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【ゲームと関係ない話】大学のサークルで内部告発がありゴリゴリ犯人として疑われていた という小話

つい先日、久々に母校(大学)の近くを歩く機会があり、せっかくなので周囲をぐるっと散策しよう、と思い立った。で、実際に歩いてみると、整備されたのか何なのかわからないが、当時とどうも様子が違う。自分は大学3-4年時は車で通学しており、自分の周りの出席日数の少ない3-4年生は大学生の間で有名になっていた路駐スポットに一時間程度止めてチラッと授業出て帰る、というのが(悪い意味で)常態化していたのだが、自分は3-4年時も(1-2年でサボりまくった代償に)朝の1限から夕方まで授業がパンッパンに入っており、そんな長時間路駐リスクは負えない、ということで大学すぐ近くの、ジャリと土で地面が構成された空き地にロープ一本で区切りを入れただけの簡易な月極駐車場を借りていた。確か目の前がミニストップで、降りてから大学へ向かったり帰ってきたりの際に便が良い、ということでよく使っていた記憶もある。

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※写真はイメージです。こんな感じの空き地駐車場。

が、そんな2年間、ほぼ週5で通っていた駐車場を見つけることはできなかった。その駐車場と近くの公園では、自分が3年時のサークルで起こった内部告発周りの話の舞台に(迷惑千万ながら)なっていた程度には思い出深いスポットだったのに、といった旨のことをTwitterでちらりと書いていたら、どうにも懐かしくなったのと、もしかしたらそのうち忘れてしまうかもしれない、と思い、一度記憶が蘇ったいまのうちに書いておこう、というのが今回の話であって。正直、社会人生活の上で何度か「フリートーク」としてこのカードを断片的に使ったり、御徒町ディビジョンの各位にはチラリと話したかもしれないが、いつ話したかすらもまた曖昧なのでここで一回書いておこうというね。それだけの話であり拡散非希望まである。万が一当事者の方が「これって自分のことでは!?」と思っても心の中にそっとしまっておいてほしい、多分違うので。この物語はフィクションとしてお楽しみください。一部御徒町勢の方は、この話を踏まえての話をするかもしれないので読んでおくとなんかあるかもしれないし、ないかもしれない。そんな感じ。

1,高校の話

話は高校生時代に遡る。高校時代も色々あったが、この「内部告発の犯人にされそうになった話」で関わってくるのは主に二点、「片思いの女の子がいて振られたこと」「体育祭のサブリーダーながらほぼ何もしなかった」といったところ。強いて言えばもう一点、「ロキノンジャパン的な音楽にハマった」というところ。こう列挙していくと、高校生の大多数が経験しそうなイベントだが、振り返ればここがまず第一のポイントだった、と思えてくる。簡単に振り返っておこう。

「女の子に振られた話」、これは簡単な話で読んで字の如く。高1の後半、なんやかんやその女の子のグループと俺が属してたクラスの陰キャ寄りグループが仲良くなったりして学校終わりにカラオケとか行くようになったりした、今思えばドラマにありがちなくらい、その後に比べれば相対的に理想的な高校生活を送っていたなか、2年でクラスが分かれて徐々に縁遠くなって、業を煮やした結果ワンチャン引きに行って失敗したというだけの話で。客観視すれば他愛のないこと極まりない話だが、この結果で自分の自己認識等々が大きく歪んだり、好みのタイプに「賢さ」を入れ込むようになってしまったり、人生に対してそう真面目に取り組まない、どうせ何をやっても、と刹那的な心持ちが常に心のどこかに存在するようになってしまったりと、要は色々拗らせてしまった延長線上に今が在るのだがそれはまた別の話で。

「体育祭の話」は、高1の夏休み直前に「秋の体育祭のクラスの出しもの」的なやつのリーダーとサブリーダーを決める、という話になり、決めないと帰れないと担任が言い出したことから話が始まる。集団行動も得意でなく、言うほどリーダーシップもないうえにそんなにクラスの出し物に昔から熱意もないどころか、高校でも「全員部活に入る」という決まりのなかで、鉄の意志をもって囲碁将棋部に入ったフリをしてまで帰宅部を貫いていた自分は、その話し合いの最中「誰かがやるだろう」と本でも読んでいた気がする。が、いつまで経っても決まらない。誰も立候補しないわけだ。こんなしょうもない話、誰かが名乗り出ればもうそこは夏休みやっちゅうのにしょうもないわー、と。そして俺とほぼ同じ考えだったのが俺の後ろの席の友人で。30分近く膠着状態が続いた頃だったか、後ろの彼が俺にある提案をしてくる。

