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ジェフ・ベック・インタビュー 2010年【完全版】

ジェフ・ベックには6回インタビューしたことがあります。現役日本人ジャーナリストとしては最も多くの回数と時間、取材している部類に入ると思います。
 
- 1999年1月15日 ギターマガジン
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B09NN6DNTW/stonersunshin-22
 
- 2005年6月14日 AERA in ROCK
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00SIS8YVS/stonersunshin-22
 
- 2005年6月15日 プレイヤー
- 2006年5月2日 プレイヤー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00AZM561G/stonersunshin-22
 
- 2010年2月26日 プレイヤー
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003BKELGA/stonersunshin-22
 
- 2017年1月29日 週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2017020800041.html

で読めるので、 ぜひ読みましょう。

ところでAERA in ROCKの表紙に“ジェフ・ベック独占激白”と書いてあるけど、実は2日連続で同じインタビュアーが取材していたのでした。
 
あとウェブ記事では以下があります。
 
- Yahoo!ニュース
【追悼】ジェフ・ベックが語ったライバルと仲間たち/クラプトン、ヘンドリックス、ストーンズ
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20230117-00333244
 
- ヤマハWeb音遊人
ジェフ・ベック:ジョニー・デップとの共演作を発表した孤高のギタリストが見せるヒューマンな側面
https://jp.yamaha.com/sp/myujin/57641.html
 
ジェフが亡くなって、プレイヤー2023年3月号で2005年・2006年の記事が再掲載されましたが、2010年の記事は再掲載されなかったので、noteで公開します。
基本はそのままコピー&ペイストですが、気になるミスタイプなどは直しています。
 
ジェフに話を伺うのはいつでも楽しかったです。
 
この記事は全文無料公開としますが、治療費捻出のための有料パートもありますので、購読会員になっていろいろ読んでいただきたいです。
 
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 天高く舞い上がっていくギター、健在なり。65歳という、老後と言っていい年齢を迎えたジェフ・ベックだが、それは普通の人間の話。天才・鬼才・異才などの名を欲しいままにする音楽家の活動は、デビューから6つめのディケイドにおいても留まるところを知らない。昨年2月に日本で初めて実現した盟友エリック・クラプトンとのコラボレーション・ライヴに続いて、アメリカとヨーロッパのツアーも大成功。『ロックンロール・ホール・オブ・フェイム』設立25周年コンサートに出演した後、グラミー賞ベスト・ロック・インストゥルメンタル部門の受賞が決定。授賞式ではレス・ポールに捧げる「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を披露する一幕もあった。さらにロンドンとニューヨークでもクラプトンとの共演が実現、もはや何度目となるのかも判らない絶頂期を迎えつつあるジェフだが、3月のニュー・アルバム『エモーション・アンド・コモーション』発表、4月の来日公演という嬉しいダブル・パンチが日本列島を襲った。
 
『エモーション・アンド・コモーション』はジェフにとって7年ぶりとなるスタジオ・アルバム。『フー・エルス!』(99)、『ユー・ハッド・イット・カミング』(01)、『ジェフ』(03)の”エレクトロ三部作”以来となる新作に、背筋を正してCDプレイヤーに向かったリスナーも少なくないだろう。映画『オズの魔法使』主題歌の「虹の彼方に」やプッチーニの歌劇『トゥーランドット』からの「誰も寝てはならぬ」といったスタンダードでのオーケストラとエレクトリック・ギターのせめぎあい、そしてジョス・ストーン、イメルダ・メイ、オリヴィア・セイフという3人の女性シンガーをフィーチュアしたヴォーカル・トラックと、大胆な新機軸を追求した音楽性は、ジェフのキャリアの新章の幕開けに相応しいものだ。そして冴えわたる彼のギターは、生オーケストラのバックアップを得て、自由に吼え、泣き、嘶く。昨年、初のライヴDVD『ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』で凄まじい充実ぶりを見せつけたジェフだが、このアルバムでのプレイは人間のエモーションの限界を超えた感情の昂ぶりを演出してくれる。”感情と騒乱”というアルバム・タイトル、まさにその通りである。
 
何度かの時間変更と延期を経て行われることになった本誌インタビュー。当日までなかなか連絡がつかずやきもきとさせられたが、無事電話が繋がり、永遠のギター少年然とした話し声が聞こえてくる。「エリックは意地悪なんだよ。ジャムをやってるとき、僕が弾けないフレーズばかり次々と弾くんだから!」と笑う彼に、限られた時間をフルに使って質問攻めにしてみた。
 
●エリックのように45年以上交流のあるギタリストとジャムをやるのと、初対面の相手とするのでは、どのように異なりますか?
 
