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愛しているからこそ、離れる勇気。【Day12】

大好きだからこそ。

ずっと好きでいたいからこそ、離れてみる勇気が必要なときもあるのではないでしょうか。


ベトナムに来て、早一週間が経過しました。

ホイアンの虜になったぼくは、この街と別れることを惜しみながら一人で夕食をいただいていた。

この街で過ごした日々を振り返りながら、ふと「ぼくは日本を再び好きになるために、旅をする」という言葉に自然とたどり着きました。

ぼくがなぜ、海外を旅するのか。

その理由が分かりました。

思えば、ぼくにとって日本は母国であり、異国。

アメリカで幼少期を過ごしたため、日本はどこか遠くの不思議な魅力が詰まった国として付き合っている部分があります。


ぼくは、日本のことが大好きです。

日本人の勤勉さ、気遣い能力、豊かな食文化にサブカル、治安の良さなど、枚挙に暇がありません。

しかし、嫌いな点も、挙げ始めたらキリがない。

『普通』という価値観、受験や就活の文化、空気という同調圧力に若年層の自殺など、許せないこともたくさんあります。

しかし、総合的なプラスマイナスで日本を測ったときに、好きが嫌いを上回るから、ぼくは日本に生きています。


ぼくにとって、とても素敵で大好きな日本も、慣れが生じると負の側面が目に付きやすくなります。

それはまるでカップルが同棲を始めて、最初はよかったものの、徐々にお互いの気になる点が許容できなくなるかのよう。

要は、慣れが生じると、今まで夢を見ていた同棲生活のありがたかさが薄れ、むしろともに一つ屋根の下で暮らすストレスばかりが目立ち始めるわけです。

人間は適応能力の塊なので、これは必然的に発生します。

だからこそ、離れる勇気がときには大切なのではないでしょうか。


一度、離れてみることで「ありがたみ」がもう一度、認識できる。

存在する「有り」ことが難しい「難い」から「ありがたい」わけで、あることが当たり前になってしまった途端、ぼくたちは感謝の気持ちを忘れてしまうのです。

失う勇気を持つことは、むしろ感謝し続けるための勇気なのかもしれません。

何事もそうかと思いますが、この世に完璧なものなんてない。

誰かにとっては完璧でも、それは別の誰かにとっては真逆の価値観として、受け入れられないものかもしれない。


日本人が謙虚さを美徳とする中、アメリカでは謙遜していてはチャンスは舞い込んできません。

国や文化、歴史が変われば完璧の定義なんて、すぐにひっくり返る。


だからこそ、いろいろな文脈を知る。

そして、その様々な文脈を旅する。


そうすることで、人生のときどきに応じた、完璧を渡り歩けばいいのではないでしょうか。


今日の半時間はここまで。


今から急ピッチで荷造りをします。

あと20分ほどで空港へ向かうタクシーに乗らないと、次の予定に間に合わないから。

急ごう、マジで。


Got to go.


Sincerely,

YAMATO



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