見出し画像

ご報告

愛猫ラックについてのご報告

2023年1月31日
愛猫ラックが亡くなりました。
手術中、麻酔によるショック死でした。
今日がちょうど一周忌になります。
あまりに突然のことで受け入れる心の準備ができておらず、公にすることは事実を認めることになってしまうとずっとお話することが出来ずにいました。

このままずっと黙っていようかとも考えました。
でもSNSに投稿する写真も必然的にアプトだけになってしまい”これを投稿するとラックの存在を心配する人も出てくるのではないか”と一時期は投稿を躊躇してしまうこともありました。
皆さんに聞かれる前に、この日にちゃんとお伝えしようと決めておりご報告です。

小さな動物の手術は人間よりリスクが高く、術前に同意書を書くのが毎回嫌でした。
それでも確率が低いものだと思っていたので、今でも本当に信じられず、受け入れ難いです。

何も責めることもできず、納得感もない最後でだったので、これまでずっと悲しみの行き場がなかったです。

今小さな家族がいる方もいずれ直面することがあるかと思います。
リスクを承知で手術して良くなる選択をするか
リスクを恐れてなにもしない選択をするか
迷う人もいるかもしれないです。
でもどちらを選んでも間違いではなく、それはその時の最善だと思います。
そう思わないとやっていられないと思います。

老衰であれ病気であれ、生物が最後まで生き抜くことは当たり前のことではないのだと実感させられました。

ラックは暮らし始めてすぐ、横隔膜ヘルニアという病気が発覚しました。
幸いにも早期発見もでき、手術はも無事に成功しました。
(あの時協力いただいた皆様、本当に本当にありがとうございました。)

ただ、術後にも嚢胞が見つかってしまい定期的にお腹に貯まる水を抜去していました。
幸い命に関わる病気ではなかったものの、水がたまると食欲がなくなったり吐いてしまったりと辛そうなときもありました。

直近の体調もすごく悪かったわけではなく、むしろ体力のあるうちに少しでも彼が楽になるようにと先生と相談して決めたものでした。

もっと長く一緒に居るための選択がこんな事になってしまって。
前述で”その時の最善”と言っておきながらも、今でも何を後悔していいのかわからない程後悔でいっぱいなのも事実です。

ラックに出会えたこと、一緒に過ごした時間はあたたかくて優しくて幸せな時間でした。
たくさん頑張ったし我慢もしていたはずなのに、そんな顔は見せない子でした。
いつもおとぼけで私を笑わせてくれました。
彼と出会えたこと、一緒に過ごせた時間に感謝しています。
彼も私のもとで暮らしたことが幸せだったらいいな、と思います。

ラックを可愛いと言ってくれていた皆様本当にありがとうございました。

また写真をあげるタイミングもあるかと思いますが、かわいいって思ってもらえたら嬉しいです。

ここからはあの日のことを忘れたくなくて、随分前に自分のために書いた記録です。
ラックが頑張った2日間です。


記録

1月29日

かなり体重が落ちていたのもあり、ギリギリまでチュールを使ってご飯をあげた。
結婚式用の動画や写真撮りたいと思っていたりして、お腹が剥げちゃってたら可哀想だなとも思い動画や写真をたくさん撮った。
当日はすごく元気だったし本人も楽しそうに過ごしていた。
家を出る時間になりキャリーを出すと珍しくすごく嫌そうな顔をした。
病院が好きなわけでもないが、アプトと比べると素直にキャリーケースに入る子だったので、ここまで嫌な顔をするのは初めてのように思った。

夕方病院へ行き先生にラックを預ける。
頑張ってね、スーパーマンになって帰ってくるんだよと声掛け。

その後手術の同意書を記入。
ラックは手術自体、去勢を含めると3回目。
何回書いても手術の同意書書きたくないと夫に話していた。

手続きが終わり駐車場のサービス券をもらうために受付へ。
ラックの姿が見えないので受付の奥の方を見ていたら
もう一度会って行かれますか?と聞かれた。
さっき離れたばかりだったのとなんとなく本人が寂しい気持ちになったら可哀想だなと思い
大丈夫です、伝えた。
この時わがままでももう一度声掛けしてあげればよかった、とずっと後悔している。

