#0100 夢に向かって
要約:今日死んだけど神の意志によって生き返らせてもらったと思って自分のやりたいことをやろう。
本文:
今日死ぬと思って生きよ。
永遠に死なないと思って学べ。
とかく人間は死ぬ定めにある存在だとはわかっているものの、こと自分に限っては死なないものだと固く信じて生きている。
いやあ俺は85歳で多分死ぬよ、などと言っている人(85という数字はご自由に読み替えていただいて構わない)は、多分85歳になってもまだ今日明日では死なないと思っていること請け合いである。
なぜか?
人は、ある日突然、急に突然何の前触れもなくそれこそ見えない死神にいきなり喉を鋭利な鎌で切り付けられでもするかのように、死に直面するのである。
有無を言わすとか言わせないとかの問題ではない。
死ぬ時は一瞬である。
一瞬でこの世とおさらばである。
それが人間の一生というものである。
であるにもかかわらず、だ。
人は今日明日で死ぬとは夢にも思わず、まだまだ何となく生き続けるんだろうなあ〜っとぼんやり考えながら生きている。
その証拠に、人間は次の瞬間、俺は確実に死ぬんだと確定的には思えないのである。
なぜならば、一瞬先は闇だからである。
先など見通すことは不可能なのである。
たとえ、それはこれからビルの屋上から飛び立とうとしている人に至っても、同じである。
なぜそこまで言い切れるのか?
それは現代に至ってもなお、どの瞬間に本当にこの人は死んだのか、判定はできないからだ。
他者でさえも、その人が生きているか死んでいるかわからないのに、どうしてその張本人が、自分が生きているか死んでいるか判断できると言えるだろう。
これ以上やると禅問答チックになってしまうので、この辺で切り上げよう。
百歩譲って、人間、永遠に生きると思って生きてて、何が悪いんだよ!!とあなたは思われるかも知れない。
まあ、これはマインドの問題なのである。
じゃあ俺は今日死ぬから貯金なんてなくていいや。
好きなもん腹一杯食って死のう、と焼肉屋に出かけている場合じゃない。
永遠に生きるかのように健康に気を配れ、という標語を思いついたので追加しておこう。
健康はとにかく人間にとって一番大事なのだ。
糖尿病で随分人生損をされている御仁を、幾度となく見てきたので実感を込めて言える。
防げる病気は何としてでも防げ、と。
別に病気で苦しむために生まれてきたんじゃなかろう。
この世に生まれたからには、何か成し遂げたいことがあるだろう。
本当にやりたいことがある人にとっては、とてもとても、100年前後しか体が持たない人間の一生なんてあっという間に終わってしまうものなのだ。
そう、健康は大事。これは譲れない。健康のためなら死んでもいいというくらい、大事。
(^^;)/ここ微妙に笑うところ・・・
学びについても同様である。
俺は今日死ぬから勉強なんて無意味だ!
・・・と、パッパラパーで生きるのもまあ、悪くはないが、何でもいいから学ぼうよ、というわけである。
義務教育を卒業したら、あとは自分で好きなことを好きなだけ学んでいいのだ。
いや別に、義務教育中だからといって好きなことを学んではならないと取られても困る。
脳は学べるように作られている。だから学ばにゃ損ではないか。
脳も筋肉と同じように、使えば使うほど鍛えられる。
まあ、健康や学びの大切さについてはこれくらい述べれば伝わったのではないかと思う。
問題は、やはり死についてだ。
今日死ぬとして、どう生きるのか?
具体的には、本日の午後11時59分59秒に達した時計の秒針がカチッと動いた次の瞬間、あなたの意識は無くなるのだとする。
その時間には最初から意識がない方がいいから、先に寝ちゃいます、とかいらない。そんなトンチ小僧のような回答は期待していない。
まあ、早寝は健康に大事だから否定はしないが、どんなに健康に気をつけていたとしても、死んだらそこで試合終了なのですぞ。
でもまあそう考えたら、今日という1日を過ごす意識が、いつもとは違って感じるのではないだろうか?
