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Behind the Doors #1

 そもそもDoorsとは何か。

 アーティスト自身による作品の概説については、おそらくヨーロッパツアーに向けたKickstarter(こちら)の内容を見ていただくのが適切だろう。私が知る限り、これが山谷佑介氏による最新の説明だ。

 本記事では、Doorsというパフォーマンスについて、その成り立ちを概説しようと思う。それこそが、私がどうしてヨーロッパを旅することになったのか、という問いの答えになるだろう。

 さて、私が山谷氏と知り合った状況について書こうとすれば、2017年10月21日の偶然まで遡ることになる。当時、私はまだ金沢に住んでいて、東京へは会社の出張で来ていた。そして、たまたま東京でデザインチームをやっている友人たちの撮影日に居合わせることになり、その場の流れにより撮影に同行したのだった。そのときにカメラマンをしていたのが、山谷氏であった。このとき、私は山谷氏が何者かほとんど知らなかった。

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 撮影のあと、私たちは代田橋にある喫茶店で色々と話をしたのだが、最初に山谷氏からDoorsのアイデアを聞いたのもこのときだった。話題が山谷氏の次の作品に関するものに移り、山谷氏から「ドラムを叩きながらセルフポートレートを撮って、それを会場にいる人たちに見せたい」というざっくりした構想を聞いた。それから、山谷氏が「今はエンジニアを探している」と話したとき、友人の一人が「こいつ、なんでもできますよ」と私を雑に紹介した。このとき、私は一通りの話を聞いてから、おそらく「できますよ」みたいに答えたのだろう。そのあと、少し間が空いて、私は2017年12月12日にシステム構成案と試作の動画を山谷氏に送っていた。
 たぶん、このあたりでパフォーマンスの実現に関わっていくことが、決定したような気がしている。

 その後は色々とゆるくやりとりを続けていたのだが。実際にドラムとストロボが連動する様子を目撃したのは、2018年3月4日だった。明大前のスタジオで山谷氏に「パンクってなんですか?」と質問したのを覚えている。このときに「せっかくの暗闇なのに、スクリーンは邪魔になりそう。プリンタくらいアナログな方法が良いのでは?」という話をして、ほとんど最終形に近い構成が見えるようになった。そこからの展開は早かった。

 気がつけば、2018年4月13日、京都国際写真展(KG+)の設営の日。会場には、どうやって集まったのかよく分からない顔ぶれの若者たちが居て、人見知りの私はいつもどおり緊張していた。ちなみに、設営を始めた時点では、理屈の上では実現可能であるらしいことを確認しながら、それらを実際に確かめたことは無いような状態だった。エンジニア的に言うなら、単体テストはしたけれど、結合テストと負荷テストはしないまま納品するような感じだ。後のヨーロッパツアーでも痛感するが、このパフォーマンスは設置に広い空間が必要で、テストやメンテナンスが非常にやりづらい。だから、当日はお祈りしながら現場入りして、事前に想定した対応表に従いながら組み立て、問題があれば現場で実装するようなやり方をしていた。

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 そんなこんなで、2018年4月14日に最初のパフォーマンスが披露された。暗闇で、ドラムを叩いて、ストロボを炊いて、写真を撮り、印刷する。非常にシンプルでありながら、アナログ故に信じられないほど手間がかかる、そんなパフォーマンスだった。物言わぬ旧式プリンタや寄せ集めの不揃いな機材との闘争だった。常にぶっつけ本番であり、自らの心臓の材質を確かめるような仕事だった。

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 このときの私はヨーロッパなんて微塵も想像しなかったけれど、これが私をヨーロッパに旅立たせることになる、Doorsの始まりだった。
 (このときは、The doorsだったけど……)