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ここが好きだよsideM

アイドルマスターsideM7周年おめでとうございます!!!!

新アプリもリリース間近か?!といった所で、ここ最近はゲーム以外の新情報やら新展開の情報も濁流のように襲ってきてやべえですが、同僚の皆さんは息をしていますか?私は生放送の度にマジでホロホロと落涙しています。よかったねsideM………本当に何年も続くコンテンツにしていこうって運営が思ってくれていること、こんなにも嬉しい……。

そんな盛り上がり著しい今、改めて私がsideMのどういうところが好きなのかを自分なりに整理しておきたく、筆を執りました。

※なお、私は一応リリース当初からモバエムはダウンロードしてはいたものの、主には765からアイマスに入ったシンデレラのオタクなので、7年間ずっと応援してきてた、というよりは「jupiterに活躍の場ができてよかったね〜〜〜!」くらいで遠くから見ていて、たまに曲買って聞いたりライブは何回か見てみたり……をずっとぬるくやっている人間なので、ガチPの皆さんからすると「ハ?」ってなるとこもあるかと思います。ご容赦ください。何から何まで、あくまでにわかPである私個人の見解です。


アイドルと恋愛しなくていい

個人的に一番好きなとこ!!!!!!!!!いや、中には「え?!?もしかして、お前って……俺プロデューサーのこと……好き……?」ってなる台詞だったり振る舞いをするカードとかもないことはないし、もちろんそれも全然嫌じゃないんだけど、とかく基本的に「恋心」というバフなしにプレイヤーのことを信頼したり思いやったりしてくれる感じのアイドルとのコミュニケーションの塩梅が本当に心地良い。

「恋愛」という状況ってとても楽しいし普遍的にウケる娯楽だからみんな好きなのは非常によくわかるけど、そういった関係を演出するにあたってキャラクターがどう振る舞うかというと、ユーザーのこと「性別らしさ」で評価してくるし「性別らしさ」を全面に押し出した感じで接してくることになるんだよな。『頭なでなで』『壁ドン』『俺だって男なんだぞ』『私だって女の子なんだよ』……など……いや、嫌いじゃない。そういうの摂取したい時もある。ときめいちゃうときもある。ただそうした「性別らしさ」のロールプレイは時に性別以外の「らしさ」、つまり「そのキャラクター個人らしさ」を霞ませてしまうことがあると思う。私にはそれがとてもむず痒くてもどかしい。性別らしさより自分らしさを優先してくれ、と思う。その方が考察が捗る。性別という大きな括りが好きなんじゃなくてお前というキャラクターを教えてくれ…………って思っちゃうのは私がめんどくさいオタクだからという自覚なのはあります。ある。だからsideMの恋愛感情全然向けてこないけど優しい世界なところが本当に好き。

あと、sideMはそういった「恋愛を抜きにした関係性」を提供する上での根拠として「Café paradeが存在する世界である」というところが強いと思っていて!!
性別や立場や年齢などの社会的な属性「らしさ」を脇に置いて『君は(君も)ありのままでいいんだ 僕らの様に』と歌うカフェパレ。社会的な属性から離れて振る舞うことの難しさや辛さも知っている彼らが歌うからカフェパレ曲って泣けちゃうんですけど……ともかく、sideMくんのそういう「属性」よりも「個人」を尊重するという芯がユーザー対キャラクターという関係性においてもブレていないところが本当に好きで、恋愛感情の取り扱いについてもそういった解釈ができて助かる………という話です。

ゲーム内におけるユーザーの個性って「プロデューサーである」という1点のみなので、そこ以外の部分について「こうだろう」という決め付けが少ないというか、ユーザーを尊重してくれているなと感じます。愛してるよ…………。かなり広い層をユーザーとして想定していて本当に偉い。ありがとうございます。


弱さの肯定

アイマス世界における「アイドル」ひいては「トップアイドルになること」は、職業としてのアイドルというよりは「自己実現」のことを指すっぽいなと私は思っているのだけど、そうした自己実現の過程に『理由あって、アイドル!』のキャッチコピーの通り、全員に「理由」があるsideM。それは「弱さ」の肯定だと言えると思っていて、人を応援するコンテンツでこんな最高なことないんじゃない!?と思っています。

sideMのアイドルたちはみんな「理由」として様々な「社会的な失敗」や「ちょっとした欠落」を抱えている。前職での失敗、偽りの名声、社会からの排斥、コンプレックス、ドロップアウト……その内容は様々。
そうした「理由」を抱えた彼らは、全ての努力が必ずしも報われるわけでもなく、時に不幸が理不尽に降りかかってくることも知っている。自己実現の難しさや、自分の「弱さ」を知っている。

