【音楽コラム】ハルク・ホーガンとロック音楽の関係
初出は2013年。
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「ウィリー選手には練習試合の相手がいないとのこと!この場でおれが相手をつとめてもいい!!」
アントニオ猪木は”熊殺し”の空手家ウィリー・ウィリアムズと対戦する前、公開スパーリングでこう発言してウィリーを挑発したという。
そして2001年、ハルク・ホーガンはこう言った。
「メタリカにはベーシストがいないとのこと!おれが後任として加入してもいい!!」
ジェイソン・ニューステッドがメタリカを脱退したとき、ホーガンは既にプロレス界のスーパースターであり、本気で加入しようと思っていたかは疑問であるが、彼が当時マスコミを通じてそうぶち上げたのは事実だ。ただ、この発言はメタリカ側には届かなかったようで、実現はしなかった。さらに数年後、何故か話が曲解されて”1980年代初め、無名時代のメタリカのオーディションをホーガンが受けた”となってしまい、最近になってラーズ・ウルリッヒが「そんな話は知らない。俺はプロレスファンじゃないけど、当時身長2メートルの大男がオーディションに来たら、絶対に覚えてるはずだ」と否定するに至っている。
ハルク・ホーガンがプロレスラーになる前、ロック・ミュージシャンだったというのは、漫画『プロレススーパースター列伝』などでも描かれている有名な話だ。1970年代、彼はラッカスやココなどのバンドでベースを弾いていた。2007年5月、愛嬢ブルックのCDデビューにあたってプロモーション来日に同行した彼にインタビューをすることが出来たが、「当時はフレットレス・ベースを弾いていた。好きなベーシストはスタンリー・クラーク」だと語っていた。
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