知ろうとしたことってあったっけ

私は冬と共にある。
故に冬と共に死ぬ。

そう思って生きている。

春が来て、世の中は桜だなんだと騒ぎ始める。
引きこもり窓の外もテレビさえ見ない私の元に桜の知らせがやってくる。
冬が解けて、春が来る。

冬と共に死にたかった。
私の居場所はそこにしかないから、そこだけが平穏で安寧で、それ以外は私の命を削っていくから。

冬が好き、というよりは、元はと言えば冬以外がダメだった。
春は花粉といわゆる春の陽気、人が騒がしくなり始める憂鬱さ。
夏は温度、ひたすら温度の暴力、そして近所の川から人の楽しむ叫び声、たまに香るBBQの匂い。そして虫が増える、特に蚊。それから気温と気圧の急変化、梅雨がなければ死んでいる。しかし梅雨とて蒸して好むとは言い難い。夏には体も魂までも溶かして眠るばかりになる。
秋は虫、どこからか虫が家の中に入ってくる。秋もまた花粉の気配がある。しかし冬の気配がして嫌いとも言い難い。ギリギリ、紅葉を楽しめるかもしれない。

やはり冬。
冬なら私は人間でいられる。
それでも冬は私を春に置いていく、春は夏へ秋へと移りゆく。
無慈悲に無感情に、世界が私を置いて回るように、冬もまた私を置いて去って行く、私のことなど知らぬまま私の中を通り過ぎる。

そして春、既に花粉に苦しみ、人の喜びを分かち合えず何も分からぬまま季節に置いていかれて、人が花見だ酒だと喜ぶ中で私だけが独りなんだと考える。

冬ならば、孤独は私のみならず、しかし私は雪と共にあり孤独では無い。
春は、孤独だ。
私にとって春とは、始まりの季節ではなく、終わりの季節だ、そして世間が入学や卒業、多くのように始まりに喜びと希望を持つではなく命持ち越した絶望の季節だ。
冬に置いていかれた絶望の季節だ。

桜も、正直他の花と見分けがつかない。
モチーフとしては好きだ、花としては、実は白い花というそれ以外は何も分からない。
白い梅と見分けがつかないこともある。他の花を桜と見間違うこともある。
彼岸花以外、私にとって全て同じなのだ。

ところで春には、何があるのだろう。
そういえば嫌ってばかりで、私は春の何を知るのだろう。

春の美しさを私は知らない。
春の喜びを私は知らない。
始まる絶望と、置いていかれた悲しみしか知らない。
孤独になれない絶望と、孤独にしかなれない悲しみしか知らない。

私は、春を知らない。
私は、この部屋の中しか知らない。

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