ぺるとも30人組手・パラドクスさんよりぺるともさんへのメッセージ

☆以下、パラドクスさんがエントリー時に「ぺるともさんへのメッセージ」欄に記入されたメッセージです。悩んだ末、noteで公開で公開させていただく事にいたしました☆

多少の自分語りを許して欲しい。

ぺるともと初めて出会ったのは2017年9月23日、新宿歌舞伎町の歌広場。普段大喜利をしている人達が集まり、フリースタイルラップの練習をする会に参加した時のことだった。

ラップというものは、最も本心が表れ"る"会話だと思う。

喫茶店でまったり話すよりも、お酒の力を借りて打ち解けるよりも、フリースタイルラップではより本心の核の部分がぶつかり合う。流れるビートを乗りこなして、八小節という限られた時間で伝えなければならない。そんな制限が、脳のフィルターをすっ飛ばした本音を引き出す。これほどまでダイレクトな表現方法を、私は他に知らない。

その会の終盤、ぺるともとのラップバトルのことをよく覚えている。私は家で考えてきたライムを脳内で組み立て、どう相手を説き伏せようか、残りの小節を数えていた。私はフリースタイルには幾らか自信があった。相手は初心者だ、あのライムは温存してこっちのライムを出そう、そんなことを考えながらぺるとものアンサーを聴いていた。

「お前はラップ会に来るのに、大喜利会には来ない」そんなぺるとものアンサーが今も耳に残っている。私のライムだらけのバースを無視した、全く返答になっていないラップだった。それでも観客は沸き、私は一人胸を穿つような感覚を抱いた。

当時の私はというと、大喜利からもTwitterからも距離を置いていた。たまにインターネットの旧友と、年に一度あるかないかの頻度で酒を飲む程度であった。最後に参加した大喜利は2012年11月。実に五年も公の場に姿を表していなかった。理由を挙げようと思えばいくらでも挙げられる。新生活で余裕が無い、仕事が忙しい、体調も完璧ではない。でも、それらは理由ではなく、言い訳だったのかもしれない。奥底にぽつんとあったのは、ただの「なんとなく」だった。

ぺるともに、ラップという最も本心が表れ"る"会話を通して、その「なんとなく」を見透かされた気がした。

本当にdisとして「ラップ会にだけ来んなバカ」と言ったのかもしれないし、ひょっとすると私の大喜利を見たくて言ってくれたのかもしれない。自惚れかもしれない、真意は分からない。何れにせよ、胸を打ったそのラップは、噛み締めていく内にじわじわと「嬉しい」という感情に変わった。

強く揺さぶられたのだろう。今では、週末の大喜利会に足繁く通い、大喜利の面白さを数年ぶりに実感出来ている。私を引き戻すきっかけを作ったその男は、今日もニコニコしながら大ウケをかっさらっている。いつもいつも、そんな彼の決勝戦を私は客席から見ている。

タイマン大喜利というものは、最も本心が表れ"ない"会話だと思う。

お題に対して、壇上の二人が面白いことを考える。対話にもなっていない、むしろ被りを避けるため相手の真逆に行こう行こうとする表現だ。それでも私はタイマン大喜利を会話だと思う。最も婉曲で、バカバカしくて、当人以外には伝わらない、クソみたいに効率の悪い会話だ。

私は、私とぺるともの勝負の行方がどうなるか、既に興味が無いのかもしれない。

ただただ異常な試合数を経たとしても、舞台に鎮座し続ける強靭な「大喜利力」、その勇姿をこの目に焼き付けたいだけなのかもしれない。かつての冬の鬼30人組手で目の当たりにした、あの無敵感、それをもう一度味わいたいのかもしれない。そして、私は、その伝説の端っこに居れたらいいだけなのかもしれない。

最高のエンターテインメント、その舞台装置の一部として、1/30の挑戦者として、私を大喜利に引き戻してくれた男ともう一度会話が出来るのが楽しみです。

それでは参りましょう、ぺるとも30人組み手、スタートです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!