1月30日

在宅だったけれど通常通り夫も私も仕事をしていた。
手術はこの日のお昼頃から。
長くかかっても15時ごろには終わると聞いていた。

この日は朝からずっとソワソワしていた。
ラック寂しくないかな?
ご飯食べているかな?
とずっと考えていた。

13時になり手術始まった頃かな、と夫と会話。
14時から会社の後輩とMTG。

MTG中、私の携帯が鳴った。

ー14時59分

近くに夫が居たので電話に出てもらった。
時間的にもちょうど手術が終わるであろう時間だったため、
終わったんだな、と安堵していた。

しばらく玄関で電話をしていた夫。
口パク私になにか言っていた。

音声をミュートしてどうしたのか尋ねると、
今すぐ病院に来てほしいって!ラックが命にかからる危険な状態らしい
と。

頭がパニックになって手が震え出した。
後輩にごめんと告げてMTGを中断してもらった。

その時ずっといやだいやだと連呼していた気がする。
最低限の防寒具だけ着て急いで車に乗り込んだ。

何が起こっているのかどんな状態なのか、詳細な情報が不明のまま
すごく不安な気持ちで運転していた。
だいぶパニックを起こしていたけど、運転中事故がなかったのは良かったと思う。

病院まで自宅から1時間近くかかるため、
なかなか到着できずに不安だった。

ー15時54分

駐車場に駐車してすぐ、また病院から電話がかかってきた。
この電話が間に合わなかったお知らせだったらどうしようとすごく不安だった。
この時も先生が詳細を話してくれなかったので、やっぱり会うまでずっと不安が続いた。

病院に到着してからすぐに案内された。
エレベーターで上がると深刻な顔をした先生待っていた。

ラックが命の危険に直面していること
朝まではご飯を食べていて元気だったこと
一度目通常麻酔をしたときはバイタルも安定していて問題がなかったこと
その後に硬膜外麻酔(?)を行ってから容態が急変したこと
10分以上心肺停止してしまっていたこと
なんとか一命をとりとめ、今自力で心臓を動かしていること

順番に私達にわかるように説明してくれた。
ラックと対面してパニックな状態になることを想定し、
事前に状況説明してくれようとした先生の配慮だったのかもしれない。

手術室に入ると
たくさんのチューブに繋がれたラックがいた。
信じられなくて泣くしかなかった。
夫も、目の前の状況にショックを受けて泣き出してしまった。

先生に声をかけてあげてほしいと言われて
二人で声をかけた。

心臓が動いていて、人工呼吸器をつけていたけど呼吸をしていて温かった。
本人の意識はまだ戻ってきてないと聞いたけれど、
この時はまだ命がつながっていることが嬉しかった。
求めている姿ではなかったけど、昨日が最後じゃなくてよかったと思った。

一度止まってしまった心臓を、彼が動かしているということをただただ、褒めてあげたかった。

何を声かけてあげたか詳細には覚えていないけど
名前を呼んで、偉いね、頑張ったねと言ってあげた気がする。

しばらくして、バイタルが安定してきたから場所を移動してもらった。
一旦退室して外で待っていたけれど、なかなか呼ばれなくてずっと不安だった。

やっと呼ばれて中に入る。
ラックはやっぱり身体が大きいなと思った。
処置台いっぱいに寝転がっていた。

処置室は看護師さんたちや他の動物たちもいる場所で
多分私達がいることで多少の迷惑はかかっていただろうなと思う。

先生が今の状態で意識が戻る確率の話をしてくれた。
可能性は2分の1だったから期待してしまった。

心臓は自分で動かしていて、
人工呼吸器をしているものの呼吸も自分でしているとのこと。
あとは目が覚めてくれるだけ、と言ってくれた。
呼びかけて、刺激を与えてあげてほしいと。

私達にできることは、触って声をかけることだけだったので
うるさいくらい呼びかけた。

痛々しい身体だったから、どのくらい刺激を与えていいのかもわからず
あまり強い刺激は与えられなかった。
もう少し強い刺激を与えられていたら、なにか変わったかな。

はじめは声をかけても無反応だったけれど
声をかけているうち、たまに口元や耳がわずかに動いた。
この時は確実に、ラックはそこに居たと思う。
どうやって目を覚ませばいいのかきっとわからなかったんだろうな、と思う。

