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(鈴木清順)

 馬のいる公園は、あなたがいなくなってから、芝生のある公園のように行ったことはなくて、初めて来ることができたのだ、と思う。ここでは、あなたとフリスビーのキャッチボールのようなことを黙々とやった記憶がある。どうして、フリスビー?
 つまりはプラスチックの円盤のようなものを互いに投げて、受けて、その延々とした反復だったのだが、あなたはとても真剣で、しかしゲームをしていたのではなかったが、どちらかが投げ損じたり受け損じたりしたら負けとかいうことではなかったが、あなたはとても楽しそうでもあった。その記憶からは、その公園はもっと古ぼけていて、石畳とかが砕けてそのままで廃墟のようですらあったが、今はとてもこぎれいになっているようだった。温かな日差しのもとで家族連れがたくさん詰めかけているようで、わたしには、一人では、あなたとならともかく、入園することはできなかったが。

 芝生のある公園に行ったのは、そこにある美術館が目的だった。
 と思い出す。ただし、その美術館の何を目的にしてのことだったか。
 それは思い出せないが。そこだけではなくて、あなたとは美術館にはよく行った、映画館に行ったほどではないにしても。やはり映画館のほうが楽しかった。わたしの印象では、あなたには、鈴木清順が何よりもの衝撃だったろう。わたしもあの時、何ら特別ではない一映画館で、キャストとかスタッフとかが挨拶に来ているというわけでもないのに、一映画作品の上映後にあれだけの拍手とかスタンディングオベーションとかが起こりうるということを初めて経験した。あなたがいなくなってからは、同じ映画館で、クエンティン・タランティーノの上映後で同じことを経験したが、その時はやはり警備員の頃で、仕事帰りで、その制服のままで恥じることなく入館して鑑賞してのことだったが、そんな観客が珍しくないくらいで、それだけ観客の層が厚かったということだが、しかし、その二度だけ(言うまでもなく、タランティーノよりも清順のほうが絶対に偉大だろう)。


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