WEBライターには名乗る前に挫折した

緊張している時に、突然、話を振られるとテンパってしまうのは特性なのかもしれない。私の診断名は「発達障害・不安障害」。精神保健福祉手帳3級を持つ、立派な障害者だ。
障害者として雇用されて2社目。会社には法定雇用率を達成する要員として貢献している。

障害者雇用の賃金は低い。昔からの友人に、同じ年の娘のいる生活保護受給のシングルマザーがいるが、彼女との金欠トークはいつも最高に楽しい。

しかし私は障害者ながら娘の教育には熱心なほうで、現在国立小学校に通う娘のために、収入を上げたい。

WEBライターになろうと思った。得意分野は美容とメンタルヘルス。前者は資格、後者は人生経験を活かすつもりで最大手クラウドソーシングサイトに登録した。数千字を書いて500円をもらうことを何度か繰り返し、一年経たずに挫折した。

はじめはそれでもわたしは充実していた。7時間労働と、個人懇談だけで年6回ある小学校のこと、せっかく資格を取ったのだから化粧品の知識もブラッシュアップさせたいし、そのうえ精神科の他に、甲状腺機能低下症だの慢性蕁麻疹だので、5つの診療科に通院している。時間的にはギリギリだった。それでもわたしは未来に希望を持っていた。きっと、もっとできる、と。実際に、仕事を与えてくれた方からの評価はかなりよかった。

きっかけは、90歳になる祖母の精神病。症状的にはまぎれもなく統合失調症なのだが、高齢者の場合は老年期精神病と呼ぶらしい。
県内の田舎にひとり暮らしをしていた祖母が幻聴や幻覚を訴はじめ、いつしか包丁を持って暴れるようになった。24時間の見守りが必要になり、親族のなかで行ける者が祖母と過ごした。警備会社や警察が何度も出動したが、祖母の外面の良さに事の重大さをわかってくれることはない。祖母は時に突飛な行動をとり、地元の生協で無理やり売ってもらった空の骨壺を抱いてタクシーに乗り、片道1時間の距離のある市街地の道端にそれを置いて、同じように1時間かけて帰宅したこともあった。幻覚で見える小人たちには、しょうゆ皿に盛りつけた食事を出してもてなし、わたしたち家族にもそれを強要した。仕方ないのでわたしも見えない小人と話した。こういった内容が毎日のように、親族でのグループラインに投稿された。

私はまさに警備会社や警察と仕事をしている。職場では、誰が私を責めるなんてことはなく、むしろあたたかい言葉をかけてもらった。嬉しいけれど、申し訳なくてつらかった。

もともと好きではない親族からの、穏やかでないメッセージの通知が鳴るたびに吐き気がした。生きた心地がしなかった。
そして、クラウドソーシングで受けた発達障害の就労をテーマにした10000字の記事を納品して、サイトで仕事を請けるのをやめた。
わたしはWEBライターを名乗る前に挫折した。

今は、インスタグラムで化粧品について発信している。
自分で買ったものも多いが、最近では登録したモニターサイトからいただいたアイテムの写真を撮り、レビューしている。
1つ数千円の商品をいただけるだけでなく、1つレビューするたびに200円程度のAmazonポイントをもらえる。つまり、今流行のポイ活だ。
レビューには期限が定められており、おおよそ1か月。間に合わなかった場合は申請すれば延長できる救済措置もあるらしい。
美容系の資格が強みになるのか、スキンケアアイテムをほぼ買わなくてよい程度には商品をいただけている。
WEBライターのたまご未満より、よほど生活が潤うし、納期にも追われない。なにより美容をライフワークにすることで、健康管理が義務化する。
だって、インスタグラムで美容について発信しているような奴が、自己管理をおろそかにするなんて、不誠実じゃないか。

だからわたしはWEBライターには名乗る前に挫折した。

明日は、障害者の就職を支援する福祉事務所へ毎月の面談に行く。
福祉と繋がる障害者には、基本的に担当の支援者がつく。支援者は、コミュニケーションが苦手な我々と、就労先や通院先との意思の疎通を円滑にする役割をもつ。目の見えにくい人のための杖といったところだろうか。
私が福祉に繋がったのは、離婚直後の精神状態があまりに悪く、子どもを育てるためには障害手帳を取得し、その枠で就労するのがいいだろうというハローワークからの提案だった。障害者のなかでなら、わたしは職業を選べる立場になれた。今では正社員の立場がすぐ手の届くところにある状態。障害になったことで、生活を立て直すことができた。

しかし、私は明日が憂鬱で仕方がない。
福祉事務所の担当者をどうしても好きになれないのだ。同じくらいの年代と思われる彼女は、全国の自治体がご法度とする「知的障害者を子ども扱いする」人で、私に対しても心無い発言が散見された。
会いたくない。けれど、反発して仕事に生きづらくなることは避けたい。彼女と話すと、本業以外にライフワークを持とうが、少ない収入で子どもを受験させようが、障害者というだけで努力なんて無駄になる。そんな気持ちにさせられる。

WEBライターになりそこねた私だから、こういうとき、インターネットでどんな言葉で検索すればいいのか知っている。でも、出力されるのは、障害者の周囲に対するサポートばかりで、私たちはいつもコミュ障の悪者だ。本当にそうなのかな?支援員の失礼な発言はすべて正しいのかな?少なくとも、私が健常者なら答えは違うと思う。

そういえば、同じくらいの金欠話が盛り上がる友人も、同じ手帳を持っている。彼女もケースワーカーからの心無い発言に傷ついていた。

きっと、発信するだけの力がないだけで、同じように悩む人はいるのかなと考えた。もしそうなら、話を聞きたい。
精神保健福祉手帳を持つ私たちのすべてが間違っていて、なにを言っても他人を困らせて不快にするだけなんてことは、ないはずだ。

はじめてこの名前で呼ばれてパニックになってしまったあとに、
こんなことを考えた。





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