本質的なことってなんだろう。
仕事がなくなった。10月くらいから動くかなっていってもらっていた仕事が、年内はもう動かないねってなって。あ、死んだって思った。
いや実際は死なない。不安定なフリーランスだ。恥ずかしいが実家住まいだし、当面は生きていける。恥ずかしいだけで生きてはいる。精神は瀕死だけど。
今まで仕事をくださってたのはみなさん優しい人たちだ。
「やばいです!助けてください!」
おそらくそう言ったら、大変だ、かわいそうだと思って、声をかけてくださる方がいたり、仕事もいただけることがあるかもしれない。
でも、それって私が望んでいたことなんだっけ。
私って何ができるんだっけ。
そう思ったら。あ、今「助けてください」って叫んではいけない。2年後の私が死ぬ。
そう、思った。
どこかで、
「今は助けてくださいと叫べてた人が助かる」
そんな言葉を見かけた気がする。SOSは明確に出した方が双方分かり易いし、それは嘘じゃないはずだ。でもそれは進んでいきたい方向が示せる人が助けを呼ぶ場合に限る。と注釈がつくと思う。
さて、じゃあ私って何ができるんだっけ。
・CADが使える。
・簡単な内装図面がかける。
・3Dパースが作れる。
・イラレ、フォトショがある程度使える。
・模型が・・・
この時点で「コイツ」めちゃくちゃダサいな。と思ってしまったのだ。南無。
ソフトが使えるのは文字が書ける。って言ってるようなものだ。そこに本質的なものは何もない。
器用貧乏の塊。それが私のコンプレックスだった。そして今また、それをまざまざと見せつけられている。自分に、自分から。
そうやってPCの前で、思考停止していたときに思い返した会話がある。数年前、道でばったりとバイト仲間のHくんと出会した時のことだ。
彼とは二年くらい同じバイト先で過ごした友達の一人で、少し先輩の彼が就職した事務所にもバイトで呼んでもらったりしていた仲だった。
彼はPC作業がからきしで、いつも模型作業担当。
一方、私はPC作業が得意だったので、どちらにも割り振られることがあって、彼が模型を作る時、模型用のデータを作って渡してあげるということもしばしばだった。自分で覚えたら仕事が早くて楽になるだろうに。なんてぼんやりバイトしながら思っていたものだ。
彼も事務所にスタッフとして入ってからは頑張ってPCの操作を覚えて作業していたようだけれど、久しぶりに出会したのはその事務所を辞めた後のことだった。
「やめちゃったって聞いたよ。PC使うのとか、大変そうにしてたもんね」
そんなようなことを私が口にした後、前より少しくたびれた彼はなんてことなさそうに、
「でも、それって重要なことじゃないからさ。」
そういった。
そう。彼は正しいのだ。それは重要なことじゃない。便利な人間は使いやすいけれど、それだけだ。私はその言葉に「本当にそうだよね」としか返せなかったと思う。
それ以来、時折彼の台詞を思い返すのだ。
そして今また、突きつけられている。
私にとって本質的なことって、なんだ。
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