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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ⓪「コラムの前夜」


映画コラムですが、その前夜の出来事を少し


このコラムを書くきっかけになったのは、たった一本の電話だった。

しかもそれは突然かかってきた、というような劇的なものではなく、自分で勇気をふりしぼってかけてみたものである。

今年もう54才になったのに(なんと誕生日の日だった。ドラマみたい。)また失恋をした。自慢じゃないが、これまでの人生で10回以上は失恋経験がある。慣れっこは慣れっこだ。

ただ、この恋愛を成就させるのは、最初から私には難しい宿題だった。

25才も年下の男の子・・・。

だめだ、だめだと思いながら3年はすぐ経っていった。

いつも「恋」という電車に乗ってしまったら、適当なところで途中下車なんて出来ない。知らない間に「失恋」という駅に着いていて、孤独なまま放り出され、途方に暮れて歩き出さねばならない。

何か、恥ずかしくて友達にも家族にも言えなかった。

一人うずくまって痛みに我慢するだけ。

誰かに話したい。そうだ全く知らない人がいい。


かくして、私はネットの電話相談という項目を検索しまくり、一人の人物を選択し、電話をかけた。

ゲイバーのママ。

男の気持ちも女の気持ちも分かるというプロフィールが決め手となった。

ワラをもつかむとはこういうことなのか?

とにかく誰かに話すことで、少しでも楽になりたい。

「こういうのは初めてだから、緊張しています。すいません。」と謝り、しどろもどろながら、電話の向こうのママに溜まっていた思いを吐き出していった。

父親の急死で、家業を継がなくてはならなくなり、三年間ほぼ休みなく働いてきたこと。その頃から取引先の担当になった25才下の男の子と、毎日のように顔を合わせ、慣れない仕事をお互いに切磋琢磨して、軌道に乗せていったこと。

仕事は大変だったけど、その子とは自然と仲良くなって、誰と話すより楽しいと思うような関係になっていった。その子のおかげで困難を乗り越えられてきたとも思う。

ただそんな感情を恋愛に持っていくのはためらわれた。私の年令から考えて遠慮するべきという考えがいつも頭をかすめ、何もこちらからは行動を起こせなかったのだ。

しかし、それは全くの取り越し苦労だったようだ。

あろうことか、私の54回目の誕生日のその日、彼は突然、「彼女」とおぼしき女の子を連れて私の職場にやってきた。

何の屈託もなく、嬉しそうに。たぶん私に一緒に喜んで欲しかったんだろうな。

何のことはない。私は始めから「恋愛圏外」の女。

それが現実。それ以上でもそれ以下でもない。

誰にも言えなかったけど、言わなくてよかったよ。


周りに知れたら、いい笑い者になってたね。

「多くの電話相談のサイトからママを選んだのは、こんな状況を一緒に笑ってくれるような人が良かったからです。」と言ったらママは「笑えない。一度も会ったことない、よく知らない人のことを笑ったり出来ない。」とそこはなぜか真面目な口調で言われたのが心に響いた。

相談の料金がからんでいるとはいえ、優しい人だと思った。

私はそこで泣けてきて「誰にもいえなくて、辛かった。王様の耳はロバの耳って穴掘って言いたかったくらいです。」と言ったら、ママもクスッと笑ってくれた。それはそれでなんか嬉しかった。

その後のアドバイスは「これからは待ってちゃダメ、自分から行かなきゃ。そして後は女磨きも大事。」というありきたりかも知れないものだった。その流れで「趣味は何なの?趣味のサイトとかで知り合えば?」とふっと聞かれた。

その途端、私は「映画です!!」と食い気味に答えていた。

目まぐるしいほどのここ数年間の仕事の忙しさで、すっかり忘れていたものが、感情が決壊したことで溢れ出してきた。そして数分前まで全く考えもしなかった言葉を口にしていた。

「でも映画は好きすぎて、必ず映画館の一番前で見ることにしてるんです。その時は誰にも邪魔されたくないんです。」

自分自身でもびっくりするくらいキッパリと大きめなボリュームで答えてしまったが、ママは「へえ、首痛くならない?」ぐらいののんびりとしたリアクションだけだった。

それでも私はやっと水と言う言葉を体感できて、気付きの喜びに溢れるヘレンケラーのように、そうだ私は映画が好きだったんだ。何故今まで忘れていたんだろう?「ウオーター‼️いやムービー‼️」と叫びたいくらいに自分の言葉に驚いていた。

「一人で見るのが好きだから趣味のサイトとかで、誰かとその気持ちを分かち合うなんて不可能」と、いつもの私ならそこで終わってたかも知れない。ただこの時は素直な気持ちになっていた。

否定ばっかりして、自分を閉ざして、素直じゃないのは自分の悪い癖だ。今までのままではだめだ。今、変わろう。

「そうですね。趣味のサイトとか、そういうつながりもいいですね。」

ママにそう言って、電話を切った。

庭に穴を掘って叫ぶより、誰かに話せて良かった。

ママは知らない人だけど、話を聞くプロに任せて良かった。

その日の夜は心の痛み止めがよく効いて、穏やかに眠れた。

そうは言っても、件の年下の彼とはこれからも仕事で毎日のように顔を合わせなくてはならない。

私はもう大人だから、大人気ない行動は決してとってはならないと分かる。本当はもう会いたくなんてないよ。こんなだから、毎日毎日失恋の痛みは少しも癒えずに私を苦しめる。

同年代の彼女は同じ会社の子らしい。見るんじゃなかった。

私、醜くも、若さというものにも嫉妬してしまうじゃん。

結婚して、子供をつくる適齢期。これから長く明るい未来が待っている。

若いってこんなにいいものだったんだ。

私は仕事仕事で生きてきて、ふと気がついたらまるで浦島太郎だ。自分が人生折り返し地点を迎えるような年になっていたなんて、今まで気が付かなかった。

待てよ。どうして私は今の彼らくらいの時に、こういう幸せを選ばなかったんだろう。

どうして、必死で彼氏を作ろうとか、婚活しようとか思いつかなかったのか?

そうその頃の私には大事なものがあった。

それは「映画」である。まるで恋をしていたように。


映画館で、一番前の席で一人、好きな映画を見るのが幸せすぎて、彼とデートで映画を見に行こうなんて発想すらなかったなあ。

それに気づいた今、当時好きだった映画を見直し、自分の若く希望に溢れた日々に一度戻ってみようと思う。人生の折り返し地点である54才からのこれからをどう生きていけばいいか、映画コラムを書きながら考えていきたい。




















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