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勉強と学問の違いとは?

漢字というのは面白いもので、その意味は字にそのまま現れているということがよくわかります。
今回記事のテーマに取り上げた「勉強」と「学問」という言葉もその例に漏れません。

「勉強」は、勉めて強いる
「学問」は、学び問うと書きます。

よく、「勉強したくない」「勉強が嫌いだ」「勉強をする意味がわからない」という子どもたちの声を聞きます。かく言う私も、あまり勉強は得意ではありませんでした。
しかし、「学問が嫌い」「学問をしたくない」という言葉はあまり耳にしません。
それと同じように、「勉強しなさい」はよく聞く言葉ですが、「学問しなさい」という言い方はあまり聞かないように思います。ここに、「勉強」と「学問」の大きな違いがあると言えるでしょう。

勉強という言葉には、「やらされている」「やりたくないことだが、やらなくてはならないと強いられている」というニュアンスが入り込みます。これが、勉強が嫌いになる原因であり、なんとなく嫌だと感じるものの正体ではないでしょうか。
では、学問はどうでしょう。学ぶと問うに分けられる言葉ですが、これには、「なぜだろうと疑問に思ったことを追求する」「問いを立てて学ぶ」というニュアンスが入ります。

つまり、この2つの言葉を分けるのは、自分でやるのか、他人にやらされているのかという、主体性の有無であると言えます。

学問というと少し難しく聞こえますが、小さい頃は誰しもしたことがあるのではないでしょうか?
例えば、「あれは何?」「これは何?」「なんで空は青いの?」といった具合に、「なぜ」や「何」という疑問を親や先生にぶつけていたことがそれにあたります。このように、まさしく学問と呼べることを小さい頃にも自然としていたということに改めて気付かされます。それがいつしか、小中高と進んでいく中で、勉強に変わっていくことで、できるものは面白いけれど、できないものはやりたくないので、「つまらない」「やる必要がない」というように、やらなくて良い理由探しをしてはいなかっただろうかと、今になって振り返って考えているところです。

今回、やなせは初めてnoteを書きました。
大学は勉強するところではなく、学問をするところだというお話を聞いて、それをもとにこの記事を作成しました。私は将来、学校の先生になりたいと考えているので、大学だけではなく、小中高どの段階であっても、子どもたちにはぜひ勉強ではなく学問をしてほしいと考えています。そうなるように、まずは私自身が勉強ではなく、学問をするように心がけようと今、楽しみながらまさに奮闘しているところです。
しかし、中には勉強が好きだという人も一定数いるでしょう。それを否定するつもりはありません。なぜなら、そういう人は、すでに学問の考え方ができている人だと思うからです。幅広い分野に触れて教えてもらったことから自分で考えたり、調べたりして学んだこと同士を繋げて体系化していく過程そのものを楽しいと感じられる知的好奇心を持っているということは、とても素晴らしいことだと思いますので、その長所を大切にしてほしいと思っています。

このような形で、今後も私が日々学んで感じたことを交えつつ、記事を発信していけたらと思っています。独りよがりにならないように、この記事を読んでくださった方にも得られるものがあるように、何かしら少し立ち止まって考えるきっかけとしていただけるように心がけて参りたいと思います。

それでは、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。またお時間のある時に、そっと開いてみていただければ幸いです。

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