自己責任論が幅を効かせる現代社会において、そうした「弱さ」は下手をしたらそのまま死と直結する。ブラック企業に勤めて心と体を壊した人に向けられるのは、労いや同情ではなく「自己責任」という残酷な死刑宣告だ。社会は私たちに精神的にマッチョであることを常に求め続けている。「理由あって」立ち止まる人間は、置いていかれるだけなのだ。

でも、sideMのアイドルたちは、新しい道を進むことを選択して315プロにやってくる。315プロの仲間たちと、お互いの弱さを預けあって、労いあって、アイドルとして輝いていく。自分らしさを獲得していく。「理由があったからこそ」できることを示してくれる。
そんなの、人生の救いそのものじゃん……。そんなアイドルたちが「理由があったって良い」って歌ってくれたら、じゃあ立ち上がってみようかなって思えちゃうじゃん……!!!

他マスももちろん基本的にこうしたユーザーの人生への応援歌としての役割をアイドルが担っているという構造があると思うではあるけど、sideMは「理由あって」がそれをより強化しているなと感じる。

アニメ版sideMの終盤において、自暴自棄になって自分勝手な行動をとる桜庭薫に対して315プロの面々が優しく「肯定」を手渡したのも象徴的であるなと思います。あそこで表出した桜庭薫の行動って、一見攻撃的でマッチョな思想に見えるものの『自分の状況を冷静に判断できないまま目標に執着してしまっている』という「弱さ」に他ならず、そこを説教で矯正するでも、愚かだと排斥するでもなく「受け入れてフォローする」という選択をするのは、桜庭薫への信頼と愛情がなければできないことじゃないかしら。
他者の感情に必要以上に介入せずに尊重して「見守る」みたいなのって本当に難しいと思うので……。つくづく、315プロにはできた人間しかいねえのか……?と思いますね……好き……。

あとこれは蛇足かもしれないけど、そうした構造のおかげか、sideMからは「男らしさ」の負の面というか、男性への抑圧(トキシック・マスキュニリティ)からの脱却モデルとしてもかなりすごいのでは?と個人的に思っています。男だから泣くな、男は我慢、女性経験がないことは情けないこと、上下関係は絶対……などの「男性」が社会から受けている抑圧からもかなり自由になっているように見えるというか。
ある意味それは「去勢された男性」に見えるかもしれないし、実際「女性ユーザー」の存在を意識してそのように描かれているだけなのかもしれないけど、いわゆる「男らしい」紅井朱雀も、女装した男性として描かれる水嶋咲も、同等に「魅力的なアイドル」として描いていて、それでいて紅井朱雀が甘いものが好きであることと自分が目指す男らしさとが両立するということを知ったり、水嶋咲が「男か女かって、そんなに重要なのかなぁ?」と、女性らしさではなく「自分らしさ」を大切にしている旨が描かれたりと、もしかして「男性らしさ」の否定ではなく、「男性」という性別の在り方の多様さを描いているとも言えるのでは?と思うなどしています。華村翔真の口調が女性的ではあっても、性格や性的指向はいわゆる「オネエ」としてイメージされるものとは違っていて、どちらかと言えば男性性が強い、みたいなとことかも。男性のエンパワメントコンテンツと呼んでも良いのでは。


情報の出し方が下手

下手!!!!!!!(好き)
sideMのアイドルたちが魅力的であるのって、もちろんパッと見でわかる部分や表出しているキャラクター性の部分も素敵なんですけど、それ以上に「過去」とか「心の内」の描かれ方の繊細さこそが一番の魅力だと思うんですよね。例えば木村龍は「不幸体質だけど前向き!」っていうところが表層的にピックアップされていますが「消防士時代に運悪く謂れもないバッシングにあって退職した」とか「周りを不幸に巻き込むことに対して実はかなり気にしていて、自己に対する危機管理が甘くなりがち(自己犠牲的である)」とか「普通に空気読めない時がある(好き)」とか、そういうちょっと踏み込んだバックグラウンドを知るとより一層彼が喋ったり笑ったりするたびに「木村龍!!!!!!!!!!(悲鳴)」みたいな気持ちになれるので、その辺り皆さんぜひご存知でいてほしいところなんですけど、ただ、そういう情報を知ってもらうためにはモバエムに散らばっているエピソード全部読んでもらうしかないっていう……。なんならそれだけじゃ足りないこともあったりして、下手したらリメンバーショットの初出し新情報(それ以降言及なし)がキャスト出演のニコ生でしか言わないみたいなことまである。マジでなんでそんなことするの!?!とにかくキャラクターの奥行きを知るために必要な情報がわかりやすく一箇所にまとまってないんですよね……いやでもこれユーザーであるプロデューサーとアイドルとの間の「信頼」や「過ごした時間」を丁寧に描いているということと表裏一体という部分もあって、悩ましい。過去の話してくれそうな雰囲気出して本当に言わないことなどもあるけど、それはあくまでアイドルの気持ちを尊重しているという描き方でやってくるから大好きになっちゃうんだよな……。シャニマスとかも似た手法が取られている気がしているし、且つシャニはそこが一番ウケてる印象もある。長い時間愛して全てのコミュを読まないプロデューサーにはアイドルの心の深淵を除く権利がない(=プロデューサーとして認めない)みたいなストロングスタイル。怖。ガシャは悪い文明。好き。いやどちらも基本の部分はみんなが頑張れば読めるイベストなどで展開してくれるからそこまで悪徳とは思わないんだけれども。

