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ノンフィクション

ー始めにー

皆さんこんにちは、こんばんは。
闇夜 紫月。と言います。
この記事はタイトルの通り、ノンフィクションの僕の実体験をまとめたものです。
何年も前の出来事もあるので覚えてない部分も多いですが、頑張って思い出して書きました。
誰にも理解されない事は重々承知です、でも中々こんな実体験を赤裸々に書く人は少ないと思ったので、勇気を出して一度まとめて書いておこうと思って書きました。
全く面白くないですし、こんな他人の体験を知った所で何にもなりませんが、「世の中にはこういう事もあるんだな」程度にでも、知って下さったら幸いです。

ー注意事項ー

・僕の性別は女です。ですがインターネット内では一人称を「僕」や「俺」にして使っています。今回の記事の本編では、当時の僕は一人称が「私」だった事と、父親と娘という関係値を分かりやすくする為、そしてリアルとインターネットの区別を分かりやすくする為に、一人称を「私」としています。
・小説ではありません。あくまで僕の実体験を文字に起こしてまとめた物です。
・少しでも読んで頂いた方に分かりやすいように、正確な表現とは少し変えている部分があります。ニュアンスは多少違いますが、ほとんど一緒です。
・被害者側からの意見なので誇張表現等があるかもしれません。
・何年分もの実体験を凝縮しているとはいえ、5年以上あるので凄く長いです。起こった順番は若干うろ覚えなのですが、大体は合ってると思います。
・この記事を執筆する際に、頭痛や発熱等の体調不良を起こしながら、「書きたい!伝えたい!」と心を込めて書きました。アンチコメントや他の方が気分を害すようなコメントはお控え下さい。コメント自体はとてもありがたいので、コメントをする際は最低限のマナーは守って頂けると助かります。
・気分を害す方がいるかもしれません。予めご了承を願います。気分を害された方は、ご自分でブラウザバックをお願い致します。

以上の点を踏まえて本編をお読み下さい。
よろしくお願い致します。

ー本編ー

小学5年生、夏。

早朝4時頃、突然目が覚めた。
まだ蝉の鳴き声する季節、少しずつ明るくなってきた頃。
脚に何かが触れて動いている、そう感じた。
不思議に思いながら脚元を薄目で見てみると、そこには父親の手があった。
普段なら真隣の布団で寝ているはずの父親が、私の横に左手で頬杖を付いて寝そべっていて、パジャマから出た私の生脚を何の躊躇いもなく触っていた。
見た瞬間、声が出そうになった。
反射的に動きそうになった。
でも、それよりも恐怖が大きくて動けなかった。
頭がパニックになって何も考えられなかった。
もしかしたら夢かもしれない。
そう思った私は、とりあえず寝る為に目を瞑る事にした。
その後、父親は10分程私の脚を触って寝た。
私も眠りに落ちた。

朝になった。
何事も無かったかのように毎日のルーティーンであるコーヒーを飲む父親。
その姿を見て「なんだ夢か あんな気持ち悪い夢、なんで見たんだろう」そう思った。
だけどその夜、夢が現実だと知った。

昨日と同じぐらいの時間に目が覚めた。
同じ感覚、同じ気配、同じ匂い、嫌な予感がした。
ゆっくり目を開くと昨日と同じ事が行われていた。
そこで終わればまだマシだった。
日が増えるごとに過激になっていった。
遂にパンツのギリギリまで手を突っ込んできた。
流石に私は動かずにはいられずに寝返りを打ってみた。
すると父親は一回手を抜いて、もう一度突っ込み直してきた。
凄く嫌だったけど、この時はまだ良かったかもしれない。

小学6年生、夏。

この頃から胸が膨らんできた。
小学6年生、当たり前だ。
「若いから寝る時ブラは付けない方が良い」
母親にそう言われて、夜は付けないで寝ていた。
父親はそれを良い事に、パジャマの上から胸を触ってきた。
また過激になる一方だった。
父親にされるがままだった。
そのうちパジャマの上から胸を揉んできた。
乳首を触ってきた。
遂には直で触ってくる事もあった。
この時点でもう耐えられなかった。
でも言えなかった。

