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野平一郎:錯乱のテクスチュアIV
作曲家、ピアニスト、教育者どれも超多忙を極める野平一郎先生、「実は野平一郎先生は3人いる、、」という都市伝説が藝大生の中で噂されていたそーな。一郎から三郎先生までいる
今回のリサイタルのために、先生にプログラムノートを送っていただけないかお願いしたところ、「以前書いたものが見当たらないので」その日の夜に新たなプログラムノートを書いて送ってくださいました。はや
錯乱のテクスチュア IV
堤剛先生の委嘱作品として2003年に作曲。同年11月5日、サントリー・ブルーローズの「堤剛プロデュース2003〜4世紀にわたるチェロ音楽」で、堤剛先生のチェロ、作曲者のピアノで初演。その後アメリカや日本で堤先生が再演して下さったが、今回は久々の再演の機会であり、演奏者にこの場を借りて感謝の意を表したい。
堤先生とはこの前年のあたりからしばしば共演させていただく機会があり、レパートリー作品や現代の作品を問わず、その表現スケールの大きさ、何事にも情熱的な眼差し、現代チェロ作品の開拓といった、従来客席から距離をおいて感じていた数々の素晴らしい視点をさらに大変身近に体験できたことが、この作品を生み出す大いなる原動力となった。
「錯乱の〜」というタイトルは、1950年代にピエール・ブーレーズが書いた「音と言葉」という先鋭的な論文の最後を締めくくる部分に由来する。アントナン・アルトーが自作の詩の朗読を音素をほとばしらせながら行うのを聴いたブーレーズは、そこで現代性(モデルニテ)を一瞬のうちに理解したと言う。そして錯乱、せん妄状態を組織しなければならない、という一種のアジテーションで文を終えているのだが、この一文は大いに自分の「音」・「音響」に対する想像力を刺激し、創作を始めた時からの1つの重要な足がかりとなっている。
冒頭の両極端の音域に置かれた和音や奏法、衝突する響きや強弱など、何か触知できないもの、分析できないものがあらゆる場所、あらゆる瞬間に連続して継起する。それはエネルギーを生み出し、音のエクラを発散し続けながら、大きく1つの緻密な流れを作り出していく。
野平一郎
その時の堤先生のリサイタルプログラムはこちら
四世紀(18,19,20,21世紀)にわたるチェロ音楽
2003/11/5 サントリーホールブルーローズ
ボッケリーニ:チェロソナタト長調G5
野平一郎:錯乱のテクスチュアIV(世界初演)
ドビュッシー:チェロソナタ
ベートーヴェン:チェロソナタ第3番
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とにかく複雑に書かれたスコア、1人ではどう作りあげていけば良いかわからないままピアニストの大瀧くんとのリハーサルに臨みました。2人で合わせをしてみると、(チェロとピアノのタイミングが)「合うべき場所」「合わなくても良い場所 流れを重視する場所」というのが少しずつわかってきました。
明日、野平一郎先生に練習を聞いていただきます。
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