山下ゴム男が読んだ本 -御伽草子-

読了日: 20221121
●狭義の御伽草子は室町時代から江戸時代の初めにかけて作られ、江戸時代に渋川清右衛門が板行した23篇の物語をいい、広義の御伽草子はそれに類する物語をいう。
●面白かった。
いろいろ考えさせられた。
幸福になる話、成功譚にも生きることの苦しさ、大変さは深く刻まれていて作品が作られた時代を感じた。うたてしという形容詞が多く用いられていた。
勉強にもなった。
幾つもの類型を学べた。
僕はこの手の作品を読むとき登場人物の行為の動機をよく考える。たとえばこの女性はなぜこの男性に応じたのか等だ。少なくとも背景となる当時の思想がわかった。
あきみちは現代の寝取られものに翻案されてもいいくらいのエロチックな作品だが、敵の用心深さの記述と信仰の心とがリアリティと外殻を保っている。こういうバランスは好きだ。

●放送大学の「日本文学における古典と近代」(第7回  島内裕子教授)という講座を聴いていたら、源氏物語と御伽草子の関係について言及されていて驚いた。(なお僕は放送大学の学生ではなく印刷教材も入手せず、放送時間ではなく暇なときにラジコのタイムフリー機能を利用して聴いている。)
御伽草子は源氏物語を読まないまたは読めない当時の読者層を対象として源氏物語を読むのと同じような感動を与えようとするものだ、御伽草子の作品には源氏物語の価値を新しい時代にあわせて新しく蘇らせる意図を感じられる、と講義されていたが、僕の読書力は残念なレベルらしく、御伽草子を読んでいて源氏物語を思い浮かべた瞬間はない。似ているとは思わないし、源氏物語の価値を蘇らせようとする意志も感じなかった。御伽草子は源氏物語には決してない、作られた時代の露わな残忍性を強くもっている。僕はむしろそのあたりに魅かれた。時間があれば源氏物語を、御伽草子を思い出しながらもう一度読んでみたいが、(でももし源氏物語を再読するのならそんなつまらない読み方はしたくないな…。) 僕には読みたい書物が多く、文学を研究する才覚もないので、島内先生に質問してみたい。御伽草子の作品のどんなところに、源氏物語のどんな価値を新しい時代にあわせて新しく蘇らせる意図が感じられるのでしょうか? (なお僕は、御伽草子の読者として、ここでいう源氏物語の価値が、講義中に幾度か出てきた源氏物語の特徴、人間心理のリアリティを指すとは思えないので最初から除外しています。)  もし放送大学の学生様がこの雑文を読んでいたら、僕の代わりに島内裕子先生に質問してくださらないでしょうか。山下ゴム男は島内教授の大ファンだと付け加えて。
御伽草子の作品には、残忍さの中にもののあはれが強烈に感じられた。それは源氏物語のもののあはれという価値を意識して書かれた結果なのだろうか?   何だか楽しくなってきた。

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