「良さがわかるまでにかかる時間」が長ければ長いほどユーザーは「信頼を積み重ねてきたな」という錯覚を得られるので、そういう没入体験としては本当にお得。
ただ、やっぱ新規の人に勧めるときに表層だけ見て「そんな好きじゃないかも」ってなる人がいるとこもあって勿体ねーーーー!!!!!!と思ってしまう時もある。ジレンマ。好き。追うのは大変。ギーーーー!!!


男性版アイマスというスタンス

アイマスのオタクなので結局ここに尽きてしまうんですけど「女性向けアイドルマスター」ではなく「男性版アイドルマスター」である、というスタンスがとにかく一番好きなところです。ここまで書いてきたことはおそらくほぼ全てのアイマスにも言えることで、全てのアイマスは性別関係なく人気コンテンツになっていると言って良いと思うし、だからsideMも同じアイドルマスターのブランドの一つとしてそこに肩を並べていることが本当に嬉しく、好きなとこであるな〜と思っています。
非実在の彼・彼女たちのことを「作り手がいる非実在のキャラクターである」と示すのと同じくらいに、人間として彼・彼女たちを尊重して便利に使いすぎない、みたいなアイドルマスターのバランス感覚が、私にとっては本当に丁度心地よくて好き。いやまあたまにそのバランスがユーザーの求めるものとズレてインターネットにお気持ちがあふれることもあるけども。それも「ユーザー間のコミュニティ」を重視してきたアケマスの頃から積み上げてきたものの副産物で、コンテンツに対するユーザーの愛情が深い証拠だなと個人的には思います。適度に無視して適度に掬い上げてほしい。うちの346での担当のソロ曲早く出してください。シンデレラマスターを出せ。セクハラコミュを廃止しろ。かっこいいSSRをよこせ。よろしくね。オタクより。

「作り手がいる」という部分を全面に出してくれるのも本当にアイマスの好きなところで、裏方のスタッフの人たちが出て色々話をしてくれているのもめちゃめちゃ良いし、キャストである声優さんたちをキャラクターの枠に収めすぎず、あくまで「声を担当している人」として扱っているところも本当にすき。キャラクターの声が喉から出ていて実際に演じている以上、声優さんが「キャラクター」とダブって見えてしまう部分はあるけど、他の裏方の人たちが表に出ているおかげもあるのか、そのアイドルを作り上げているのは演技の力以外にもシナリオであったり、ゲームのフォーマットであったり、コンテンツの方向性を決める人であったり、そういう色々な要素があって1人の「アイドル」の像が作り上げられているんだな〜〜!というのが、アイマスでは特によくわかるようになっていて、そこが本当にすごく嬉しい。もちろん声優さんのこと「キャラクターを愛して作り上げてくれている人たちのうちの1人」として、めちゃくちゃ応援しているし、人として大好きでもあります。アイマスキャスト陣のみなさん、あんなにバラエティ対応力があるのどうして?本当に好き。私は声優さんが受けたディレクションの話を聞くのが一番好き。私たちが愛しているアイドルは、実在はしないけど、たくさんの人の心の中に確かな「実像」があるのだということがわかるから。


サイスタのリリースを待つ間、ライブも給湯室もグッズ販売もコラボも新曲発表もあって本当にプロデューサー休む暇なしで嬉しい悲鳴をあげていますが、ここまで書いてきた私の好きな「sideM」の感じがサイスタでも味わえるといいな。とっても楽しみです。期待してたのと違うのがきても、今まで好きだったのは全然変わらないと思います。楽曲を通していつも勇気をくれてありがとうsideM。これからも何卒、よろしくお願いします。

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