゃんはある日言い始めました。
メールをしていても、今外で女先輩が騒いでいて危険でお兄さんが止められている。といった内容の話ばかり。

久美ちゃん本気で大丈夫か??
私は心配になっていました。
近所だし見てこようか?と伝えても危ないから外にでるなの一点張り。

そしてしばらくして久美ちゃんが入院したと聞きました。
2年後くらいに私が遠方の短大に進学し、実家も団地から引っ越したあとに久美ちゃんから連絡があり統合失調症と診断されて家で療養しているといわれました。
その後またそっちに私が帰った時には遊ぼうねと約束して久美ちゃんに会うことはありませんでした。

今思い出しても楽しい思い出ばかりだったはずなのに、衝撃がでかかった泣かれた記憶しか鮮明に思い出せません。
元気なのだろうか。
無邪気なのは良いことなのかもしれないけど、自分も守るためには強くいないといけないんだなって思いました。
久美ちゃんもうあの時には戻れないけど、あなたがいてくれたおかげで私の幼少期は楽しかったです。次に今の人生で会えたら話したいことがたくさんあります。次の人生で会えたら今度は親やその周辺の人たちに惑わされずにたくさん遊ぼうね。







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