見出し画像

【3】誕生日(?)に母親と子どもとが集まって料理を作ったり作らなかったりする夢をみた

夢はきっと現実の何かの投影であると信じている。

築50年ほどの県営住宅の台所は、2人も立てば身動きできなくなるほどの狭さだった。

今日は私の誕生日らしい、
そこだけ不釣り合いに広い居間には長いちゃぶ台があって、
茶碗やらお椀やら香の物やらなんやらが所狭しと並べられていた。
久しぶりに会った母は、
何か愚痴とも私へのお小言とも思えるような軽口を、
それでも嬉しそうに喋りながら鮭のムニエルを仕込んでいる。
やれやれまたですか、と思いながら聞く私もそんなに嫌な気はしない。
そう思えるくらい、長い年月が経っていたようだ。

息子たちも手伝いに入ってくれて、
なんだかんだで和やかに夕餉の支度は進んでいく。

じゃあそろそろムニエル焼きましょうかね、というところでふと、
ご飯を炊いてないことに気付いた。

母は段取りが狂うのを嫌う人だ。
、というより、自分の思うように事が進まないと愚痴が増える人だ。
母親の愚痴は聞きたくないしご飯がないのはさみしい、歩いて5分ほどのスーパーで何か買ってこようか、あああ母親がフライパンにバター入れ始めたよ、
などとあたふたしていると息子が、
どうしたの、と聞いてくるのでご飯を炊き忘れちゃって何か買いに行こうかと思って、と言い終わる間もなく

「ご飯ならあるよ」

と息子。
見ると、ちゃぶ台の上には銘々のご飯がきれいに茶碗によそわれていて美味しそうに湯気を立てている。
隣には作った覚えのない汁物まできちんと。

………手品師かよ。

息子は澄ました顔のままだ。

夢でなければ食べるのに困ることはないのに………
非常に残念な目覚めだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?