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2024-02-05 菊花紋

●LEAF 0458 菊花紋

菊花紋章は、キク科キク属キクを図案化した菊紋のうち、特にの部分を中心に図案化した家紋のことである。菊花紋菊の御紋ともいう。大日本帝国憲法日本国憲法の原本を納めた箱の蓋にも刻まれている。

皇室の代名詞とも言える菊花紋章の根底にある菊の歴史は古く、仁徳天皇が即位された古墳時代にまで遡ります。その当時、大陸より伝来された菊には長寿を全うするための薬用効果があると伝えられていたようです。奈良時代になると鑑賞用の菊が大陸より持ち込まれ、その美しさが知られるようになりました。そして菊は、肌寒い晩秋でも鮮やかに咲くことから秋の季節を代表する花として認知され始めただけでなく、梅や竹、蘭とともに、草木の四君子の一つとされました。
平安時代になると、「古今和歌集」や「源氏物語」の中で、菊が詠まれた詩歌が多く見られるようになります。そして歌を詠みながら菊の花を浮かべた酒を飲み交わすこともありました。また、「いろは歌」が普及するのと時期を同じくして、宮中では年中行事として観菊の宴が始まり、菊花紋章の基となる吉祥文様が流行しました。
菊花紋章に酷似するデザインは、古代、西アジアからエジプトにかけて各地で存在しました。平安時代よりもさらに昔に遡る紀元前30世紀前後、エジプトでは太陽の象徴とも考えられる金の皿が、王族の墓に納められていたことがわかりました。ロータスの皿とも呼ばれるこの美しい器には、菊花紋章に酷似したデザインが用いられています。
また、紀元前24世紀という遠い昔のシュメール王朝では、その王家を象徴する家紋として十六芒星が使われたようです。シュメールは今日の中近東、イランの周辺に存在した国家です。例えば紀元前2300年ごろ、シュメール・アッカド王朝の時代に建造されたナラム・シン王の戦勝碑には、菊の御紋に近い十六芒星のデザインが描かれています。このデザインは、中心の円形から二等辺三角形の尖った形状が8方向に放射して八芒星となり、それが八重に重なり十六芒星となっています。

1950年代の初め、考古学者らが紀元前14世紀の粘土板を数枚発掘した。その粘土板は、シリアの古代都市ウガリットで見つかり、フルリ語のくさび形文字の署名を含んでいたことから、これまで発見された中でも最古の音楽作品、3,400年前の儀式用の賛美歌であることが判明した。

シュメール語で書かれた叙事詩『ギルガメシュ』の一部は楔形文字で記された粘土板12枚に残されている。叙事詩の成立は前4千年紀半ば頃と推定されている。粘土板文書は楽譜の一種ともみなされる。文字の傍らに記された楔形文字がその唱え方の指示であり、叙事詩や賛歌の文字の脇に歌の形式やジャンルや音楽構造を示す楽語が現れるからである。当時のリラの九本の弦にそれぞれ名前がつけられ調弦法が記されていた。弦の長さと音高との対応関係や、音階における音程の比例関係もすでに知られていたことから、少なくとも前1千年紀には音階理論が整備されていた。古代メソポタミアの音組織は五度連鎖から得られる七音音階にもとづいていたことが判明している。今日われわれが音楽と呼んでいるところの芸能にかなり近い形式が存在していたである。ただし、「音楽」そのものをさし示す単語が古代メソポタミアに存在したかどうかは確認されていない。


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