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2024-02-20 あかしろき

●LEAF 0604 あかしろき

カンブリアンゲーム(ニューイヤーカンブリアン2024)

赤と白と黄色の三色といえば、童謡『チューリップ』を想起させる組み合わせです。

黄色の組み合わせは色温度の中核部分にもなっており、「(黒→茶→)赤→黄→白(→青白)」という順で高熱になる。大雑把な原理は、まず光の三原色である「」は「赤<緑<青」という順でエネルギーが高く、そしてエネルギーが高い光は相応に熱くないと放出されない。


チューリップ英語: tulip)は、ユリ科チューリップ属の植物。日本には、江戸時代後期に伝来したが普及するに至らず、大正時代に入って、ようやく小合村(現:新潟市秋葉区)で本格的な球根栽培が始まった。このことから、新潟地域の栽培農家は新潟が「日本チューリップ発祥の地」と自負しており、道の駅花夢里にいつには記念碑が建てられている。原産地はトルコアナトリア地方とされ、トルコ国内の宮殿(トプカプ宮殿等)やモスクブルーモスク等)に貼られたタイルに描かれている。生産地ではオランダが非常に有名で、各国へ輸出されている。トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃。日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入である。

チューリップはトルコの国花。トルコ語でチューリップは「ラーレ」と言い、そのアラビア文字を組み換えると、イスラム教の神「アッラー」に、またその文字を語末から読むとトルコ国旗のシンボルでもある三日月「ヒラール」という言葉になる。そのため、チューリップは花として愛されただけでなく、宗教的、国家的なシンボルとして崇められてきた。

1725年にイスタンブルで書かれた『ラーレ・メジュムアス(チューリップの書)』というのがある。そこに記録されたすばらしいチューリップの絵は、世界でもっとも貴重な園芸記録の1つ。当時、チューリップやその栽培者について書かれることは少なくなかったが、個々の種類の絵が入っているものは、稀である。このカタログでは、50ほどの、それぞれに名前のついたチューリップが描かれている。

17世紀に入る頃、オスマン帝国における新種のチューリップの開発熱は、人々を強くひきつけていた。新種の開発は、針のような茎の先端に巻きついた長い短剣のような形の花びらの、すらりとしたアーモンド型の花の栽培に集中していた。「イスタンブル・チューリップ」の名で知られるこの細い花弁のチューリップを最初に栽培したのは、オスマン帝国のイスラムの指導者、シェイヒュルイスラームのエブースード・エフェンディ(1490-1573)であったといわれる。スルタン・スレイマン1世の黄金期に彼によって栽培されたチューリップは、「光の楽園」となずけられた。

NHKの日曜美術館でも2月4日に「オスマン帝国 400年の美〜トプカプ宮殿・植物文様の迷宮〜」という番組が放送されています。

オスマン帝国に植物文様を広めたのは、宮廷絵師のシャークルという人物です。当時のオスマン帝国は第10代スルタンであるスレイマン1世のもとで最盛期をむかえ、13回の海外遠征をおこなって帝国領土を拡張しています。
シャークルも元はサファヴィー朝ペルシャから連れてこられた捕虜のひとりでしたが、やがて頭角をあらわして宮廷絵師の長にまで出世しました。

トプカプ宮殿の別名は「チューリップの宮殿」。15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿

宮殿の中は、壁や玉座などの調度品をはじめ、あらゆるものに植物の文様が使われており、まさに“工芸の森”です。

この宮殿内から、オスマン帝国最盛期の16世紀に描かれた希少な壁画が発見された。見つかった場所は、宮殿の奥の方にあるアーチの壁だ。壁画はこのアーチ部分が作られた際、石こうで覆われてしまったという。シャークルはイランからトルコに渡り活動した装飾画家で、16世紀を代表するオスマン美術の1つ、「サズ様式」の創始者だ。「サズ様式」の特徴は、先の尖った長い葉が大きくうねる波の様にらせん状に伸び、伝説上の動物が一緒に描かれていることや、金と黒が効果的に使われていることだ。今回の壁画にも、竜と鳳凰が生き生きと描かれている。


トルコ中南部にコンヤという町があります。アナトリアはチューリップ所縁の地。チューリップは元々の原産は中央アジアの山岳地帯でしたが、中央アジアからトルコ系民族が西方へ進出するに従いチューリップは共に西方へ進み、セルジューク系トルコ人によりアナトリアにもたらされたと言われています。セルジューク朝時代の美術品にチューリップのモチーフが使われ始めますが、その頃は野生の花の一つとしてチューリップがあったそうです。その後、12世紀頃からアナトリアで育てられるようになりました。

コンヤは、旋回舞踊で有名なメヴレヴィー教団発祥の地としても知られ、毎年12月には創始者メヴラーナの追悼セレモニーが行われています。コンヤ近郊のチャタルホユックにあるのは、新石器時代の世界最古と言われる集落跡。現在も発掘作業が続けられている世界遺産です。

スーフィズム: Sufism)イスラム神秘主義とは、イスラム教神秘主義哲学である。イスラーム教の拡張とともに8世紀の中頃にはじまり、9~10世紀に流行した、踊りや神への賛美を唱えることで神との一体感を求める信仰形態。スーフィーの回旋舞踊は赤白黄のチューリップを想起させる。

スーフィズムがコーヒーを広めたと言われています。コーヒー発祥の地の一つとして知られるイエメンのスーフィー教団では、その覚醒作用を利用するために瞑想やズィクル(神の名を繰り返し唱えること)の際にコーヒーを飲んでいました。コーヒーはイエメンのモカ港からイスラム教の聖地メッカに伝わり、エジプトやシリア、トルコなどイスラム世界に広まる中で、スーフィー以外の人々にも広く飲まれるようになったのです。ちなみに、1517年にコーヒー豆が持ち込まれたトルコ(当時はオスマン帝国)ではコーヒー豆をじっくりと焙煎して細かく挽き、小鍋で水から煮出して濾さずに飲む「トルココーヒー」という独自の飲み方が確立され、今では当たり前となった「焙煎した豆から抽出したコーヒー」の元祖となりました。さらに1557年にはイスタンブールで世界初のカフェが開店するなど、トルコでは世界に先駆けてコーヒー文化が育まれ、2013年には「トルココーヒー文化と伝統」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。


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