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1年間松本に留学しながら考えた「ポスト資本主義」と「山」の関係性について

2020年に有志で山登り部を結成した。自身が高円寺から松本に移住した今でも不定期にメンバーと一緒に山に登っている。

最初は、大菩薩嶺、大楠山など都内からアクセスの良い初心者の方々でも親しみやすい山々から始め、2022年8月の第11回目の山行では、メンバーの念願でもあった、北アルプス南部にある燕岳に登ることができた。

メンバーと行く登山とは別に、ソロ登山も行っている。今年の夏には中房温泉から槍ヶ岳を目指す表銀座コース、高瀬ダムから槍ヶ岳を目指す裏銀座コースを歩き、登山を再開してから目標にしていた槍ヶ岳に登ることができた。

松本に移住していなければ、ここまで北アルプスの山々に登ることはなかっただろう。

なぜ松本に移住したのか?と、人に問われることが少なからずある。当時、明確な理由があったわけではなく、上手く答えることができなかった。体感としては気付いたら松本に流れ着いていた、という感覚だった。

1年間松本で暮らしていくうちに、そのあたりの感覚が、自身の中でクリアになってきたので整理した。

以前、なぜ山に登るのか、について考えた際「退屈だから」という気づきがあった。

記事を要約すると、「暇」な時に「疎外された労働」により蓄積されたサリエンシー(刺激)が表面化し「退屈」となり、「退屈」になった際の対症療法として、複数ある選択肢の中から「山登り」を選択していた、という内容である。

対症療法だけでなく、今後は根本療法を行うことも重要だと考え、以後、根本療法(疎外されない労働をする)に関して考察をしてきた。

  • 根本療法

    • 疎外されない労働をする

      • 外的要因でなく、内的要因で働き経済的、時間的に自立する

  • 対症療法

    • とりさらわれる

      • 誰かに用意された暇を消費するのではなく、主体的に暇を浪費する

山登り部やソロ登山を続けるうちに、対症療法の選択肢の一つだと思っていた「山登り」が根本療法にもなっているのではないか、という新たな気付きがあった。

キーワードは2つ、「「構想」と「実行」の統合」と「テリトーリオの認識」だ。

「構想」と「実行」の統合

以前、『暇と退屈の倫理学』(著:國分功一郎)から学びを得て、「疎外された労働」に関して下記学びを得た。

「利益社会」という前提で行われる「疎外された労働」で求められる「外的有用性」に無理に自身を合わせるすることに疲弊し、心の中に痛みの記憶として蓄積していた。

「疎外された労働」について考察するうちに、斎藤 幸平氏の「人新世の「資本論」」の下記記載と出会った。

本来、人間の労働においては、「構想」と「実行」が統一されている。例えば職人は頭の中で椅子を作ろうと構想し、それをノミやカンナを使って実現する。ここには、労働過程における一連の統一的な流れが存在する。
(中略)
資本は、職人たちの作業を注意深く観察する。そして、各工程をどんどん細分化していき、各作業時間を計測し、より効率的な仕方で作業場の分業を再構成していく。
(中略)
「構想」能力は、資本によって独占される。職人の代わりに雇われた労働者たちは、ただ資本の命令を「実行」するだけである。「構想」と「実行」が分離されたのだ。

人新世の「資本論」

「構想」と「実行」の分離という視点が実感を持って理解しやすいと感じた。

組織で行う仕事は、構想と実行が分離していることがある。ざっくりとしたカテゴリに分けても、営業、編集、ディレクター、デザイナー、エンジニアの職種があり、それぞれのタスクに対して専門性が必要という面もあり、分業される。

サービスに対する理念が共有され続け、関わっているメンバーが納得感を持ち、自律的に各々の実行と向き合っている環境(成功循環モデル)であれば良いかもしれない。

また、大量生産・大量消費で企業の利益が右肩上がりで、結果として組織のメンバーに還元されていた時代であれば、自律性の不足に対して、ある程度折り合いをつけて携わることもできたのかもしれない。

ただ、キャリアを重ねる中で自身の構想が強くなったこと、世の中が分散化し続ける中で、今までの分業モデルのメリットとされていた面が、デメリットなることが多くなるにつれて、既存の組織モデルとと折り合いがつかなくなることも多いだろう。

「山登り」は「構想」と「実行」が一致している。

自身で登る山を決め(構想し)、登る(実行する)。

当初、とりさらわれる瞬間を求め、退屈から逃れるための手段という認識だった。しかし、構想と実行を一貫して行う動き方を取り戻す機会になっていたので、自身が求めていて、日常的に山に登ることで自身中でその部分の重要性を再認識し、仕事のあり方について見直す気付きを得られたのだと思う。

テリトーリオの認識

テリトーリオとは、陣内秀信教授によると下記と定義されている

「都市と周辺の田園や農村が密接につながり、支え合って共通の経済・文化のアイデンティティを持ち、個性を発揮してきたそのまとまり」

イタリアのテリトーリオ戦略

イタリアでは1980年以降、この概念を用いて、地域間の面的な連携を進め、過疎に悩んでいた農山魚村が経済的に立ち直っていった経緯がある。

この「テリトーリオ」を日本で定義する場合、井上岳一氏は「日常2」の中で下記と提言している。

山から川が生まれ、田と都市を潤し、湖沼や海に注ぐ。この中に山。水、郷の全て揃っているから、川の上流から下流までの流域一帯を山水郷=テリトーリオとするのが日本では分かりやすい

日常2

今年の夏、中房温泉登山口から表銀座コースを歩き、槍ヶ岳に登り、上高地に下山した。

槍ヶ岳からは梓川の源流が流れており、梓川は松本平へ流れ犀川となり、千曲川に合流し、新潟市で日本海へ流れ着く。

山登りを通して山間地域にアクセスすることで、普段自信が暮らしている地域が、山と街が川を通して繋がっている地域だという認識が生まれる。

東京に暮らしていた時には感じることができなかった、「地域とのつながり」である。

都市と自然の「マクロなつながり」を認識し、自然の恩恵を受けて暮らしつつ、その中で得た信頼関係をもとに経済圏をつくり暮らすこと。

山登りを通して「テリトーリオ」を認識することは、疎外された労働から脱却した後の持続可能性を保持する上で、重要な学びとなっている。

松本に移住した理由

「仕事」との向き合い方について、違和感が強まっていた2年前の私には、一度立ち止まってメガトレンドから自身のあり方を考える時間が必要だった。

そのためにはフィールドワークとして体を通して思考する必要があると無意識に感じ、それをどうにかするヒントがありそうな直感があったため、たまたま松本に来た。

フィールドワークで得た、自身にとって大切な学びは下記2点だ。

  1. 構想と実行を一貫し、生業を取り戻すこと。

  2. テリトーリオを認識し、相性の良い場所で暮らすこと。

この先も頭だけで考えても分からないことが多々あると思うが、そんな時は、直感を信じ一旦行動してから、歩いてきた道を振り返りながら考えれば、今までと違った景色が見えるのだと思う。