花譜と花譜ちゃんと「花譜」
どうも闇鍋の汁です。
さて、突然だが私がTwitterを始めたきっかけはVsinger花譜の存在が大きい。
私が彼女を観測したとき彼女は受験に追われる身で活動を休止していた。今となってはかなり前の話となる。
そんな私が今回花譜という存在について思い思いに書いていく。
花譜と花譜ちゃんと「花譜」
花譜は3つの存在に分けることが出来る。
一つは「アーティスト花譜」これを私は花譜と呼んでいる
次に「花譜ではない花譜」これを私は花譜ちゃんと呼んでいる
最後に「どこにも存在しないが我々が思い描くことで存在が確定する花譜」これを私は「花譜」と呼んでいる
花譜
前述した通り花譜が花譜として舞台や画面の前、私たちの前で歌っている彼女のことだが、カンザキイオリが書く音楽には物語性がある。彼女はその物語の主人公なのだ。
花譜ちゃん
花譜ではない花譜と言われてどういうことか分からない人もいるだろう。花譜ではない花譜とはつまり現実で生きている「どこにでもいる17さい」である時の花譜のことを指す。花譜は花譜であって花譜でない瞬間がある。花譜は不確かな存在なのだ
「花譜」
「どこにも存在しないが我々が思い描くことで存在が確定する花譜」
さて上記の意味をこれから語る。
私たちは観測者だ。私たちは彼女を観測したのだ。でも、私たちは花譜を何も知らないし分からない。
どこにでも居るからこそ、何処に居ても分からない。もしかしたら、すぐ側に花譜は居るのかもしれない。しかし、私たちは画面の前でしか花譜を観測することが出来ないのだ。
なぜなら
花譜は歌の中でしか 花譜でいられない。
彼女は家からレコーディングに来て帰る
この路の中で花譜ちゃんから花譜になり、そして花譜ちゃんとして帰る。
この「花譜の時間」を我々は観測しているのだ。それは決して存在が変わるとか誰かが成り代わっているわけではない。
ただカードの裏表のように少し手を加えるだけで変身できる魔法のようなものなのだ。つまり彼女は魔法少女や仮面ライダーではない。
花譜ちゃんは限りなく花譜に近い存在である。また、花譜も限りなく花譜に近い存在である。
では
我々が観ている花譜は本当に花譜なのか?
答えはNOだ。
花譜は不確かな存在であり何にでもなれる。誰かが思い描く花譜でも花譜なのだ。しかし「それは本当に花譜なのか?」と問われるとそれは花譜ではない。「花譜」なのだ
花譜は不確かな存在である。彼女はバーチャルな体で歌を歌い、中学校を卒業して高校へ入学した。これだけリアルで生きていることを実感させてくれるのに、ふとした時消えそうなほどその存在は儚い。
もし、花譜が突然消えたとしたら私達は花譜を観測できなくなり、残るのは「花譜」だけだ。それも一つの花譜。しかし、それは花譜ではない。
一見矛盾してるように見えるが、花譜が存在する限りこれを矛盾とは言わない。
さてここまでこの駄文を観てくれた人に感謝する。ありがとう。最後にお決まりの言葉を述べさせて貰う
花譜なんも分からん
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