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ジェフ・ベック(JEFF BECK)を忍んで

ジェフ・ベックとの接近遭遇は、1975年8月の京都円山公園音楽堂「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」でした。しかし、ジェフ・ベックは出てきませんでした。体調を崩し急遽出演取りやめ。

このイベントは、故内田裕也氏が音頭を取り、海外アーティストと日本人アーティストを対等に扱い出演させるという趣旨で開催されました。冒頭、内田裕也氏が登場し、ジェフ・ベックがでられないことを告げると、会場からはブーイングの嵐です。しかし、「病気なんだからしょうがねーだろ!」と一喝されてシーンとなりました。

その鬱憤を晴らすように、それ以後の日本公演は、すべてではありませんが、せっせと参戦したものです。なかでも想い出深いのは、2009年のパシフィコ横浜での公演です。

以下、今は閉鎖したブログに「ジェフ・ベックは糸の切れた凧」と題して当時の感想が書き記してあったので再掲します。


「ジェフ・ベックは糸の切れた凧」

この人は、還暦を過ぎた今も、糸の切れた凧のような雰囲気をまき散らす人だなあ ——

コンサート終了後に最初に思ったことだった。「進化し続ける」「前人未踏」「求道者」等々、ジェフ・ベックの音楽への姿勢を表す言葉はいろいろとあるけど、僕的にジェフ・ベック(JEFF BECK)の音楽やそれに対する彼の姿勢を表現すると…
「エッジにおける対称性の破れ」
なんだろうと思う。

彼の演奏には、どっちに転ぶかわからない危なっかしさが常につきまとっており、息を殺して、生唾飲んで、身じろぎしないで聴いてしまう的なところは相変わらずだなって。昨夜の演奏でも、弾き始めたフレーズを突然やめてみたり、当然入るべきところで、入らなかったりと、気まぐれさ加減はいつも通りだった。対称性が時々破れるのね。

機材が不調で、途中からギター音に「ジーッ」というノイズがのりはじめたこともあり、余計に気まぐれ的演奏度に拍車がかかったのだろうけど。演奏中もスタッフがいろいろと復旧を試みるけど、全然治らないので、とうとう「機材が治ったらまたやるね」と言って途中で引っ込んでしまった。

緊迫した空気が弛緩してちょっとしらけちゃったのは、残念だったけど、それがために、引っ込む前にうれしいハプニングもあった。「Behind the Veil」が終わった後、「機材の調子が悪くてごめんね」と謝って、スタッフの対応を待っていたのだけど、しらけムードとベックのご機嫌ななめにマズイ!と思った(と思う)ドラムのヴィニー・カリウタが突然ビートを刻みだして、ベースのタル嬢が即座にそれに呼応した。間を埋める即興セッションの始まりだ。

それだけなら、まあどってことないけど、お楽しみはこれから。ベックが、ギターを背中にくるっと回して背負ったかと思うと、タル嬢の左に立ってネック側から腕を伸ばしてベースの低音弦を弾き始めた。それに呼応するかのようにタル嬢がハイポジションでゴリゴリてな感じでソロを取る。おおお、滅多に見れないエッジな爺さんとギャル系ベーシストの二人羽織奏法だっ!というハプニングでした。

総演奏時間は、4曲のアンコールも含めて約1時間40分程度。近年の長時間化したライブと比較すると短めだが、ベックの場合は時間は関係ない。アンコールが終わって客電が点いたときにはお腹いっぱいで十分満足だった。

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