「俺がリーダーやるからお前が副リーダーやれ、それで帰ろう」
「俺やる気ないわ、帰りたいのは確かだけど」
「皆やる気ないから、お前がやる気なくても大丈夫やろ」

という話になり、それに乗る形で副リーダーになった。まあ俺は副だしそいつに任せればよかろう、と思っていた自分にとって誤算だったのは、2学期以降、その友人は半ば公休のノリで授業後はおろか、昼くらいにでも帰るようになり、その放課後の「活動時間」には全くいない、という形を取られたこと。結局彼は2年次で他校へ転入という形で去っていったので、もともと2学期以降は最低限の出席日数があれば彼にとってはよかったのだ。果たして困ったのは副リーダーの自分であり、帰宅部の自分はいつも通りしれっと授業が終われば即刻帰っていたのだが、日が経つにつれだんだんクラスの雰囲気が違ってきていた。

授業後、当然のように消えるリーダーと副リーダーに代わって、自発的に皆がなんかかんやとやるようになっていった、と友人から聞かされ、同時に我々は相当なヘイトを買っている、と。さて困った、というなかでリーダーは公休みたいな感じで消えてるので、その友人が「お前もやんごとなき要件がある」っていう言い訳して誤魔化しておくわ、的な提案を受け入れる形で丸く収めてもらったような気がする。これ今考えれば、場合によっちゃクラスぐるみで大イジメのターゲットにされてもおかしくないわけで、当時の友人には感謝してもしきれない、と今となっては思う。高校以来会ってもないけど。ともあれ、副リーダーながら何もせずに何とかなったという成功体験が一つあったというのがある。これが成功かどうかというのは判断が難しいところだが。

で、最後は音楽の話。帰宅部で学校のイベントにも参加しないとなると傾倒するのはゲームと読書と音楽、まあ今と変わらない。当時ロッキンオンジャパン的な音楽にハマり、その後も大学卒業くらいまでその熱を引っ張るのだが、この出会いもあの惨劇のトリガーの一つと言ってもいいかもしれない。

2.大学生活前半の話

色々あったのだが、自分は大学受験で一番行きたかった、それも模試でA判定以外出たことないくらい余裕レベルの第一志望の私大に落ちた。割と珍しい、そこくらいにしかない学科で、レベル的には格下、多少もったいない感まであるその私大に行きたかったので、話を通すために国公立は相当チャレンジ、ワンチャン引っかかれば超ラッキーくらいのノリで「落ちて仕方なく私大だなー」という空気にしたかったのだが、結果的にはそこも当然落ち、終わってみれば滑り止めのそこか、あるいは浪人の二択。まあ浪人は性格的にうまくいかないだろうと、その滑り止め大学に滑り込むこととなった。

なんやかんやで一人暮らし、大学生活を始めることになったのだがまず最初に決めるのが「サークル」というわけで。帰宅部をずっとやってきた自分にとって「部」はヘビーなので、もうちょい軽い「サークル」にしたい、というのがあったなか、その大学が「去年の学園祭」で某有名バンドを招聘した、というのを知り、ロキノンジャパンに傾倒していた自分は興味を惹かれ、そのサークルを覗くことにした。確か同じゼミの子と一緒に。

そのサークルは大所帯で、しばらくは周りが誰だとかわからなかったのだが、なんやかんやしているうちに気づいてしまった。「高校の頃に振られた相手も仮入部してること」に。何たる偶然、当時はもうとっくに「ストーカー」という言葉も浸透しており、これではまるで俺がストーキングしてるみたいではないか、と。なんなら一席設けて「俺は滑り止めで、あなたがこの大学にいることも知らなかったし、そもそもこんな大学に来る気もなかった」とその女性に弁明をしたいところだったが、変にアプローチをかけるのもこれまたストーカーっぽい。とりあえずは息をひそめておき、頃合いを見てそっとこのサークルから抜けよう、と算段していた。ただ、同じゼミの奴はなんか乗り気で、そのせいもあり、どうにも抜けにくい雰囲気があった。