昔から夏は嫌いだった。
暑いし、肌焼けるし、蝉うるさいし、虫刺されるし、汗かくし、夏は本当に良いことがない。
そこに、この年から「布団が少なくなって父親に触られるから」という理由が増えた。
馬鹿げた理由、でも夏が嫌いな一番の理由。

中学1年生、夏。

母親に頼み込んで、布団の順番を変えて貰った。
今までは和室で、左から父親、私、母親、姉、の順番で寝ていたが、私と母親の場所を逆にして貰った。
私は母親と姉に挟まれて寝る形になり少し安心していた。

ある日、姉が怒鳴っている声で目が覚めた。
私は気が付かなかったが、私と姉の間に父親が居たらしい。
その気配に気付いて起きた姉が、父親に対して怒鳴っている、という様子に見えた。
母親も起きてきて朝から喧嘩が始まってしまった。
眠たかったからあまり覚えていないが、「何で同じ事するの?」、「〇〇にはやめてよ」、「〇〇は言わないだけだって」的な事を、姉は泣きながら言っていた。
この時初めて知ったが、話を聞いていると約10年前、姉も同じような事を父親から受けていたようだった。
でも姉は私とは違って母親に相談したらしい。
しかも、その時に「もうやらない」と約束したらしい。
でも今こうして目の前で起こっている。
「もしそうだとしたらこいつ、全く反省してないじゃないか 信じられない」と思った。
私が人間不信になった最初のきっかけだった。

中学2年生、夏。

姉が泊まりで家に居なかった日。
何かの液体を唇に付けられた感覚で目が覚めた。
少しずつ目を開くと、案の定父親が居た。
父親が去ったあとに確認の為、手で唇を触ると確かにしっとりとした感覚があった。
「やられた」そう感じて死にたくなった。
すぐさまトイレに行くふりをして洗面台に向かった。
必死に洗い流した。
見ていないから分からないけど、多分これが私のファーストキス。
もっとロマンチックなものだと、女の子なりに夢見ていたのだが、そんな夢は一瞬にして潰えた。
もしファーストキスじゃなくても嫌、そもそも好きでもない男に触られる事自体が嫌だ。

また別の日。
その日はたまたま私が寝相が悪くて、母親と私の寝ている場所が入れ替わっていた。
つまり父親の真隣に寝てしまっていた。
今までと同じように夜中に目が覚めた。
すると父親のペニスが私の頭に擦り付けられていた。
少しずつ私の頭の上でペニスが勃起していく感覚。
いつまで経っても忘れるはずがない。
今でもその光景を思い出す。
その感覚を思い出す。
悪夢のような現実だった。
でもこの一回で終わったから良かった、そう思う事にした。

この頃、同時期に父親が設置したとされる最初の隠しカメラ一台がリビングから見つかった。
場所はテレビ台の下、ちょうど正面から見たらバレにくい場所。
隠しカメラを置くには最適な場所だった。
私も姉も母親も、自分の部屋というものを持っていなかったから、リビングで着替えていた。
その様子が全部カメラに収められていた。
恐怖だった。
少なくとも半年はそこにあったと思う。
最悪な事にその事に最初に気付いたのは私だった。
「隠しカメラがある」などと母親や姉に相談出来る勇気は私には無い。
次の日に見たら、隠しカメラ機能が無い別のものと交換されていた。
今でもその別のものが置かれている。
見間違いだったとでも思い込ませたいのだろうか?
別のものが置いてあるだけで気持ち悪い。
この時はこの一台で終わると思っていた。

中学3年生、夏。

遂に布団の場所を家族全員で寝ていた和室から、母親と私だけリビングに移す事になった。
理由は「寝ている間に先に起きる父親に足を踏まれるから」。
以前から足を踏まれる事は日常茶飯事だったが、良い機会だと思い母親に打算してみたところ、すんなりと納得させる事が出来た。
姉はもう実家を出ていたから、父親はそのまま和室に、母親と私はリビングに布団をひく事になった。