わずかに動くひげや耳、呼吸をするたび膨らむお腹がたまらなく愛おしかった。
今でも自力で呼吸をしていた、ピンク色のお腹が忘れられない。

しばらくして先生が来て
『もう少しだと思うんだけどなー。ラックさーん、起きてー。』
と声をかけてくれた。

揺さぶったり持ち上げたり、結構強めの刺激を与えてくれ、
喉元を触ったときに嚥下反射のようなものもあって最初に会ったときより回復しているように思えた。

『人工呼吸器とっても大丈夫かもしれない。』
そう先生が言ってくれたとき、少しずつラックが戻ろうと頑張っていることがわかってすごく嬉しかった。
この時点でもう面会の時間の19時をとう過ぎていた。

ICUに移動することもあり、病院の先生から一度ご飯など食べてくることを提案された。
すぐ戻ってきても様子があまり変わらないだろうからと言われ21時半ごろ戻ってくることにした。

近くのデニーズでご飯を食べた。
お腹が空いていたわけでもなく、ただ時間をつぶす為という感じだった。

あまりにも衝撃的な出来事で、ふたりとも意気消沈していたけれど
ICUに移ったことで一つ前進を感じていた。

ご飯食べて戻ったら意識が戻っていたりしないかと、多分ふたりとも期待していた。

ー21時半ごろ

再び病院へ。
ICUに移ったラックが居た。
やっぱり本人は大きすぎて、ICUが狭そうだった。

小さな部屋に入っていて、さっきみたいにふたりで覗き込むのが難しかった。
鼻に呼吸器のチューブを近づけながら、交代で声をかけた。
先生に習って強めに触ったり揺さぶったりしてみた。

たまに小さなしゃっくりみたいなのをしていたから先生に尋ねると、
これは私達が求めている意識が戻るための反射とは違うといわれた。
結局あれは何だったのだろうか…。
なんであれ、ラック自身が動いていたから何かしら前に進めている気がしていた。

ー23時過ぎ

「そろそろ帰ろうか?」
と、夫。
正直全然帰りたくはなかったけど、
そもそもこんな時間までいることで病院に迷惑がかかっているのではないか、
明日も仕事があるし…などと考えてしまった。

あれからラックの様子は特に大きく変わることもなかったから、
明日になったら目が覚めるのではないかと、勝手に思い込んでしまった。

この時帰らなければよかったと、ずっとふたりで後悔している。
なんとなく時間が解決してくれるってこの時は思ってしまっていた。

病院をあとにして、駐車場までの道のりで再び私はパニックを起こして号泣してしまった。

目の前にラックがいないことで、ある意味脳が冷静になってしまった。
手術開始したのが13時頃、
連絡を受けてから8時間以上経過しているのに目が覚めない。
本当にラックは大丈夫なのか、戻ってくるのか…
不安しかなかった。
なんでこんな事になったのか、何度も考えた。

1月31日

次の日朝、病院の先生から電話がかかってきた。
『何時に来られますか?なるべく早く来てほしい』
すぐに身支度をして病院に向かった。

病院に通されると診察台の上にいた。
昨日の夜は自力で呼吸をしていた彼は、自分では呼吸することは難しくなってしまっていた。
それでもたくさんの管に繋がれながら呼吸をして頑張って心臓を動かしてくれていた。

昨日みたいに必死に声をかけたり揺さぶったりしながらずっと見ていた。
見てることしかできない。
昨日みたいに声をかけても触っても全然動いてくれなくなってしまった。
ずっと心拍の測る音を聞いていてちょっとでも弱くなるととても不安になった。
何度も看護師さんが来て何かを調整していた。

朝からずっとそこにいた。
病院の方々が優しく、好きなだけいていいと言ってくれた。

時間が経つとなんとなくラックがどんどん弱っていくように感じた。
飲まず食わずでずっとそばにいた。
昨日もしあのとき残ってたら、何か違ったのか何度も考えた。

昨日の感じた希望が、今日感じられなかったのは彼が全然動かなくなってしまったから。

世の中には奇跡っていうものがあるから、突然目を開けるんじゃないかと何度も想像した。

夕方頃になると、唇や肉球から血の気がなくなっていった。
ピンク色だったものがほとんど色がなくなって、少し冷たかった。
舌の色も悪かった。
ラックの手術をしてからまる一日以上経っている。
人工的に空気が送り込まれていたけど、それでも呼吸でお腹が動いているのが愛おしかった。
体温は下がっていたけど柔らかくて、あったかかった。
昨日とは違って時折鼻や口から体内の水分が出てきていた。
先生に聞くと臓器が弱ってきているのかもしれない、と言っていた。
私は医者じゃないからわからないけど、なんとなくこの時にもうだめなのかもしれないなと思った。

