長い旅 atクラハ[20210307]
※clubhouseでの発表内容をメモより起こしたモノです。音声の文字起こしではありません。
イスラーム映画祭6(2021/2/20~)
108分
イスマエル・フェルーキ監督
フランスに住んでいるモロッコ系移民のレダ、敬虔なムスリムの父のマッカ巡礼の旅に付き添うことになる父と息子のロードムービーです。
敬虔なムスリム信者である年老いた父の願いは死ぬ前にマッカにいくことでした。息子のレダは信者ではないのですが母に頼まれ、父と一緒にマッカ巡礼の旅に出ることになります。この旅のためだけに用意されたいつエンジンが止まるか分からないドアの色も違うボロボロの一台の車、これを運転していくことになります。
同じ車の運転席と助手席に座った二人、反抗期のレダと世代の違う父、遠いけれど遠くない微妙な距離感。レダは高校の試験を受けることもできず、恋人ともしばらく会うことはできません。そんな気持ちで運転をしているのでシラケた雰囲気が漂っているのですが完全に父を拒絶できるというわけでもなく、どうしても縁が切れない、いかにも親子という関係です。
途中いろんなエピソードが発生します。
父は字を読むことができません。よって地図はレダがよむことになります。道を間違えたことに気づき戻らないと、と伝えますがと父は戻ることを頑として認めません。父も初めての旅なのに自信たっぷりに「右にすすめ」と強く主張するのです。最終的にはもう地図を見ることなくただ父のいう通りに進むことになりました。また、たまには役に立とう(役に立つところをみせてやろう)とレダが道を決めるのですがそういう時に限って完全に迷ってしまいます。ふたりは雪の降るなか、バス停のような小屋で野宿をすることになりました。そんなとき毛布にくるまりながら息子は父に聞きました。
「なんで飛行機で行かないの?」
「飛行機より船、船より車、車より馬、馬より徒歩。水が天に昇るとき、ゆっくりと浄化されていくという。巡礼の旅もそういうものだ」
大事な旅行資金が盗まれるという事件が起きてしまいました。まだマッカに着くまで何日もあるのにこのあとはずっとパンとゆでたまごという食事で済ませるしかありません。ますます会話がなくなる二人。そんなとき、道端の井戸で水を調達していると小さな子供をかかえた母親がやってきて彼らに施しを求めます。すると父はなけなしの金から親子に分け与えているではありませんか。それを見ていたレダは自分たちの金もままならないに…「返せ!」とその親子から金を奪い返してしまうのです。もちろん父からは激しく怒られます。
目的地マッカが近づいてくるとだんだんと風景が変わっていきます。たった1台で向かっていた彼らの車の周りに、1台、また1台と同じ方向に進む車が増えてきて中にはツアーを組んだ大型バスなど、やがてはマッカへ向かう車の隊列になっていきます。二人は道端で休んでいる巡礼者の団体に入っていきました。その団体は初対面であるにもかかわらず二人を真ん中へと招き、食事を分けあい、同じ席で一緒に食べて一緒に祈ります。信仰という不思議なつながりを感じたシーンです。ここではじめてレダは父に聞きました。
「何でマッカに行くの?」
「ようやく興味をもったか」
父は小さなころのエピソードを教えてくれました。父の父、つまりレダの祖父もやはりマッカ巡礼にいきました。父はそれがとても誇らしくて毎日毎晩、暗くなるまで近所の丘にあがって父親が帰ってくる姿が見えるのを待っていた、と。
マッカに着くとたくさんのひと・人・ヒト、すべてが信者たちです。土埃で建物も車も隣に歩いている人も見えないくらいにごった返しています。到着した信者たちは車から降り、巡礼の服に着替え、誰もしゃべることなく手を合わせながら静かに待機してています。そして自分の番がきたと悟ったひとりひとりが順々にモスクに吸い込まれていきます。レダの父も旅の間の洋装をとき、白い姿になって他の信者たちと一緒に黙ってモスクに向かって歩いていきました。「ここで待っているからね」とレダが声をかけても、父の耳に届いているかどうか…。このときの信者たちが神に吸い込まれていく美しい映像、静かな姿。水が天の昇るほどのゆっくりとしたスピードではないけれど2時間この映像で一緒に旅をしたからこそ感じられる静けさと美しさでした。
夕方になり、すっかり暗くなったころ、レダは父の帰りを待っています。信者たちが行きと同じように静かにモスクから出てきます。レダは車の屋根に上って、父が帰ってくるのを待ちます。まさに丘の上で祖父の帰りをまっていたかつての父のように。
続きは本編にて!
★発表後
なぜこの映画を?との質問。確かにとても地味だしインド映画でもないし。理由はもちろんとても面白かったから、に加えて次にいつ見れるかわからないから記録に残しておきたかったからです(なのでnote.は正解だ)。
上の説明は映画の8割ぐらいを説明してしまっています。でも一番大事な最後の場面は「映画紹介」というコンセプトにのっとって外しました。下記はラストまで、です。メモ的に残しましたので読みたい方はどうぞ。
★ラストシーン
お父さんが全然帰ってこないので、翌朝になって息子は巡礼者達が集まっているモスクの中に入っていきました。そこらじゅう信者だらけでそう簡単にお父さんは見つかりません。信者をわけいって、わけいって探そうともがいているととうとう警備員に捕まってしまいました。警備室でも彼はお父さんが帰ってこないと涙ながらに訴えます。正直言葉は通じません。が、その様子を見た警備員は彼をとある部屋に連れて行きます。
少し寒々しいその部屋にはたくさんの白いものが横たえられていました。遺体でした。そこは遺体安置所だったのです。原因はわかりませんが、たくさんの方がこの巡礼の地でなくなっていたのです。目的を達成したからの安堵ゆえかもしれません。
警備員が白い布を一枚ずつめくっていきます。息子は首を横に振って、違う、違うと示します。とある一枚をめくったとき、そこにお父さんが横たわっていました。お父さんも亡くなっていたのです。息子は泣きました。お父さんの体の横に横たわり、お父さんに添い寝をするような、むしろ添い寝されるような自分が赤ん坊のような形になってお父さんの横で泣き続けました。そして、お父さんの遺体はこの旅で知り合った巡礼者たちに手伝ってもらいながら荼毘に付されました。
帰路、ぼろぼろの中古車を売って飛行機代を手に入れて、タクシーで空港へ向かいます。タクシー乗り場を映す画面の端にうずくまってちいさくなっていた女性がいました。彼はその女性を幾ばくかの施してからタクシーに乗りました。[完]
ーーーー
自分は息子のレダがこのあとも信者になったとは思っていないけれど、何かに寛容になったのではないかなと思っています。すでに父より大きくなった息子が体を丸めて小さくなって泣いてる姿は印象的でした。この映画を記録しておきたいという考えでまとめたのでとにかく全部を記載する、という流れになっているのでかなり散漫ですけど目的は達成。ただ一番面白かったヤマのシーンなどはあえて外してあるのでいつかメモに追記しておこう。
★その他メモ
・パリ~マッカまでだいたい4500㎞、JAFより300km/日で進むと考えた場合だいたい15日の旅になる。
・メッカと呼ばれていたが現地の発音に合わせてマッカと呼ぶようになったらしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?