この年、隠しカメラが二台見つかった。
一台は脱衣所。
父親の洗顔料の容器に小さく穴が開けられていて、そこにカメラがあった。
こっちは1ヶ月以上は気付かなかったから、ずっと私たちの裸を写していただろう。
一台目が見つかった時から、私なりに警戒していたつもりだったのだが甘かった。
もう一台はトイレ。
消毒液の容器が改造されていて、トイレットペーパーホルダーの上のスペースに堂々と置かれていた。
こっちは母親もすぐ気付いて怒っていた。
私もすぐに気付いたから、設置されたのはその日だと思われる。
「今もまだ何処かに隠しカメラがあるかもしれない」そう思うと恐怖だ。
この隠しカメラの事があってから、変わった事がないか毎日周囲を無駄に観察するようになった。
良い事だけど、こんな事で身に付けたくなかったのが本音。

幸いな事に中学3年生の年は、隠しカメラ以外はこれと言って大きな被害は無かったと記憶している。
勿論、何も無かったという訳ではない。
脚を触られたり、胸を触られたり、夏の間の約3ヶ月だけだがそんな事は毎日のようにあった。
そんな中、私は中学3年間を無遅刻無欠席で卒業した。
勉強も、部活も、委員会もやって、優等生過ぎるくらいに頑張っていた。
中学時代は吹奏楽部に所属していて、1.2年生の時は朝練があったから毎日6時起き。
6時40分に家を出て、7時に校舎が開く。
吹奏楽部は文化部だけど、運動部なのは本当だ。
平日は毎日部活があるし、土日はどっちか必ず一日練。
コンクール前や夏休みは連日一日練。
あり得ないほど忙しかったし、心身共に疲弊していた。
でも父親はそんな事は知らない。
夏休み中、昼は部活、夜は塾、夜中は父親、ストレスが溜まりに溜まっていたが我慢した。
中学3年生では、文化祭の委員長を務めた。
文化祭の委員自体は3年間務めた。
2年生の時に先輩に自分から「来年委員長やります!」と言ってしまったから、しょうがない。
立候補して、多数決で決まった。
委員長としての主な仕事は、毎週ある委員会の司会進行、リハーサルや決起会の委員長としての長ったらしい言葉(勿論一人で文章を考える)、月に一回ある生徒会の議会への出席、その他「委員長だから」と言って先生からお願いされた仕事など。
これ以外にも委員としての毎日の歌練習の指導、毎朝クラスのスケジュールを「今日のメニュー」としてボードに書いて朝の会で全体にお知らせ、思い出作りとして前日に渡すクラス全員と先生への手紙の作成、手紙を書くだけの為に毎日一人一人をよく観察して、良い所と悪い所を探す。
言ってしまえばやらなくても良いことまでやっていた。
歌練習の指導なんか自分で言う事ではないが、音楽の先生レベルで指導していた。
40人分の手紙なんか私以外に作ってる人は居なかった。
手紙もただの紙に書けば良いのに、わざわざ折り紙まで折った。
でも「自分だけにしか出来ない事」にこだわって、文化祭の委員をした3年間、勝手に自分の意思だけでやり続けた。
常に色んな事を心配しなければいけなかった。
やらなければいけない事が多かった。
自分の体や心の心配をする時間が無かった。
でも、そのぐらいでちょうど良かったのかもしれない。

高校生になってから気付いたのだが、私が風呂に入っている間、又は入った後に、父親に下着を盗られていた事が判明した。
恐らく中学の時もされていたと思う。
コソコソ何やってるのかと思ったら、これだ。
私の父親は幼稚園児なのかと思った。
学習能力が低い馬鹿以下なのかと思った。
嘘や秘密はいつかはバレる。
そんな事、大人なら分かっているはずなのに。

