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記憶というのは曖昧で
何も見ずに作れるごはん、いくつあるんだろう。
もし手元にレシピが全てなくなって、調べる術さえ無くなってしまったら。
大好きなものも思い出のものもどこかあやふやで、きっと作れなくなる。
想像したらすごい無力感。
結局は身一つ、最後に頼れるのは経験だけになる。
「覚えよう」の意識、大事。
いろんな料理作ってみよう、のフェーズは終わったようで、レシピを見て作る完璧な100種より、その日の体調とか感覚と
ただ想う。その穏やかな瞬間の連続が何をもってしても越えられない幸せだと感じるようになった。待ち焦がれることはなく、手に入れられないと心を乱すこともない。だから訪れた縁には「やあ、昨日ぶりだね」くらいの気持ちで接するんだろうね。子供の頃にはわからなかった感覚。歳をとりましたね。
理解されないと諦めていても心のどこかでは分かってほしくて。私が今持っているものを誰かにも持っていて欲しくて。私を認識して欲しくないのと同時に私がいたことを覚えていて欲しいと思う。伝わらなくて、傷ついても繰り返す。種の保存以外に、私を残したいと願ったのが人間の始まりかもしれないね。
カフェは寂しくなったらいきたくなる場所。誰かと話したいんじゃなくて、ただ空間を、音を、時間を共有したいの。右の看護学生は国試前、左の人は公務員試験、それぞれが前を向いて時間を過ごしている。隣で一緒に前を向いてくれてる暖かさを感じながら、今日も日が落ちるまでここにいる。