で、そうこうしているうちに5月くらいか、仮入部から本入部みたいな話になってきたタイミングで「学園祭の模擬店」の話になった。どうやらコンサートの本格運営は2年からで、1年は模擬店を出してなんやかんやするのがしきたりらしい、と。で、この人数なら2グループの模擬店を作らなあかんと。そして決めなければいけない「模擬店のリーダー」。どういう話の経緯か忘れたが、その2グループの片方に自分も、そしてその女性も入り、そのうえリーダーを決める勝ち残りジャンケンで、あろうことか自分が大連勝をかましてリーダーとなってしまった。もうこれは最悪、なんせ頃合いを見て抜ける予定だったのに、と。これは相当バックレにくくなってしまった。

まあ結論から言えばそれでもサボり散らしたわけですが。やはりどう考えてもその女性に会うのは気まずい、集まって皆で話をしようなんてもってのほか。そう思ったら自ずとサークルに足を運ばなくなっていくのも情状酌量の余地くらいはあるのではないかと。そしてこのまま辞めようと思っていた中、夏が終わった秋あたりに呼び出される。当時の模擬店のサブリーダー的な奴とかに呼び出されて「俺も困ってる」という話になり、さすがに任せきりもかわいそうか、と思い復帰することに。まあ呼び出された話の中で「こちらのグループの人間ガンガン減ってる」という話があり、確かに夏が明けて覗いてみたら、その女性もいなくなっており、サボる理由もなくなった、というのもあるのだが。

結局サブリーダーがうまくまとめて模擬店はなんやかんやで成功、なんなら終始順調だったはずの「もう一つのグループ」より売り上げ良かった、みたいな話だったような。で、そんなグダグダグループに売り上げで負けてドン引きしたのかそっちのグループの子らは2年になる前にごっそり辞める、みたいな話だった記憶がある。まあ自分はその模擬店が終わったらまたあまりサークルに出なくなったのでそこらへんが曖昧だが。

で、2年次、この時期になると自分はCivにドはまりしており「あと1ターン」中毒で昼夜大逆転。夕方バイト前に起きてバイトで朝飯、夜まで働いてCivして朝、寝て起きて夕方、という話でサークルはおろか大学にすら足を運ばなくなる。コンサートの設営くらいは手伝ったような、それもバックレてたような。で、秋の学園祭が終わると3年生は半引退、2年生がサークルを引っ張るという話で。そこでまた呼び出される。当時のサブリーダーがなんやかんやでリーダーシップを認められ新部長になると。ただ、我々の「期」だけ人数が異様に少ない、と。だいたい1学年20人くらいいるのに、俺達だけこのままいってもマックスで10人くらいだと。そしてその原因の一端はお前の模擬店のせいだと。そこまで責められてわざわざ行こうって話にはならないのだけど、もう一つ「サークルの車も足りない」と。合宿等の移動もあるのだが、主に3年生が運転する車も足りないと。そう聞くとさすがに悪いことをしたと思い、罪滅ぼしじゃないけど、まあこれからは学校にいるときは出てもいいよ、実は単位が足りなさそうで、来年も学校たくさん来ないといけないし、という話でサークルに再々参加するようになる。

で、2年後半からサークルに参加するようになり、といっても年の半分飲み会してるだけのサークルで春先とか飲み会しかないのだけど「新年合宿」とか「追い出しコンパ」とかで結局部長以外とほぼ初対面の気まずいサークルの端っこで酒を飲んでたりしたなか、それでも3年になり、最初の大イベントが「新入生歓迎」になるわけで。交代でビラ配ったり公園で席とって花見したり店予約して飲み会したり、というあの時期で。「おめえさすがにサボらせねえぞ」と部長以下部員全員のマンマークを受ける形に近い中、ドタバタイベントをこなしている最中に、とある事件が起こる。

