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子供の不登校から考える夫婦のパートナーシップ

子供の不登校が始まり、それまでと変わったことの一つ。それは夫とのパートナーシップ 。この件がなかったら、それまでの関係性に問題を全く感じていなかっただろう。

不登校が始まり、主に子供の対応をしていたのは夫。夫はコロナの影響で完全在宅勤務をしており、反対に私コロナであっても通勤する必要があった。

長女は第一子ということもあり、夫の長女に対する関心はそれまで以上に大きくなった。仕事もしていたと思うが、家にいるほとんどの時間を長女のために割くようになってしまった。頭の中は、それでいっぱいだった。

私が長女を叱ったりして泣かしてしまった時なんかは、完全に私を悪者扱いした。

長女の気持ちが安らぐようにと、あらゆる手段を考え、計画、実行していた。そしてそれを私に共有はしてくれず、長女と夫の間で色んな話が出来上がっていた。

長女の対応を全面的に見ているのは夫であったため、私はモヤモヤしたものを抱えながらも強く訴えることは出来なかった。

長女とずっといる夫と、家にいない妻。家にいる夫は、長女のことを常に考えている。家にいない妻は、長女のことは仕事の休憩時しか考えない。

長女のことしか考えない夫と、長女だけでなく次女と三女のことも考える妻。

これが積み重なり夫婦の考え方はどんどん離れていってしまった。

幸い、不登校本をきっかけに夫婦で会話を設けることができた。
本が無かったら、私たちの話し合い出来なかったかもしれない。

そこで話したのは、
子育ての目標。
夫と長女の連帯ではなく、夫婦の連帯を結ぶことで長女の夫依存を無くしていくこと。

子育ての目標を共有し、夫婦が別々に動くのではなく、連帯感を強める必要があるとお互いに意識できた。
目の前のある問題(不登校)を解決することばかりに囚われすぎて、その先子供にどうなって欲しいのかを見落としていた。
長女の将来が不安で、悪いことばかり考えてしまう狭い世界が、お互いの考えや存在を聞き合えるようになった事で視野は広くなった。

自分たちが子育てをするのは何のためなのか。

そんなことを、定期的に話せるようにもなってきた。

この不登校対応で、私たちは夫婦でいられなかった可能性もあると思う。それくらい、私たちの信頼関係は危うかった。

こういう時に、対話が出来るかどうか。それまで個々のやり方でなんの問題もなかった私たちであったが、両親としても夫婦としても少し成長したような気がする。

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