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「丹下左膳余話 百万両の壺」について

「丹下左膳余話 百万両の壺」は昭和10年の映画。監督は山中貞雄。山中貞雄(1909ー1938)は日本の映画監督。日中戦争に出征し、現地で赤痢に罹り28歳の若さで亡くなりました。(昭和13年)

山中貞雄は監督として24本の映画を撮りましたが、残っているのは、「人情紙風船」(昭和12年)「丹下左膳余話 百万両の壺」(昭和10年)「河内山宋俊」(昭和11年)の3本だけです。

この3本はどれも素晴らしいですが、今回は「丹下左膳余話~」について。

 百万両の隠し場所が塗り込められた「こけ猿の壺」をめぐる丹下左膳と柳生一門との争奪戦に、左膳が居候をしている矢場の女主人お藤と孤児のちょび松とのエピソードを絡めたホームコメディ。(Wikipediaより)

 そうこれはコメディなのである。丹下左膳という名前で大立ち回りがメインかと思いきや、丹下左膳は矢場(矢を的に当てて楽しむ遊技場のようなもの)の居候でまあヒモのような感じですね。若き大河内傅次郎と本物の芸者である喜代三(きよぞう?)がメインで孤児のちょび松がドラマに絡む感じです。丹下左膳は威勢が良いが、お藤に頭が上がらない。お藤はあまり子供好きではない。劇中で喜代三の小唄が披露されるが、これは本当に上手い。本物の芸者だから当然か。

 小津安二郎の映画は情景をぐっと凝視するようなカメラの長回しが特徴ですが、この山中作品にも何か所かそのようなカメラワークがあります。山中貞雄と小津安二郎も監督仲間であり、当然小津は山中貞雄の映画を観ていたから、ひょっとしたら小津は山中作品から映像の長回しを学んだのかなと思いました。小津は山中貞雄の墓碑を揮毫しています。

 また、映画の中でのっぽとちびの屑屋のコンビが出てきますが、これがスターウオーズに出てくるC3POとR2D2を連想してしまいました。

 山中監督の他の作品「人情紙風船」も「河内山宗俊」も庶民の哀愁を描いて秀逸ですが、この作品も丹下左膳を主人公にしながら、チャンバラ時代劇にならず、下町の人情噺の風情を醸し出しているようです。もっとも原作者の林不忘は原作のイメージにそぐわないと苦情を言ったそうですが。

 この古いモノクロの映像、今の映画のような高画質でもない、音声もいまいち明瞭ではない、でもその中に何か、映画の本質が潜んでいると思います。普遍的な何か、これがこの映画を永遠の存在にしていると思います。

 観てみると分かるのです、良いものは時代を超えて生き続ける、それは見ることも触ることも出来ませんが、この映画の中にも存在しています。

山中貞雄が生きていたら、どんな映画を撮っただろうか。観てみたかったなあ。

 




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