わたしのプロフィール

わたしは、1983年(昭和58年)に久賀高校を卒業するまで周防大島で育ちました。
進学した山口大学教育学部は教員養成系でしたので、小学校のあらゆる教科を学びました。
また、文化会という文化系サークルの団体に参加し、自分たちの自治を守り、進めるためにある時は大学本部と、ある時は中核派と闘ったことは楽しくもあり、恐ろしくもある想い出です。
在学中はフジサンケイグループの主催する土光杯全国学生弁論大会に出場、最優秀賞土光杯を受賞し、副賞の国際航空券で三か月にわたって冷戦の最終局面にあったヨーロッパとアメリカ東海岸を遊学したことは貴重な経験でした。
大学卒業のころはバブルの時代で、企業の世界を経験したくなり日本電信電話株式会社(NTT)に入社しました。
会社では法人営業を長くつとめ、東京での勤務時代には大自動車メーカーなどの外資系企業を担当し、アメリカ流のビジネスの進め方などにふれました。
また、広告代理店に出向し、コマーシャルや展示会の企画を行ったこともよい経験でした。
広島で勤務するころには週末には周防大島に帰省するようになり、周防大島郷土大学の講義などの活動に関わるようになりました。
四年前に父親が亡くなり、それを機に会社を退職し、周防大島に帰郷しました。
荒れてしまったみかん畑を直してみかんの苗を植え、柑橘農業をいまは営んでいます。
同時に地域文化活動をすすめるために周防大島地人協会を設立、これまでに坂本長利独演劇「土佐源氏」や寺尾紗穂ライブ、鼓童交流公演を主催しました。

宮本常一先生が「土佐源氏」で記した言葉
「そりゃええ百姓ちうもんは神さまのようなもんで、石ころでも自分の力で金(きん)にかえよる。」
を座右の銘にがんばっております。

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