山下ゴム男が訪れた場所 -猪鼻城址(千葉城址)は残念系城址なのか?-
肩書きや来歴に「残念系」をつけると大抵当てはまって頭を抱える山下ゴム男です、こんにちは。
昨日(20220430)猪鼻城址(千葉城址)に行きました。
猪鼻城址はかつて鎌倉時代以来の千葉氏の城の跡だとされ、鎌倉幕府創設に多大な功績のあった中興の祖、千葉常胤との関係も様々に考えられてきました。
ところが発掘調査では鎌倉時代の城や館の跡は見つからず、13世紀の火葬骨を納めた壺が出てきたため、それ以前は墓域だと考えられるようになり、ここにあった城は戦国時代、千葉氏の有力家臣だった原氏により整備されたとする説が有力になりました。
ちょっと残念ですかね。
現在猪鼻城址には立派な四層天守の郷土博物館が建っていますが、これは模擬天守です。
模擬天守とは存在が確認できないまたは特定に至らない段階で造られた天守のことをいい、猪鼻城はその例として真っ先にあげられることもあります。まあ、鎌倉時代からの城であっても原氏の居城であっても、この天守はありえないですよ。
博物館が建てられた時の社会的な背景を考慮しても結果としてはこれも残念ですかね。
でも土塁↑は残っているし、
千葉空襲で亡くなった方の名前を刻んだ碑(上写真手前)や、なぜか原爆犠牲者慰霊碑(上写真奥)があったりして、追加される千葉空襲の犠牲者がクニちゃん(男)、馬車の下の人、隣の優しい姉さん、風呂屋一家5人などと書かれているのを見ると胸が熱くなるのです。
郷土博物館には北条氏政、氏直の非常によく似た肖像画があったり、
戦前、戦中の千葉高等女子高の制服が展示されていたりします。
残念系でないどころか、ここに来て良かった、と思える城址でした。
結局残念なのは僕だけですよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?