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マルコのこと114

 甥っ子がステキな絵を描いてくれた。

 3人いる甥っ子中で一番年下、背も小さくてちょっと太っててかわいい、いま小学四年生のはず。彼は小学校にあがる前(※これは多分間違い、低学年からが正しいと思う)からゴジラが大好きで、盆暮正月に集まるといつもチラシの裏紙にゴジラの絵を描いていた。父もそれをわかって必死で裏の白い紙を保存していた。

鎌田くん


 両親(わたしの弟夫婦)も彼のゴジラ好き、絵好きをわかっており画用紙セットや色ペンセットを与えて好きに描かせている。色ペンセットとは色を塗った後に水でぼかしたりできる絵描きさん御用達のツールらしい。

 彼はまた大変な猫好きで、犬アレルギーを持っているのに猫は大丈夫という猫を愛でるために生まれてきたような子だ。でも家では猫は飼っていないからこちらに来る時はいつもモッチとマルコに会いに来た。甥っ子たちの持ってくるチュールは当時はオヤツも厳密に管理してたのでモッチとマルコにとっては年に数回のご馳走だった。

2018年の様子。右手前は彼のおにいちゃん、左側でマルコにチュールをあげているが今回主役の彼。奥のもう1人も甥っ子


 コロナが続いていたので彼らはウチに来ることはできなくなった。また遊びに来てねとわたしも言っていたがマルコの具合が悪くなってしまった。もう遊びにくることはできない。マルコは来客があっても大丈夫な子だったけどやはりストレスをかけられないし、そもそも彼らもいつ外出が解禁されるのか分からない。わたしはすこしでもマルコの姿を残したかったので、甥っ子にマルコの絵を頼もうと思った。「実はマルコが具合悪くなってしまったの。マルコが元気になるようにマルコを絵を描いてくれる?」そんなセリフまで用意したけど結局頼まなかった。なぜかな。マルコが病気だって口に出すのが怖かったのかもしれないし、まだまだ大丈夫って思っていたのかもしれない。そうやって自分に言い訳してたのかもしれない。彼にマルコの絵を描いて貰えばまたすぐに元気になる、というのと、マルコを大好きな彼にせめてマルコを覚えていてほしいという矛盾した思いがあったから踏み出せなかったのかもしれない。そんなことを考えていたのは一月が二月ごろだったと思う。そのうちマルコの具合がどんどん悪くなってそれどころではなくなってしまった。

 先日、敬老の日で久しぶりに兄家族、弟家族、父、自分の全員が集まった。お墓参りをしてみんなでSizzlerに行った。自分は初Sizzlerで張り切って取りすぎてしまいコーヒーを飲んで一息ついてたら彼がわたしのそばにやってきた。「これ、おかあさんから」と家庭菜園で育てたという唐辛子(インドジンウソツカナイ)をもらった。ありがと、辛そうだね、などと話していてなかなかそばを離れないな、と思ったらはにかみ屋の彼がもじもじしながら絵を差し出して来た。

ちゃんとカメラ目線のモッチ。よかったね。また会えたね。


 マルコがそこにいた。モッチも一緒にいる。最初に切なさが溢れ出て泣いてしまって、彼も戸惑ったと思う。でも彼がマルコを想って、わたしのことも想ってくれて描いてくれた、そんな気持ちがほんとに嬉しかった。モッチの尻尾の先が黒いのとかいつの間にチェックしてたんだろう。マルコをもう一回抱っこしてあげてほしい。

 最近、自分は絵を描き始めた。詳しくは別の機会に述べるけれど端的に言えばマルコの姿を自分の手で残したかったからだ。もう彼を残せるのは自分しかいない、どんな手段がいいのだろう、note.をまとめていつか本にしようとも考えているけれど最後の日が書けない、残したメモがまだ読めない。それにあのかわいい姿も最期の気が狂いそうな瞬間もそのあとのどうしていいか分からない喪失も言葉では描ききれない。あの喪失を残すには絵なのか、と思った。でもね、自分だけじゃないね、彼も残してくれたね。よかったね、嬉しいね、よかったね。

 彼に絵をもらって、ちょうど製作中の描きかけの絵がようやく仕上がる気がしている。寂しさを描き始めたらどんどん淋しさや辛いことがつのり、マルコのことに吸い寄せられて仕上げ方が分からなかった。そこに優しさがまぶされて着地点が見えた。すくなくとも自分が描く絵は、なにか優しさや前向きなものでまとめなきと終わらないみたい。

またいつかマルコに会えますように。

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