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曾祖父が遺したもの 

曾祖父が遺した文章を、古い書籍の中で見つけました。
こちらに、現在でも読みやすい様に多少手を入れさせていただきUPいたします。これをUPすることで、素晴らしい曾祖父に、リスペクトを送りたいと思います。noteは私の本名を記載しておりませんが。
著作物に関しましては、曾祖父の著作物ということで曾祖父の名前を明記させていただきます。

尚、著作権等は、没年月日を起算とした算出法で曾祖父の没後50年で消滅しているという起算で使用しておりますが。1967年迄の没ケースで計算。
以下文章につきましては、原文通りでは無い為(旧字・旧仮名づかい等を一部改定)無断使用はお控えくださる様にお願いいたします。


1938年(昭和13年)発行の、静岡茶業組合連合会議所の発行書籍。
茶業界33(10)からです。

    非常時下の茶業と品種改良
                      本所 大橋宗平

 本県の茶業は、今転換期に直面しているのではあるまいか。即ち600万貫より、800万貫、800万貫より1000万貫、続いて1200万貫とその量を加え、これによって他の府県を遠く凌駕した本県茶業は、ここにしばらく量を埒外に置いて質に就いて考察し、質の精良を取り戻さなければならない時に到達したと思われる。 ※貫→尺貫法で重さの単位

 質の精良、質の統一を得ようとするならば、我茶業は先ず出発点に還り、第一に品種改良、統一より着手しなければならない。これは一見甚だ迂遠なる方法のようではあるが最も堅実なる方法であるから、結局は最も速に目的を達成する方法であると信ずる。

 本県の製茶界に於いて最も顕著な事実は昨昭和12年度は輸出が甚だしく振るったに反して内地の需要が減少した、然るに本年はこれと反対に内地需要は著しく伸びつつある。輸出は極めて不振に苦しんでいる事である。

 昨年の茶の主要な時期にはまだ事変は無かったし予測もされていなかった。それが秋になって事変は漸く拡大し次第に戦時体制に入り、国家の統制下に於かれるものが多くなった事を考慮する必要がある。一国が完全なる自給自足の力を有しているならば、平時は遺憾ながら現在世界の国の中でもここに到達しているものは極めて少数である。
※事変=支那事変と思われる

 我国のごとき四面環らすに海を以てし、陸地には山岳重畳している為に、農業を主としているけれども、この農業も常に集約的に行わねばならなかった。殊に主食物たる米作の為に平地の多くの部分を充てなければならないから、如何に必要を感じてもこれを生産することを得ないものが多かった。殊に国民の生活が世界文化を取り入れると共に複雑を加えて来たので、その生活に要する品目も多くなった。日本料理の他に、支那料理、西洋料理を加え、和服の他に洋服を必要とするのを以てしても、その一班を知り得よう。ここに於いて海外の輸入に待つ物が年と共に増加するから、このバランスを保つ為に輸入も増加しなければならなくなった、これが戦時に在っては、軍需品として輸入に待つものも少なからざる我国の現状では一方に少なくとも平衡を保つだけの輸出をしたいのであるが、そこは平時と異った国政関係が生まれたり、生産労力の多くを軍需工業に取られたりする為に、思う様に輸出が出来なくなる。

 今再製組合の調査に依る本年5月1日より7月末日迄の統計に就いて見ると次の通りである。

      本年     前年             対比
紅茶  903.492           1.324.720        (減)    431.227
緑茶 5.265.523            8.728.687        (減)  3.463.164
 計 6.169.016          10.062.720      (減)  3.893.704 封度
※単位はポンド=封度

即ち昨年に比して3割余の減少を示している而してこれが原因を討ねると
1.アメリカとその他需要地の不景気
2.事変に原因する国際情勢の変化
3.米英を主とした各国の排日貨運動
4.事変の依り思想的な仮需要やストックの偏在
5.前年輸出茶の品質的欠陥
が累をなしていつものと見られる、これらの項目に従えば中には事変の終息を待たなければ是正されないものもあるけれど、品質改善に依って輸出を増進する途(みち)の遺されていることに注意しなければならない。

一方内地需要の増加は、昨年に比して本年は著しく茶の安かったことにも帰因しようが、更に他の色々な飲料の輸入が不可能になった事にも数えよう。戦時我国に輸入されたものは、茶類約116万円、珈琲約355万円、ココア約126万円、合計約600万円に上がっていたが、これが今次の事変に依る輸入禁止に逢った為に、従来有せるストック以外にはこれを得る途(みち)が無くなったので、勢い飲料を転換しなければならなくなったのもこの一因と見られよう。

茶は米麦の如く必ずしもこれ無くして生活し能わざるものでは無いけれども、茶の嗜好は我国民の間には久しく浸潤して抜く可らざるものとなった。それが事変下に在って、農業にも工業にも商業にも余程労力を減じて来たから、1人の負担すべき量が加わって来た、ここに疲労をいやし、慰安を得べき飲料としての茶は必要なるものとして需要さるるに至ったものと見られよう。

ここの中に在って、珈琲、ココアは台湾を除いては栽培が不可能であるから致し方ないとしても(※当時は台湾は日本であった)、紅茶は本県に於いても1000万封度(ポンド)の生産量を見るにに拘わらず内地需要を満たし得ない、外国紅茶に取って代わり得ないのは質に於いて劣る所がある故である。これが改善は第一にその品種を改善しなければならない。

然るに従来本県に於いて栽培されつつある茶樹は極めて雑駁なるものであって、その中には緑茶にも紅茶にも適当ならざるものも少なくない。そして徒らに量の多きを欲して摘栽、製造をおこなっているとしたならば、嗜好品としての埒外に押し出されて顧みられない時が来ないとは云われない。現に本年の如きは内地需要がやや旺盛である為に、今日に及んだけれども、生葉の値段は引き合いはない迄に下落して居り、生産過剰に陥らんとするおそれが多分にある。本所が規約を改正して摘採、製造期日を制限したのは一方に過剰を防ぎ、一方に茶樹の勢力を保持せんとする適切なる施設である品種改良に依る茶園を基礎として経営しなければならない。面してこれを行わんをせば左の二方法がある。

1.現在の茶樹の中から理想に適合せる形質を具備せる茶樹を別ちて
   選出する法。
2.人工を以て、雑種を作り優良形質を有する新品種の茶樹を
   育成する法。

第一は単なる淘汰によって行われる分離育種法であるが、第二は優良形質を有する品種間に雑婚を行い、その子、孫の固定と、淘汰によって達成せられる雑種育程法とがある。
分離育種法に依り新品種を得んとするには県下一万七千余町歩中の雑駁なる茶樹中より理想型に合致する候補樹を設定し、更にこれ等の個体郡の栽培価値及性能調査を育成し、地方同一型郡生園を作らねばならない。

 だから第二の方法に依る品種改良法は、多くの労力と時間と経費をを必要とするを以て、応急策として前者即ち分離育種法により速に品種茶樹の育成改植をなるべく、これに依って茶業の根本的改革をとげたらば初めて、不振を挽回し、戦時体制下の茶業として備え得るであろう。

 茶業者は従来の眼下の小利に促われた観念を精算して、茶業の本質を目覚し奉公の信念の上に立って茶業界の発展に協力しなければならない。