ここにいつまでいて良いのだろうかと考えながら、
病院が閉まる時間が過ぎてもずっといた。

何時頃だったか覚えてないけど
ラックはもうここには居ない気がする
と夫に伝えた。

その後、先生が来たタイミングで夫がもう諦めることを伝えた。

夫が伝えたことでなんかやっぱり決心がつかない自分が居て、
戻る確立は今はどのくらいありますか?ラックはまだここに居ますか?
と聞いてしまった。
今思うと先生には申し訳ないことを聞いてしまったなと思った。
この間ずっとほぼ寝ずにラックのことを診ながら他の患者さんも診ていたし、多分ほぼ寝ていなかったともう。
先生もずっと目を覚ますことを願ってくれていた。
でも私が感じた感覚の答え合わせを、先生としたかった。

昨日までは間違いなく居たけど、この日の途中からふっとラックがいなくなった瞬間あった気がした。
もちろん生物学上は心臓も動いているし呼吸をしているので生きているだけど。
人工的に生かされているだけ、な気がしてしまった。
ラックの匂いがどんどん薄れていってしまっていたからそう感じたんだと思う。

ただ、夫がちょっと先走って伝えてしまったもので
もう少し時間をもらった。

最終的に人工的なものをすべて外してもらおうと決めた。
彼自身の生命力にすべてを委ねようと思った。
呼吸は人工呼吸なものの彼自身の心臓は自分で動かしていたから。
そう先生に伝えると『わかりました』と外す準備をしてくれた。
外してお家に変えることも提案してくれたけど、保たないだろうがわかっていたのでここで良いと伝えた。昨日連れてかえることは難しかったのかな、などと今ならちょっと思う。
アプトに会いたいかは分からなかったけど、家に一緒に帰りたかったな。

先生が人口呼吸器を外してしまったあとのことと、抱っこを提案してくれた。
抱っこが良いなー、抱っこが良いよね、ラックちゃん。とラックに話しかけて抱っこさせてもらった。
二人で抱っこしようとも考えたけど物理的に難しかったので私が抱っこした。

かわいいなって思った。
本当にずっとかわいい子だった。
先生もラックとの思い出の話をしてくれていた。
ラックは病院っ子だったから、先生にも何度もお世話になっていた。
最初の手術の話やその後のこと、病院で実は結構ツンツンしてたこと。
お腹空いてくると服従してしまうこと。
私の知らなかったラックのこと。
本当に一番かわいい子だったと言ってくれた。
こんなことになって本当に申し訳ないと何度も何度も謝られた。

当初は矛先をどこに向けていいか分からなかったし、病院のことも疑った。

だけどこの時までの先生の対応や、
話してくれたこと、
一緒になって本当に辛そうな顔をしていたこと。
そんなのを見ていてとても先生を責めることはできなかった。

呼吸器を抜いてもらって
しばらくするとキューっと筋肉が収縮した。
その間ずっとありがとうを伝えた。
1月31日、何時だったか覚えてないけどギリギリ31日だった。
ずっと動かなかったラックは最後ほんの少しだけ動いて息を引き取った。

当たり前だけどしばらく泣いた。
先生も泣いていた。
なんかみんなで泣いた。
ただ先生がこんなにもラックを愛してくれていたことがわかって
ありがたいと思った。

なんでこんなことになってしまったのか
本当に今でも信じられない。
何が起こったのか、何が悪かったのか
今でも分からない。

ただもうラックが居ない事実だけがあって
先に予定していた結婚式もどんな気持ちで迎えていいのかまるで分からなかった。

この一年間何度も泣いた。
この先も同じだと思う。
やるせないし、何かの所為にすることもできずずっとつらい。

最善を尽くした結果ではないこと。
病気が悪くなったから手術を決断したわけではなく、もっと一緒にいたくての選択だったこと。
お腹を開けたけど、結局なんの治療もできなかったこと。
麻酔してお腹開かれて死んでしまった。

何度考えても納得できる理由はなくて
でも誰も悪くなくて
ただラックだけが居なくなってしまった。

もっと一緒に居たかったな。

夢にも出てきてくれなくて寂しいけど
私のところにいて少しでも幸せだったらいいなって思うよ。

ありがとうね。
また私に会いに来て欲しい。

ずうずうしいけど待ってるね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?