Behind the Doors #0

 ざっくりと書いていこう。

 色々とあって、ぼくは写真家・山谷佑介とヨーロッパを旅をした。
 香港経由の飛行機でロンドンへ飛び、そこで車とドラムセットをピックアップして。それからは、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ポーランド、チェコ、オーストリア、スイス、という10ヶ国を2人で駆け抜けた。
 何も考えずに1ヶ月のヨーロッパツアーに同行したが、その旅路は帰国してから振り返ってみると、とにかく過酷な旅であった。鈴木大拙の「人生は畢竟、未知から未知への旅である」という言葉に感銘を受けて、自身も「判断に迷えば自分史を書いて面白くなる方を選ぶ」と心がけてきたが、この旅がそれらの実践であったことは間違いない。過去に日記というほどのものが長く続いた試しはなく、自分史というものを書くつもりは毛頭なかったのだが、この旅くらいは何か文章に残しておくべきだろう。この1ヶ月というのは、怠惰が服を着て歩いているような自分に、それを決意させるものであった。
 そんなこんなで、旅の記憶について、写真整理などしながら文章化して記録に変えていこうと思う。タイトルは、単純に「Doors」をやっているアーティストの後ろで、エンジニアリングをしていた自分の視点を表題に据えようと考えたものだ。しかし、これが英語として正しいかは分からない。なんとなく想定と異なる意味合いを持っているように感じているが、それも含めて良いのかもしれない。この旅はそういう諦めの向う側にある強烈な前進欲求に突き動かされるものであったから、間違ってはいないだろう。生きていれば、もう正解なんだ。そのくらいの気分が、まだ残っているのだ。

 ちなみに、今さらになって旅の記述を試みることについて、言い訳も並べておこう。第0回というのは、そういうことが許される場であるはずだ。旅の道中でも、帰国してからも、「日記は書いていないのか?」とよく聞かれた。ぼくは書かなかったし、おそらく書けなかった、と思う。純粋な記録としてなら日記の即時性は価値を持つかもしれないが、第三者の読み物にしようとするなら、おそらく今が最適だ。1ヶ月の旅なのだ。とても言葉に表せないような剥き出しの感情というのも生じる。帰国して落ち着いた今でなければ、きっと自分以外が読める文章にはならなかった。かつて、なにかの講演会で料理人が、「魚は新鮮なものが旨いと言うけれど、本当は少し寝かせたものが旨い」と言っていた。たぶん、それと同じことが文筆にも言えるだろう。この段落は、思いついて気持ちよくなったので、書かずにはいられなかった。人に読ませる文章としては贅肉のようなものになるだろう。でも、今回の旅の記録に関しては、自分の内心の面倒くさい迂回する思考についても書き表していきたい。だから、これも洗練されないながらに良い要素なのだ、と自分に言い聞かせたい。

 この文章は、渋谷のタリーズで書いているが、友人と飲みの約束があるのでもう出なければならない。本当であれば、写真家・山谷佑介との出会いについて、Doorsが如何にして始まったのかについて、どのような経緯でヨーロッパツアーへの動向を決めたのか、などについて書くつもりであったが、それらはまたの機会にしたい。もう、読み返したりせずに公開とする。