我がサークルは代々サイト(ホームページ)があり、当時誰が管理していたか今となっては謎なんだけど、要はそこに「掲示板」があった。たしか「新入生含む誰でも見れるし書ける交流掲示板」と「パスワードの必要な部員連絡用掲示板」みたいなの。その連絡掲示板があるから俺含め全員よくそのサイトにアクセスしていたのだけど、その「交流掲示板」のほうに、いわゆる「中傷書き込み」があったらしいと。そしてその書き込みの中身は、推理小説でよく言うところの「秘密の暴露」、つまり部員でないと知りえない内部情報を含んだ、固有名詞を含んだエグい「中傷書き込み」だったらしいと。

なぜ「らしい」なのか、それは自分も見ていないから。そんなことがあったのを知ったのは削除後の後日、部員の「仲間」たちによる尋問めいた「説明」のときにはじめて知ったからであって。

要は「このサークルはクソオブクソ!終わってる!あとあいつは後輩食いまくってるパコパコオブザイヤーや!入るのやめたほうがええで!」みたいなのがバリバリ書かれていたと、そしてその書き込みは学内PC等で午前中に書き込まれた形だったと。

ある時、サークルの日でもないのに急に部長に呼び出された俺は何の気なしに向かうとそこに部員が大集合、その上ただならぬ空気、聞いてみればそんな書き込みがあったが「お前、心当たりはないか?」と。さすがに自分も分かった。「あ、こいつら俺のこと疑ってるわ」と。自称騎士が「山岡さんのこと黒めに見てます」みたいな。そしてまあ俺も怒る前に納得する。

そら「昨年まで幽霊部員で説得されて3年から色々やらされてる元帰宅部でPC詳しい陰キャ」となれば、金田一少年の事件簿なら犯人っぽい描写の後殺されるくらい「怪しい」度マックスやと自分でも思ったりしたのだが、さすがに心当たりがなさすぎると否定し、それでもまだ疑ってたので俺は俺の忙しさを訴えた。朝からビラ配りに来て1限から1年に混ざって1年の時に落とした必修を受け、そのあと1年の時に落とした必修英語を受け、昼からは1年に混ざって体育のフリスビー、それが部室棟の近くだからサークルの同級生の奴らが冷やかしに見学してたりもしたくらいで。それが終わったらさらに選択授業でその先夕方から家庭教師のバイトやと。書き込みのある日も多分アリバイあるで、的な話をした気がする。結局確かそのアリバイ時間に、そのサークルの元部長、4年の先輩が俺と一緒に授業受けてたという証言があり助かった、みたいな話だった気がする。殆ど1年生が出ている必修英語の授業に20過ぎた仮入部先の3年生と4年生が一番後ろの席に居たらそら記憶にも残るということで1年生の証言もあったと思う。

結局その後も犯人捜し的なのを色々していたらしく、ただ、自分は上に書いたように多忙を極めていたわけで、週1のサークルの時くらいにしか進捗を聞かなかったのだが、そのうち「新1年に揉めてると思われたくない」とか言って、その話をするときは当時自分が借りていた駐車場の隣の公園に皆集まるようになっていっていた。なにが気まずいって、俺は夕方ヘトヘトになってここからバイトやと思ったところで、公園でシケた面した奴らが犯人捜ししてるわけで無視して帰ればそれはそれで怪しい、って話やから、死ぬほど興味ないけど一応話しかけてみて頃合い見て「俺バイトなんで」って抜けるしょうもなルーチンが何より気まずかったのを今も覚えている。

そして解決は唐突に訪れる。実は唐突だったのかもよく知らない、なんならアリバイ証明した上でもうっすら疑われていた感もあったから情報はかなりシャットアウトされていたし、自分も忙しくて進捗に興味もなかったしで。ただ、ある日また公園に招集が掛かって「俺は授業なので夕方にならないと行けません」とうんざりしながら返信し、みんな帰ってればいいなあと公園に行くと珍しくフルメンバーで。これまた俺に尋問か?と思って近づくと様相が違う。一人が円のなか、その周りを他メンバーが囲っている布陣。こらなんかあったなー、めんどくさそーと思ったら案の定、なんやかんやあって「犯人」がこの「陽キャ風の奴」やと発覚したと。そして本人も認めてると。俺が着くまでに話はある程度済んでて、なんなら俺待ちで再度説明あって「どうする」みたいな話に。

