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◆取材◆マンチェスターで香川選手に謝罪した話。

香川選手への取材活動において、
とても記憶に残っている事件がある。

私は編集者として主に
男性向けの雑誌を作ってきた。
ファッション、スポーツ、芸能、
クルマ、旅、インテリアなど、
様々なジャンルがあるが、
唯一担当してこなかったのが
腕時計だった。業界でも屈指の知識をもった
時計担当が編集部を辞めることになり、
わたしは「お、やってみよう」と思った。
そのとき、だいたい34歳。
男性誌の編集をやりながら、
私は実はあまり物に興味が
あるほうではない。
でも、「ゲーテ」という男性誌を
作っていくのであれば
腕時計を勉強する必要があると考えた。

必死で勉強して、正直あまり
興味のなかった「時計」を
「俺は時計が好きだ!」と念じながら(笑)
雑誌や書籍をゆっくり読みあさり、
時計ブランドの新作を見に足しげく通い、
やがて年間4~6回くらいは
スイスにも行くようにもなった。

僕なりにどうやって時計を
表現しようかなと模索した。
機構や素材や歴史は、
やはり時計誌には叶わないし、
うちの読者はそこにそんなに
興味はないのではないかと考え、
もっと「腕時計は自己表現だ」
という世界観を提案していこうと、
そう考えた。

アクティブに見られたいのか、
物静かな堅実な人に見られたいのか、
その人の想い、人生の哲学、
キャラクターを腕時計選びにも
投影すべきだと考えていた。

その時にウブロという腕時計が台頭してきた。
ウブロは高級腕時計ブランドとしては初めて、
大衆スポーツであるサッカー界に進出した。
ワールドカップの公式タイムキーパーや
サッカー選手を使った広告なども打っていた。
アスリートに支持され、人気を博し、
私も様々なアスリートを起用して、
ウブロの記事を作った。

知らない電話番号から電話がかかってきて
「ウブロを買いたいから一緒に
ブティックに行って欲しい」という
アスリートもいたくらいだった。

またまた正確には覚えていないのだが、
ウブロジャパンの方に相談を受けて、
マンチェスターユナイテッドに加入した
香川真司選手のチャリティーイベントを
行うことになった。その年、ユナイテッドの
公式ウォッチがウブロで、腕時計の
お披露目を兼ねたイベントだった。


「一週間後の〇月〇日、
ウブロのイベントがあるようですね。
よろしくお願いします」

私は、確かショートメールで
香川選手にそう伝えていた。

日本とは時差があるから、
かけることはないだろうけど、
一応電話番号は教えてもらっていた。
何かあったときのための保険的に。

当日、私は仕事の都合で当日の朝、
ドイツからマンチェスターに飛んだ。
この日、飛行機が飛ばなかったら
アウトなので当日入りはすこし
ギャンブルだった。

オールドトラフォードに着くと、
イベントの準備が整っていて、
会見場もセットされていた。
でも、約束の時間になっても
香川選手が現れない。オーノー。
日本のメディアも来ていたし、
欧州にいる通信員の人たちも
ある程度集まっていた。
「あれ?来ないの?」。
そういう空気になったし、
ウブロジャパンの方も、少し焦っていた。
ユナイテッドの女性の広報さんに
「香川選手に連絡をしてください」と
話したのだけど、一向に動かない。
「これは私たちが動くイベントではない」
という主張だったと記憶している。

まじか、、、電話するしかない。。
マネジャーでもないわたしが
香川選手に電話をするのは非常に気が引けた。
プライベートならまだしも、これは完全に
仕事だった。怒られるのを覚悟で、
僕は広報さんの前で電話をすることにした。

電話には出てくれた。
でも、寝起きのような感じだった。

●わたし「おはようございます。
今日ウブロのイベントが
オールドトラフォードでありまして、、、」
●香川さん「今日はファーガソン監督
に休みって言われたんですよね」
●わたし「そうなんですね。
説明はあとでするので、、、
来てもらえませんか?」
●香川さん「(戸惑いつつも)わかりました」

30分後、香川さんは私服でやってきてくれた。
無事にイベントが行われ、事なきを得た。
とはいえ、香川さんの休みを潰してしまった。
どんな齟齬があったのかはわからないけれど、
翌日、スイスにいるウブロのお偉いさんに
来てもらい、一緒に香川選手に謝った。
そのときに、香川選手のオリジナル時計を
作ろうという話になったり、後々、
同じLVMHグループである
タグ・ホイヤーとの契約に話は
つながっていくのだが、、、

そのときは「申し訳なかったな」という
思いが強かったし、「これでもう仕事が
できなくなっても仕方がないな」とも思った。
香川選手はとても優しい人だけど、
とても繊細な部分もある。
選手との距離感に関して
改めて考えさせられた仕事
として記憶に残っている。

どんどん食い込んでいっていいのか、
ちょっとした間合いが必要なのか。
気を付けているつもりでも
何らかのきっかけで信頼を失う。
スポーツ記者でもないけれど、
後の取材活動の糧となった
出来事だった。