 付き合いの長さ短さよりも、相手によって、ジャムはやりやすかったり、やり辛かったりする。エリックは難しい部類に入るね。彼とプレイするときは、僕の”ブルース帽子”を被る必要がある。15、16歳の頃にプレイしてきた音楽を遡らねばならないんだ。意外とそれは楽じゃないんだよ。当時とは自分のスタイルがまったく異なっているからね。バックの演奏もトラディショナルなシカゴ・ブルースを基調としているし、いつもの自分らしく弾くと”ルール違反”になってしまうんだ。それよりも、やったことがない音楽スタイルでジャムをやって、ギリギリの一線に自分自身を追い込む方がスリルを感じる。ジョシュ・ストーンとやる時なんて、まさにそんな気分だよ。
 
●今年のツアーではかつて『ワイアード』(76)で共演したナラダ・マイケル・ウォルデンがドラマーとして参加していますが、彼との再合体はどのようにして実現したのですか?
 
僕が電話して「一緒にツアーやらない?」って訊いてみた。そしたら彼が「いいよ」って言ってくれた。それだけだよ。難しいネゴシエーションやビジネス上の問題はなかった。ヴィニー(カリウタ)がバンドを抜けることが決まったとき、最初に頭に浮かんだのがナラダだったんだ。彼は変拍子からファンクまで、同じハイ・パワーで叩けるドラマーで、ミッチ・ミッチェルとキース・ムーン、それからビリー・コブハム全員のスタイルを兼ね備えている。
 
●あなたは最近、女性ヴォーカリストとの活動が多いですが、マライア・キャリーやホイットニー・ヒューストンなど女性ヴォーカリストを多くプロデュースしてきたナラダに声をかけたのは、そんな側面を強化しようと考えたのでしょうか?
 
いや、ドラマーとしての彼の腕を買ったんだ。彼はマハヴィシュヌ・オーケストラでやっている頃は、まだタイミングが荒いときもあった。『ワイアード』でもリズムがズレることがあったよ。でも他人をプロデュースしてきたことで正確さを求めるようになったせいか、完璧にリズムをキープするようになったんだ。ステージ上で現場監督的な役割も担ってくれるし、頼りになるドラマーだよ。プレイで困ったことがあったら、みんな彼の方を向くんだ。そうすれば彼が答えを示してくれるんだよ。
 
●ステージ上でナラダとのコンビが復活したのは今年2月、グラミー賞の授賞式でした。この時あなたは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で5度目のグラミー受賞を果たしていますね。おめでとうございます!
 
有り難う。誰かが自分のことを評価してくれているのを知るのは、嬉しいことだよ。この時はレス・ポールへのトリビュートとして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を演ったんだ。イメルダ・メイが歌ってね。
 
●ギブソン・レスポールをステージで弾くのは久しぶりですよね。家で弾いたりすることはありますか?
 
いや、全然。レスポールを弾いたのは本当に久しぶりなんだ。最後に弾いたのがいつかも判らない。家ではギターを弾くことなんて滅多にないからね。あの時レスポールを弾いたのは、レスに対するトリビュートだったこと、それから「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」という曲のトーンを出すにはレスポールしかなかったからだ。普段の自分のショーではストラトキャスターを弾いているけど、他の人の曲を演奏するスペシャル・ショーなんかでは、どんな曲をプレイするかによって、その曲に合ったギターを弾くことがある。去年9月、イメルダとやったロカビリー・ショーではテレキャスターも弾いたしね。
 
●普段ストラトキャスターを弾いていて、レスポールにスイッチすることは難しいですか?
 
決して簡単じゃないよね。レスポールは倍ぐらい重いし、ネックのシェイプも異なっている。でも昔はレスポールがメインだった時期もあるし、しばらく弾けば慣れるものさ。もっとも、頭の中では「早くストラトを弾かせてくれ!」って考えてるんだ(苦笑)。
 
●あれはあなたの所有するレスポールですか?
 
いや、レンタルだよ。ロサンゼルスのディーラーに借りたんだ。イギリスの自宅から’58年製のギブソン・レスポールを空輸するなんて、想像するだけで恐ろしい。
 
●それでは『エモーション・アンド・コモーション』について教えて下さい。元々ギターとオーケストラの融合というコンセプトは2005年、グスタフ・マーラーの交響曲第5番・第4楽章をレコーディングしたことから出発したそうですが、それからアルバム完成まで5年もかかったのは何故でしょうか?
 
