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2024-02-13 十三夜

●LEAF 0537 十三夜

月齢カレンダーというのがある。これがとても便利なんです。

月齢はおおむねの満ち欠け(月相)と連動するため、月相の目安として用いることができる。


十三夜は、陰暦9月13日の夜。また、その夜に見られる。陰暦8月の十五夜に次いで美しいとされる。

十五夜が中国伝来の風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった風習。十五夜では月の神様に豊作を願います。十三夜は、稲作の収穫を終える地域も多いことから、秋の収穫に感謝しながら、美しい月を愛でるのです。この時代は、月の満ち欠けなどを用いて暦を計算する旧暦を用いていたため、人々の生活と月は密接につながっていました。
旧暦は、毎月新月から数え始めます。新月から数えて、14日目~17日目が満月です。十五夜は新月から数えて15日目なので満月、もしくは満月に近い月。十三夜は新月から数えて13日目なので、満月には少し欠ける月です。十三夜は、十五夜の次に美しいとされています。
十三夜のお月見の始まりについては、諸説あります。平安時代に醍醐天皇が、月見の宴を催し詩歌を楽しんだのが、十三夜の月見の始まりではないかという説が代表的です。また、平安時代後期の書物に明月の宴が催されたことが記され、宇多天皇が「今夜の名月は並ぶものがないほど優れている」という意味の詩を詠んだという記述があり、風習として親しまれていたことが分かります。

2023年10月28日、酒井家庄内入部400年記念事業 NEXT100「七絃琴(古琴)コンサート 十三夜奉納公演」というのが鶴岡で開催されました。


明治の女流作家「樋口一葉」が1895年12月に発表した小説に「十三夜」というのがあります。

あらすじ

貧しい士族斉藤主計の娘お関は、官吏原田勇に望まれて7年前に結婚したが、子どもが生れてから次第に冷酷無情になる夫の仕打ちに耐えかねてある夜、無心に眠る幼い太郎に切ない別れを告げて、これを最後と無断で実家に帰る。おりしも十三夜、いそいそと迎える両親を見て言い出しかねていたが、あやしむ父に促されて経緯を話し、離縁をと哀願する。母は原田の娘への仕打ちにいきり立ち、父はそれをたしなめ、お関に因果を含め、ねんごろに説きさとす。お関もついにはすべて運命とあきらめ、力なく死んだ気になって夫の家に帰る。その途中乗った人力車の車夫はなんとお関が乙女心で結婚を夢みていた幼なじみの高坂録之助。話を聞けば、原田に嫁いでしまった自分のために自暴自棄になり、その後所帯を持ったが妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしている。そのひとを今、目の前にして、万感、胸に迫る思いで無限の悲しみを抱いたまま彼とも別れ、秋の夜の冷たい月が照らす中、2人は別々の方向へと帰って行く。

「十三夜」も、一葉のなかでは最も読みやすい作品の一つで人気が高い。地の文はいわゆる古文に近いが、作品の大部分は口語体で書かれた登場人物たちの言葉で占められている。人物も少ないし、話もわかりやすいし、一葉文学への入口としてはまさに最適だろう。ただし、そのわかりやすさの背後に、底知れぬほど奥の深い世界が隠れているところが、一葉の天才的なところである。


樋口一葉は1872年(明治5年)に生まれ1896年(同29年)に24歳の若さで亡くなりました。肺結核で死を目前に控えるなかで才能を全開させ、代表作「大つもごり」(94年)、「たけくらべ」(95年)、「にごりえ」(同年)、「十三夜」(同)を書きあげました。2年にまたがる、この期間は「奇跡の14か月」として文壇史に輝いています。


樋口一葉は本郷と所縁がある。24年間の短い生涯のうち、約10年間文京区内に住んだ。

旧伊勢屋質店は、樋口一葉が生活に困った時にたびたび通ったとされる質屋。本郷・菊坂にあり、蔵や見世、座敷を有した明治期の建物です。建物所有者の跡見学園女子大学と区の協働で、建物内部を一般公開しています。


本郷・菊坂と言えば、イタリアンの「ダ マウ」がいいですね。ビザも料理もフォカッチャも美味しいです。


昭和16年の歌謡曲「十三夜」( 作詞:石松秋二 作曲:長津 義司 歌:小笠原美都子)を、藤圭子が歌っている音源があります。

河岸の柳の 行きずりに
ふと見合わせる 顔と顔
立止り 懐かしいやら 嬉しやら
青い月夜の 十三夜

夢の昔よ 別れては
面影ばかり 遠い人
話すにも 何から話す 振袖を
抱いて泣きたい 十三夜

空を千鳥が 飛んで居る
今更泣いてなんとしょう
左様ならとこよない言葉 かけました
青い月夜の 十三夜

十三夜




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