こんなに色んな事をされて「父親の事を信頼しろ」と言われて出来る訳がない。
「父親を尊敬しろ」も「父親に感謝しろ」も、日々どれだけ父親が頑張って金を稼いでいても出来ない。
父の日とか何の為にあるんだ。
一生あの父親に感謝しない。
心からの「ありがとう」なんか言わない。
話は全部謝られてからだ。
土下座ぐらいはして欲しい。
そのぐらいの権利はあると思っている。
死ぬ間際でも良いから、せめて一言「あの時はごめん」って言われるだけで許すよ。
私、優しいから。

ー終わりにー

最初にも書いた通り、この話は全て実話です。
ノンフィクションの僕の実体験です。
父親は性行為だけは避けて、痴漢や盗撮、窃盗などの犯罪行為を繰り返す大人です。
あの父親の子どもとして本当に恥ずかしい限りです。
一生捕まっていて欲しいです。
「なんでこんな親のところに産まれてしまったのだろう」と、つくづく思います。

でも僕が一番皆さんに分かって欲しいのは、子どもが親とは同じではない事です。
「子は親に似る」という言葉がありますが、僕はそんな事ないと思います。
似るのではなく、影響されるだけです。
環境からの影響、特に家庭環境は大きく子どもの成長に影響すると僕は考えています。
僕はこんな事があったので「大人の男性」が苦手です。
女性も苦手ですし、そもそも人間全員苦手で嫌いなのですが、大人の男性が一番嫌いです。
どうしても、心のどこかで「女なら力でねじ伏せられる」と思っている気がしてしまいます。
僕の勝手な偏見だと言う事は知っています。
世の中には優しい男性が居ることも知っています。
でも、正直怖いです。
知らない男性に話し掛けられるのも、自分から初対面の男性に話し掛けるのも怖いです。
頭では色々分かっていても警戒心MAXで接してしまいます。
優しい男性を見ても偽善者のように感じてしまいます。
これぐらい家庭環境というものは子どもに影響を与えます。

今現在子どもがいる方、将来子どもが欲しいと思っている方のみへ向けた言葉になりますが、子どもは非常に繊細です。
少しでもいつもと違った様子があったら、声を掛けて欲しいです。
子育てというものがとても難しくて、大変なのは凄く感じています。
でもちゃんと愛を持って接してあげて欲しいです。
一緒に過ごせる時間を無駄にしないで欲しいです。
そうしないと多少なりとも性格が拗れます。
僕のように拗れまくります。
気を付けて下さいね。

そして僕と同じように性的虐待を受けている、受けていた方へ。
僕以外の方に今まで出会った事が無いので、居るのかすら曖昧ですが一応書いておきます。
僕ような事をされた方も、性行為までされた方もいると思います。
僕は今まで一度も周りの人に言えませんでした。
僕の口から直接言った事は一度もありません。
気軽に言える話では無いし、もしこの話がクラスや学年、先生達まで伝わってしまったら大事になるのは目に見えています。
周りに迷惑かけたく無いし、差別される気がしています。
だから普通を装って隠すしか無いんです。
貴方も同じですか?
一人で抱え込むのは辛いし苦しいです。
ずっと我慢我慢我慢我慢我慢我慢の連続で、吐き気がします。
でも耐えるしか無いです。
僕には相談出来る程、信頼してる人が周りに居ないから。
もし貴方に相談出来る人が居るなら、した方がいいと僕は考えています。
今は我慢出来ても、いつかは限界が来ます。
僕は限界が来て、家と学校の両立が出来なくなって、不登校になりました。
僕のようになる人は出来れば減らしたいです。
本当は高校生活、思い切り楽しみたかったので。
何事も無理はしちゃ駄目です。
でも貴方自身の為に誰かに助けを求めて欲しい。
そのままが一番良くないから。
自分自身の為に一歩踏み出して欲しい。
僕はここから応援していますから!

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
長々とお付き合い頂き本当にありがとうございます。
この記事を読んで、どう思うかは人それぞれだと思っています。
僕は別に慰めて欲しい訳では無いです。
皆さんに知って頂きたいだけ。
理解して頂きたいだけ。
被害者側は苦しむ事しか出来ないです。
だから周りの人が救って下さると嬉しいです。
それではまたどこかでお会い出来たら嬉しいです。
ありがとうございました。