心底どうでもいいーーー!、なんなら俺はこいつの名前もよく知らねーーー!、と思っていたのだけど、皆気も立っていて怒ってる感が凄かったので、結局その日はバイトがなかったので色々決するまで残っておこう、と事の成り行きを見ていたような気がする。まあ、サークルの揉めごとにどうするもこうするもないわけで、損害賠償請求するわけでもなし、ごめんなさいしてサークル辞めるくらいしか落としどころねえだろ、と思いながら話を聞くふりして携帯を弄ってたような気がする。結局長々夜になるまでそんなことして、結局彼はごめんなさいしてサークルを辞めることになった。解散の時に部長が「まあ人は減ったけど頑張っていこうぜ」みたいなことを言ってた気がするが、「でもこいつら全員俺疑ってたんだよなー」と思うと面白いなーと思いながらその日は帰宅した。

まあ、ただでさえサークルのメンバーが少ない中さらに犯人も減り、その犯人の友達も辞め、さすがに部長がかわいそうだからとその後のサークルは相対的には真面目に通うようになった。毎回水曜のサークル終わりにはバーミヤンでアフターがあったのだが、その送迎も車が足りないからと水曜はバイトを空けるようになり、新歓合宿の帰り道、1年生を乗せて帰る途中であまりに会話がなくて気まずかったため、一瞬でも早く帰ろうと魔が差したのか、チラッと速度超過してたのがネズミ捕りに捕捉され、バイパスで後ろからきたパトカーに止められ違反切符を切られる一部始終を車の中で見つめるあんま仲良くない新1年生たち、という地獄を作り出したり、「そんな地獄のせいでそこにいた1年全員サークル辞めていったわ4人辞めさせてごめーん!」という”すべらない話”をそれ以降擦りまくってたのだが、最後卒業パーティで何度目かのその話になったときに「すみません!私その時居ました!」と言った後輩が出てきて困ったとか、思い出してみるとまあまあ楽しいこともあったなあと今となっては思ったりも。

あと書いていて思い出したが、その疑われていた時期の少し後、学園祭関連で企業さんとあれこれみたいな話で色々あった挙句「学園祭イベサー大学対抗ボーリング大会」みたいなのに呼ばれ、だいたい各大学3人くらいづついるなか1人で出てきた俺は端っこのレーンの「その他1人チーム合同」みたいなところにぶち込まれ、初対面の相手と気まずくボーリングをすることとなり、会話等もないため、結果的に各々がボーリングと真剣に向き合うこととなり、俺は自己ベストを、そして同じチームのぼっち達も好スコアを叩き出して、ウェイウェイ盛り上がってる他大学を尻目にスコア的にはぶっちぎり優勝をして、結果的に場をガンガンに冷やしてしまった、というのもあったなと思い出したが、まあそれは別の話という事で。

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実は、と言うまでもなく今回のエピソードのみで十分察することが出来ると思うが、自分は人間関係がうまく続かないタイプになる。卒業して数か月後の夏、「OB会」に呼ばれてその初回は参加したものの、2年目には既に異動の話が出ておりそのOB会を断って以来、彼らの誰とも会っていないし連絡もしてないしそもそも連絡先も今や知らない。その他で言えば同窓会はそもそも小中高大で一度も参加したことがない。だから、彼らがいま何をしているのかは知らない。

もしかしたら俺のことをまだストーカーだと思ってる彼女も、俺がサボったせいでサブリーダーから部長になった彼も、一時期は俺に濡れ衣を着せることに成功しそうになった彼も、俺のことを一時期疑っていた皆も、親しくもない先輩がスピード違反でパクられるという気まずい上にイジりにくい地獄を生き延びた彼女も、恐らくは今後含めてもう二度と会うことはないのだと思う。そして、それでいいのだとも思っている。どうせもし会ったところで、またあの時のような所在なさを感じ、時間が早く過ぎないかと思うだけなのだろうから。ただそれでも、そんな気まずさすらも今この瞬間、少しだけ懐かしくもある。これがいわゆる「気の迷い」というものなのかもしれない。

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