締め切り効果、というものがあるらしい。
締め切りを設定されると、それに間に合わせるために必死に動けるというのがまず一点。
もう一つが、締め切りギリギリまで時間を使っていいや、と思ってしまう効果である。
つまり、あと17時間もあるからまだいいや、的な気楽な発想である。そういう人には、もっと焦ってもらった方がいいかも知れない。
あなたは常に、30分後に死ぬのだ、と思ったらよい。
この30という数字は適当に変えてもらって構わない。
あなたが今、そういう状態にあるとして、この人生で思い残したことは何か?
まあ多分、色々あるはずである。
あれをやってみたかった。
そういうのが一つでも浮かんだあなたはラッキーである。
今からそれを、やっていいんだよ。
だってあなたは、あと30分で死ぬんだから!!
いや、何を極論を言っているんだとお怒りのそこのあなた。
実際、そうやって意識した方がいいのである。
30分後に死ぬ。
そう思っていた私が、それからも生きている。
これは奇跡ではないか!?
キリストの復活くらいの奇跡ではないか!!?
そう、あなたは死んだのである。たった今。死神に首を斬られて。
ところが神が、「まだお前は死ぬ時ではない。だから生きさせてやろう」と、時間を戻して死神を止めて下さったのである。
妄想でもいい。そう考えるのである。
実際、そうかも知れない。
車を運転すれば事故って死ぬかも知れないし、道路を歩いていたら車に轢かれるかも知れない。
別に不思議なことはない。私はいつでもどこでも死ぬ存在である。
それが、生きているのである。この38年間!!
この38という数字は適当に変えてもらって構わない。
神に生かされているのである!!
奇跡ではないか?
しかも、一旦死んだ私という命が、わざわざ時間を戻してまで神によって復活されたのだ!!
この上何を迷うことがあるだろうか!?
何でもできるじゃないか!!
神の意志は、わからない。
わからないものは、どう考えたってわからない。
だから、あなたが今、一番やりたいことを、やりたいように、やれ。
それが神の意志だ。
だって、わからないもんは、自分で設定しちゃえばいいじゃん。
神がああしろこうしろと言っているなら、私にわかるように教えてくれるはずでしょう?
それが何もないってことはつまり、お前は自由に生きていいんだってこと。
お前がそこの会社に勤めているのは、神の意志か?
そうでなく、自分でも辞めたいと思っているなら、辞めちゃえよ。
人間如きの言うことなんて、気にするだけムダだぜ。
何せ神に生かされている私なのだから、人間風情のたわごとなんて相手にしなくていいよ。
あなたのやりたいことってのは、法律には違反しないことだろう?
だったらやっていいんだよ!!やろう!!
さすがに、違法行為をやっちゃうとお巡りさんが来て拿捕されちゃうからやめときなって。
私のやりたいことは、憲法でも保障されているし、民法でも規定されている。
つまり職業選択の自由と退職だ。
そして私のやりたい農業で人々に食べる喜びを味わってもらい、山の静かなログハウスでゆっくりと日頃の疲れを癒やしていただく!!
なかなか、素晴らしい夢じゃないか。
何も遠慮する必要はないよ。
恥ずかしがる必要もないし、人と比べる必要もない。
誰かに迷惑をかけたっていいし、誰かに嫌われたっていい。
だって、何をするにもそれは避けては通れないだろ?
この山本星海さんのように、自分のやりたいことを語ってごらん。
そして、今から始めよう。
夢に向かって。
初稿220120
投稿220120
カウントダウン
連続ブログ更新記録91日達成!(2021.10.22~2022.1.20)
退職まであと71日!!(退職日2022.3.31)
Xデー(退職表明日)まであと26日!!(Xデー2022.2.15)
今日のひとこと
子供を独り立ちさせるのが親の役目とは思わないか。
この記事は、ブログ「やまとも!」から転載したものです。
◆◆◆フッター◆◆◆
山本星海のツイッターはこちら
https://twitter.com/yamamotoseikai
山本星海のフェイスブックはこちら
https://www.facebook.com/seikai.yamamoto
サポートまでしていただけるとは!!感謝の念しかありません!いただいたお金は、文筆活動費として有効に使わせていただきます。