ノーネイチャーネイティブなわたしたち①
今回のnoteは、コンセプトブックの中身となるトピックスについて奥田さんに語ってもらった時のお話です。当時のメモ書きを見返しながら感じたことをnoteに起こしてみました。
ちょうど1年前くらいの話
2022年12月22日、森と暮らしの関係性について深ぼっていた時のことです。
なぜ、森と暮らしの関係性をリデザインするのか(これはコンセプトブックの本編でしっかり触れられていると思いますので、ここでは割愛します)、というやまとわの事業の中心にある考え方について聞いていました。
とにかく内容が濃くて、この時やまとわ入社1ヶ月(!)だったわたしは、奥田さんから出てきた言葉を一生懸命拾っては抱えてこぼさぬように持つのが精一杯で。順序立てて話してくださるので「なるほど〜!おもしろい!」と分かった気持ちにもなるのですが、「これは分かったと言えるのか…?」と思いながら、渋い顔でひたすら頷いていました。
そんなこの日の個人的ハイライトワードがこちら。
「ノーネイチャーネイティブ」
ノーネイチャーネイティブ?
なんのことかというと、奥田さんが養老孟司さんの言葉を引用しながら話していたこういう文脈がありまして。
養老先生のお話やこれからの新しいデザインの可能性についても興味深かったのですけど、ちょっとこのカタカナのインパクトがつよくって。
田畑を見て自分の身体とつながっているなんていうふうに考えたことはなかったですし、この時話の聞き始めの部分では頭上にハテナが浮かんでいました。
理屈は分かるんです。実生活としてはあまり自然と接点がないように感じていたとしても、自分の身体は自然によって作られていて、実はすごく繋がっているんだって。
そういうふうに説明されれば、まあ確かにそうだなとは思うものの、わたしってノーネイチャーネイティブな世代だったのか〜と何故かちょっとショックな気持ちもあったりしました。(鹿児島の田舎で育ち、自然に親しみながら過ごしてきた方だと思っていたもので…)
ネイチャーネイティブへの憧憬
自分がノーネイチャーネイティブ世代だと気づいて「あ、わたしはネイチャーネイティブに憧れていたのかも」と思いました。
便利になった暮らしの恩恵をずっと受けているけど、手仕事とか、手作りとか、手間ひまとかそういうの、ぶっちゃけ好きです。
薪割りや農作物収穫のような体験コンテンツにも心ひかれます。
ていねいな暮らしとか、田舎暮らしとか、ブーム感があってちょっとお腹いっぱいな感じありますけど、このへんの世界観ってネイチャーネイティブへの憧れなんじゃないかな。ないものねだりや振り子の反動のように。
便利になりすぎてしまった世の中で、自分と自然の関係を取り戻す、みたいな、自分や暮らしの外とのつながりを感じる時間をもつ、みたいな。
そうは言っても、便利さの全てを手放したいわけではないし、毎日テクノロジーの恩恵にあずかっているわけで。
ちょっと試してみた程度で続けている習慣があるわけでもない。体験して終わりってことばかりです。そんな自分にちょっと落ち込むけど、まあしょうがないか、わたしはノーネイチャーネイディブだし。
今は暮らしと地続きではない娯楽的なコンテンツかもしれないけど、田畑と自分の身体が繋がっていると感じられるような、自然と自分とがちょうどよい距離感で暮らせるようになっていけたらいいな、と思いました。(うちの)
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