2020東京五輪のない世界線を生きる

 コロナ下において延期となった東京オリンピック。

 私は先日の4連休を過ごしながら、「これはまさに別の世界線をいきているようだな」と思った。

 少なくとも私の心の中では、2020年のオリンピックの開催地が東京に決定したあの日から、オリンピックは必ず開かれるだろうと信じて生きてきた。さして楽しみにしているわけでもないし、むしろ開催について反対するような意見をもっていた。

 けれども「結局は開催されるんだろうし」という諦めまでもいかない大前提というものが存在していた。それは大きく言えば「将来の夢は太陽になること!」というのを聞いたときに思う「絶対無理」といった感情に近いもので、当たり前として「東京オリンピックはなんやかんやいいつつ2020年に開催されるもの」と思い、街中にあるカウントダウンの看板も、テレビから流れる選手インタビューもぼんやりと眺めていた。

 しかし2020に東京オリンピックは開催されなかった。

 まるでタイムリープ物のアニメのように、きっとこの東京オリンピックが開催されなかった世界線は本線ではなくて、数あるうちの可能性のひとつであったのだろうなと思った。

 なにか大きなイベントや、出来事、事件があると、時に私は「このことが起きなかったら世界はどうなっていたんだろうな」と思う。それらが起きなかった世界の私は全く違った世界を生きていて、価値観や感情が変わることもなく、その出来事とは違ったことに心動かされ、気づき、生きているのかなと思う。私自身にはそういう世の中の出来事によって形成されている部分が必ずしも存在している。

 私は2020年に東京オリンピックが開催されなかった世界を生きている。


 っていう7月ごろに書いた文章の加筆修正。

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