マーラーの曲をプレイしたのは、ひとつの実験だったんだ。クラシックとエレクトリック・ギターを融合させるという試みだった。マーラーやホルスト、その他4、5人の作曲家の交響曲が候補に挙がっていたよ。それでマーラーは録音したけど、それが自分の音楽性として追求するべきものか、疑問に感じてきてね。『エモーション・アンド・コモーション』はよりポップ・ミュージックに近いアルバムにしたかった。”クラシック曲をギターで弾いている”というのではなく、オーケストラとギターが対等にぶつかり合っているし、ジョスやイメルダ、オリヴィア・セイフのヴォーカルも入っている。いろんなタイプの曲において、僕のギターがフィーチュアされている。そんなアルバムにしたかったんだよ。
 
●マーラーの曲はインターネットで流出してしまいましたが…。
 
今の時代、何でもネット流出してしまうんだよ。押さえつけようとしたって、どうにもならない。未完成のテイクが大勢の人に聴かれてしまうのは嬉しくはないけど、肩をすくめて諦めるしかない。でも忘れないで欲しいのは、あれは5年前のスタジオ・デモで、『エモーション・アンド・コモーション』は正式なアルバムだ。本質的にまったく異なるものなんだ。
 
●「虹の彼方に」をカヴァーしたのは、ジュディ・ガーランドの不安定なヴィブラートが気に入っているからだと語っていましたが、それとプッチーニのクラシック曲「誰も寝てはならぬ」が同じアルバムで矛盾なく共存しているのに驚かされます。
 
アルバムというものは、微妙なバランスの上に成り立っているんだ。同じタイプの曲ばかりでは退屈だし、あまりに異なっていても乱雑になってしまう。「虹の彼方に」と「誰も寝てはならぬ」、それから「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」を続けて聴いても、バラバラには感じないだろ?それが『エモーション・アンド・コモーション』で行ったチャレンジなんだ。正直に認めるけど、「虹の彼方に」をレコーディングするのは難しかったよ。あのメロディを弾くのは、誰だって出来る。でも、それを何かスペシャルな地点に持っていかねばならないんだからね。しかも、ギターを弾く人だけでなく、誰もが楽しめる仕上がりにしなければならなかった。それもまた大きなチャレンジだった。
 
●あなた自身のギター・プレイを女性ヴォーカルに例えると、ジュディ・ガーランドの不安定さとオリヴィア・セイフの正確さの、どちらに近いと思いますか?
 
どちらでもない。僕はどこにも所属したことがないんだ。
 
●今回は3人の女性シンガーをフィーチュアしています。最近イモジェン・ヒープやベス・ハートなど、女性シンガーと一緒にやることが増えましたが、それは何故ですか?
 
それは逆に僕が訊きたい。何故そうしないんだ?ってね。世の中には優れた男性シンガーと同じぐらい、優れた女性シンガーがいる。だからジョスやイメルダみたいな凄い声をしたシンガーがいれば、フィーチュアするべきだろ?今回はインストゥルメンタルでなく、ヴォーカルの入ったアルバムにするのが自然だった。それで彼女たちを参加させることにしたんだ。
 
●「虹の彼方に」はここ数年、ライヴでも披露されてきましたが、それはスタジオ・レコーディングにどんな影響を及ぼしたでしょうか?
 
やりやすかったよ。既にどんな音を録ればいいか判っているし、それと同じセットアップを組み立てて、あとは良いテイクを録ればよかった。おそらく1時間もかからなかったんじゃないかな。こんなにやりやすいんだったら、もっと事前のツアーでアルバムからの曲を演っておくべきだったって思ったよ(笑)。もっともステージでのその場ノリのプレイと、スタジオでの何度も聴くに耐えるプレイは、必ずしも同じものではないけどね。スタジオ・テイクの方がプロデューサーやエンジニアによって、顕微鏡の下で観察されることになるんだ。
 
●「虹の彼方に」と同様に「エタ二ティズ・ブレス」「ストラタス」そして「スコッティッシュ・ワン」などの曲もステージで演奏してきましたが、それらのスタジオ・ヴァージョンを録音することはなかったのですか?
 
