【インタビュー】ポール・ロジャース 2013/ソウルを語る1万字インタビュー

2013年、ソウル・カヴァー・アルバム『ザ・ロイヤル・セッションズ』発表時のインタビューです。テープ起こしまでしたけど何故かそのまま未発表になっていました。ソウルはまだまだ初心者だけど好きなので、もっともっと聴き込んで歴史も勉強して深く掘り下げたいです。

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●1997年にあなたにインタビューした時、オーティス・レディングへのトリビュート・アルバムに興味はあるけれど、2つの理由で作っていないと語っていました。まず、マディ・ウォーターズへのトリビュート作『マディ・ウォーター・ブルース』を発表して間もない時期だし、当時のトリビュート・ブームに便乗していると思われたくないこと。もうひとつの理由は、オーティスの曲を歌うなんておこがましい!というものでした。それから16年経って、どうして気が変わったのですか?

少しばかり背中を押されたんだよ。オーティス・レディングや当時のソウル・シンガー達をあまりに尊敬していて、彼らの曲を歌うことにはどうしても及び腰になってしまうんだ。でもある日、私の友人でもあるプロデューサーのペリー・マーガロフが電話してきた。「今メンフィスにいるんだ。ロイヤル・スタジオにいるけど、今でも営業していて、1950年代・1960年代と変わらないままだ。機材はすべてアナログで、マネージャーのブー・ミッチェルが、最高のセッション・ミュージシャン達を参加させられると言っている。メンフィスに2日ほど来て、どうなるか試してみない?」ってね。それで私はメンフィスまで飛んで、みんなと会ってみた。素晴らしい人々で、最高のミュージシャンだったよ。彼らは私が誰か知らなかった。ロック界の人って認識だったんだ。彼らと最初にやった曲は「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」だった。最初から素晴らしかったんだ。それからの3日間は、とても生産的だった。レコーディングをして、共演することを楽しんでいたんだ。お互いの波長がぴったり合ったし、マジックがあった。楽曲、スタジオ、音楽…あまりに素晴らしい経験だったんで、もう一度メンフィスに戻って、アルバム1枚を作らねば!という気持ちになったんだ。ペリーに背中をひと押ししてもらったことがきっかけだったんだよ。

●メンフィスのロイヤル・スタジオでレコーディングするという構想は、以前からあったのですか?

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