なかった。「エタ二ティズ・ブレス」「ストラタス」はライヴ・アルバム(『ライヴ・ベック3〜ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』)に入れたから、もう市場に出回っているだろ?「スコッティッシュ・ワン」は…スタジオ・セッション中、どこかに埋もれていた。決して悪い曲じゃないと思うけど、レコーディングしようという発想が浮かばなかったよ。
 
●プロデューサーのトレヴァー・ホーンとは、どのように作業をすることになったのですか?
 
マネージャーのハーヴェイ・ゴールドスミスから紹介されたんだ。トレヴァーをプロデューサーに起用したらどうだってね。彼とは面識がなかったけど、僕はそういう提案を無下に却下するタイプじゃないし、とにかく会ってみようってことになった。彼はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドとかのポップ・アーティストをプロデュースしてきて、僕も多くの人に聴かれるアルバムを作りたかったから、意気投合したよ。それで一緒にやることにした。
 
●共同プロデューサーのスティーヴン・リプスンの役割はどんなものでしたか?
 
彼は音楽の方向性よりも、サウンドをより良くすることが仕事だった。僕たちが帰った後、スタジオに残って音をいじったりして、アルバムの音をより興味深いものにしてくれたんだ。彼は元々トレヴァーの下でやっていたスタッフだったし、二人の息が合っていたよ。
 
●今回ギター・ソロは事前に練ったものが多いですか?それともインプロヴィゼーション?
 
大半がインプロヴィゼーションだよ。アルバムの準備期間が足りなくて、スタジオで即興で弾かねばならなかったんだ。ただ不思議なもので、何度も入念にリハーサルしても、一発録りのインプロヴィゼーションに敵わないときがある。だから自分の意識の流れに身を任せて、感情の赴くままに弾くことにしたんだ。
 
●前作『ジェフ』を発表したのが2003年だったことを考えると、準備期間が7年もあったのでは?
 
そう言われても困ってしまうんだけどね(苦笑)。決してサボったり、バカンスを楽しんでいたわけじゃないんだ。ツアーもやったし、あとは日々を暮らすことで精一杯だった。そうして7年の月日が過ぎ去ってしまったんだ。どうしてそんなに間が空いてしまったのか、自分でも説明できないよ。もしその理由が判ったら、毎年アルバムを出していただろう。
 
●その逆に、何故今になって新作アルバムを作ろうという気になったのでしょうか?
 
それもまた、説明できるものではないんだ。機が熟したというか、本能的にアルバムを作るべき時期が来たことが判るのさ。ワールド・ツアーを行うにあたって、前回と同じ演奏曲目じゃ鮮度を失ってしまうから、新しいレパートリーを増やしておきたいのかも知れない。ライヴを見に来る人も、前回とまったく同じセット・リストじゃガッカリするだろ?
 
●以前「何故アルバムを作り続けるのか?」という問いに対して「まだ真の創造性というものの片鱗に触れていないから」と答えていましたが、『エモーション・アンド・コモーション』でそれをなし得たと思いますか?
 
いや、全然。その表面すらかすっていない。でも、だからこそアルバムを作るんだ。自分が目標を達成してしまったと思ったら、きっと怠けてしまうだろう。まだやるべきことがあるから、少しずつでも前に進んでいくんだ。もちろん、そんな義務感だけでなく、楽しいからやっているんだけどね!
 
●アルバムのレコーディングのために、いろんなギター・サウンドを試してみましたか?
 
うん、テレキャスターも弾いたし、ギルドも弾いてみた。あとはエアラインとスプロ…でも結局、どれもアルバムには入っていないと思う。このアルバムの制作は、結局ジェフ・ベック・サウンドはストラトキャスターから出てくることを再認識するプロセスだった。例外はロカビリーを演るときかな。その時はストラトでなくても、僕なりのサウンドを出すことが出来るよ。
 
●「スリーン」でタイム・ブレンダーというリヴァーブ・エフェクトを使ったそうですね?
 
うん、でもそれはペダル・エフェクトではなく、プロトゥールズで後から加えた効果なんだ。この曲に独特な雰囲気をもたらしているから、当初タイトルを「トーン・ブレンダー」にしていたほどなんだよ。奇妙なヴィブラートが入っていて、一時はその部分をカットしようと思っていたほどだったけど、その奇妙なところが良いんだと気付いて、そのままにした。
 
●「コーパス・クリスティ・キャロル」を書いて、「ライラック・ワイン」をレコーディングしたこともあるジェフ・バックリィとは面識がありましたか?
 
いや、ジェフ・バックリィのことを知ったのは、亡くなってからことだよ。まだ『ソニー』と契約していた頃、オフィスに行ったときにいろんなCDをもらったんだけど、その中に彼のアルバムがあったんだ。帰り道のカーステレオで聴いて、衝撃を受けたね。彼がもうこの世にいないなんて、なんて残念なことだと思った。
 
●あなたはジェフ・ベック・グループ時代から『エピック/コロンビア/ソニー』と、同じレコード会社の系列と契約してきましたが、「エモーション・アンド・コモーション」は米『ワーナー/ライノ』からのリリースとなります(日本は『ワーナー・ミュージック』から)。レコード会社を移籍したことは、アルバムの仕上がりや方向性にどのような影響を与えましたか?
 
ビジネス面では、今がベストといえる状況だ。『コロンビア/ソニー』からは『ブロウ・バイ・ブロウ』『ワイアード』を出したし、長年良い関係を保ってきた。でも90年代に入って、僕の音楽性の井戸が干上がったことで、彼らは興味を失ったようだった。『フー・エルス?』(99)はアルバムを出しても、「あっそう」という感じだったね。それにも関わらず彼らは僕を契約で縛って、飼い殺しにしてきた。しかも去年契約が終了するとき、延長を申し出てきたんだぜ!「有り難う、でも遠慮しておくよ」と言って、辞退させていただいた。
 
●これであなたとエリック・クラプトンが2人とも『ワーナー』系と契約していて、ジミー・ペイジもレッド・ツェッペリンのバック・カタログが『ワーナー』系から出ていることから、3大ギタリストのオールスター・アルバムを作る可能性が出てきましたね!
 
嫌だ。絶対やらない!それは彼らに限ったことではなく、個性の強いギタリストと一緒にやるのは、臭いのプンプンするエゴのぶつかり合いになってしまうから、避けたいんだ。それだったら、良いシンガーと組んだ方が良い。こないだロッド・スチュワートから「一緒にアルバムを作らないか?」という話があった。彼とは10年に1度ぐらいジャムをやる機会に恵まれるんだけど、その翌日電話してきて、アルバムを作ってワールド・ツアーをやろうって言われたんだ。興味がなくはないけど、ちゃんと時間と労力をかけたものでなくてはならないと答えた。昔のブルース・スタンダードを1時間ジャムったものをアルバムにしてしまうのではなくてね。自分の名前が付いている作品にはいくつか、そういう安直なものが混じっている。どれとは言わないけど、後になって「やらなきゃよかった」と思うようなアルバムは作りたくないんだよ。まあ、だから僕は偏屈だと言われるのかも知れないけどね。
 
●偏屈といえば、ボブ・ディランと交流はありますか?彼はあなたのちょっと前に日本をツアーしますが、あなたも彼も長年この世界にいて、同じ『ソニー』系列と契約してきながら、ジャムをやったとかいう話がまったく伝わってきませんが…。
 
ディランとは一度も会ったことがないよ。決して避けてきたわけではないけど、一度も機会がなかったんだ。会ってみたいかって?…うーん、どうだろうね。彼は運転はするのかな?だったら車の話をするのは面白いかも知れない。でも音楽の話は興味ないな。もし彼がギターの話を延々とし始めたら、その場に置いて家に帰ることにするよ。
 
しばしば”インタビュー嫌い””シャイ”と言われてきたジェフ。それは間違いではないが、いざ取材の現場に出してしまえば、誠実にひとつひとつの質問に答えてくれるナイスガイだ。こちらが世界のトップ・ギタリストへのインタビューで少なからずナーヴァスになっていることに配慮してか、言葉の端々に軽いジョークを挟んでくるし、随所で「…と、僕は思うんだけど、どうかな?」と同意を求めてくる。今回のインタビューは複数回線を同時に繋ぐテレコンフェレンス(電話会議)システムを通じて行われたのだが、途中で何者かが電話を保留にしたため、5分以上保留音が鳴り続けるというトラブルが発生。だが、そんなアクシデント下でも何度も「大丈夫?聞こえる?」と確認してくれたり、「アイスクリーム売りのバンが停まってるんじゃないの?」とギャグを挟むなど、ジェントルマンな気配りを見せてくれた。
 
だが、ひとたびステージに上がってしまえば、彼は五感のすべてをギターに捧げる求道者となる。魔法使いの杖をギターに換えて、これまで何度となく巻き起こしてきたマジックの残滓に、日本は虚脱状態に陥っているところだろう。
 
ジェフ・ベックの”感情と騒乱”は、2010年代も続く。



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