「日本が自滅する日」石井紘基 著 要点引用

「平成13年度末で、わが国の長期・短期の借金総額は1066兆円超となる。
約1400兆円の個人金融資産があるのではないか、とする見方もあるが、これは国のものでなく国民のものである。しかも、この数字には、国民が将来受けるはずの社会保険給付分なども含まれている。さらに住宅ローンなどの負債もあるのだから、実質的な個人金融資産はこの半分程度しかないのである。

わが国の財政が想像を超える恐るべき事態に直面していることは、国債の状況を見ればさらに明らかである。平成12年度に返済しなければならなかった『国債償還額』は57兆7579億円で、じつに、当年度の税収入を10兆円も上回っている。
なぜ収入以上の借金返済をクリアできるのかといえば、借金返済のための借金に併せて返済繰り延べのための借金操作もしているからにほかならない。
57兆7579億円の国債償還額のうち、53兆2697億円は借換債の発行によって返済が先送りされているのである。それに上乗せして新たな国債発行による借金の積み増しも行わている。政府は、34兆5980億円の新規国債発行を行った。
一方、国債整理基金特別会計に入れられた国債費は21兆9653億円。このうち9兆9000億余円が償還に、10兆余円が利払いに、残りが手数料などにあてられた。一日当たりの利息等は300億円超となる。借金返済のための借金、そして新たな借金である。
ところが、『借金のための借金』のほうは特別会計という襖の奥で操作され、目立たないようになっている。

日本政府の国債発行残高は、世界に類例を見ない440兆円(平成13年度末)という巨額に達している。しかもその過半は発行者である政府自身の関係機関が所有しているという恐るべき実態だ。
わが国の、洪水のように溢れ出した国債は、定まらない構造改革によって、日本列島を倒壊の危機にさらしている。国債の暴落ももはや一触即発の段階に入ったといってよい。国債の暴落によって長期金利が急上昇すれば、市場が失われた管制経済国家日本は、ひとたまりもなく経済恐慌に直面してしまう。この日本崩落を防ぐ道は、意を決した、正しい構造改革、すなわち市場経済革命しかないのだ。

ご承知のように、予算委員会ではもっぱら政策論議やスキャンダル追及が主で、予算そのものについての具体的な議論は少ない。
根本はわが国の財政制度に問題があるのだ。わが国の財政制度は行政権力による事業展開の体系として各省庁が所管する『特別会計』を軸に構成される。その中で歳出については大半が『補助金』であり、それは行政権限による配分の形できめられる。
年間予算260兆円のうち『一般予算』として提出されるのは80兆円余であり、それも大半は『特別会計』に繰り入れられ、省庁による個所付けに付されるため、予算は事実上、決して憲法の定めるように国会で決められているとはいえないのである。
国会で決めるのは単に抽象的な『予算』に過ぎない。『予算』支出の中身は省庁『官僚』が与党の指示や族議員の意向などを考慮して決めるのである。
しかし、『一般会計』はまさに、大本営発表以外の何ものでもなく、実際に国の会計とはまったく異なるものである。
このようなカモフラージュされた『一般会計』を重要な予算として示すのは国民に対する欺瞞であるし、これを真に受ける議員も議員である。
このように、わが国では予算の実態がわからない仕組みであることが、予算委員会をはじめとする国会の議論で予算審議が空回りしている原因の一つである。

中央銀行の国債引き受けというのは、どの国でも戦時経済で行われたパターンであった。戦費調達のため、国は国債を発行する。それを買うのは中央銀行である。こういうことになれば、政府予算は制約がなくなり、糸の切れたタコのように財政の節度が失われ、円の価値が下落する。中央銀行は無限に紙幣を印刷、発行する。すさまじいインフレになり、経済は壊滅状態に陥る。
財政法により国債の日銀引き受けは禁止されたのだ。
そのため、抜け道としてとられた手段は、いったん市中銀行を通して買うという手法だった。この方法は今でも続けられ、政府のたれ流し財政に貢献している。

長期金利、公定歩合とも5%前後という普通の経済環境に戻ることさえできない体質になってしまったのである。民間経済の活力が死んでしまった。これこそ、とどのつまりーー官制経済ご臨終の姿である。

わが国は政府のマネーが大きすぎ、市場が著しく縮められ、資本の拡大再生産機能が働かなくなっているのだ。
政府に関連したおカネにかかわる部分が異常に大きく、市場経済活動の成果は極めて小さい。

市場経済にとってもう一つ恐ろしいことは、わが国ではGDPに近い額の郵貯・簡保・年金の積立金が政府資金として運用されており、しかも、この内200兆円を超える巨額の資金が債権や株式など有価証券市場に投入されていることである。
そもそも資本主義経済の動脈ともいうべき内外の金融市場に対して大量の政府資金を動員することは、自由・自然な生きた市場を攪乱する。

国家予算の『支出』は、その大部分が補助金および公共事業費として実行される。この方法こそ政官癒着の利権構造の財政的制度的温床であり、国民の税金を地下水脈から政治へ還流させる仕組みそのものである。だから、公共事業や補助金を受け取った先から上前をはね、かすめ取ってくる政治家が多い、その金は権力になり、権力は金になる。『権力は金力なり。金力は権力なり』である。
鶏が先か卵が先か。古くから大物と言われる政治家は通常、地位を用いて大金を作り大臣になり、さらなる巨満の金を作り派閥を作る。そして、与党の中枢に座り、もっと大きな予算を動かすようになるのである。いま現在もそういう議員が何人かおり、『将来の首相候補』と取りざたされている。

私は、補助金と公共事業という制度が、いかに政治のために利用されているかを示すため、自民党総務局長だったS代議士について調査させていただき、国会で追及した。私が平成12年8月8日、衆議院決算行政監視委員会で公表した内容は以下の通りである。
S氏が北海道開発庁長官をしていた平成9年と10年、彼の政治資金収支報告書に基づき集計すると、それぞれ1400社ほどの企業から約2億1000万円、2億6000万円、2年間の合計で約4億7000万円の企業献金を受けている(自主的に申告したもののみ)。これら献金している企業は、ほとんどすべてが官公庁から工事を請けることを業としている。
このうち、S氏が直接予算配分および工事契約の権限を持つ北海道開発庁の工事を請け負った企業数と献金額は、平成9年が275社で6484万円、平成10年が400社で8945万円。合わせて延べ675社(実数442社)、1億5429万円である。企業数も金額も長官に就任した平成9年より翌年のほうが大幅に増加している。
この調査結果は何を意味しているのか。北海庁開発庁を通して発注される年間の公共事業予算1兆円余りのうち、2年間で少なくとも1億5429万円がS氏に還流したということである。
こうした誰が見ても贈収賄であることが日本ではまかり通っている。
受注企業側は『仕事が欲しい』『来年も仕事を切られたくない』『意地悪をされたくない』などの理由で献金する。他方、受け取る政治家の方も、自分の職務上の権限に相手が期待して献金することを当然意識している。あるいは、職務上の権限を相手企業に期待させて献金を求めるはずである。これは国民にたいする背信行為ではないか。平成11年、不況が深まるなかでS氏への企業献金は3億5000万円を超えた。
わが国の制度では、こうした行為は司法の場において立件することがなかなかむずかしい。当事者間で極秘裏に行われる。『請託』に対する具体的な証拠がなければ立件されないのが通例であり、このため、こうした事実上の贈収賄がまかり通っているのである。
S氏の場合、北海道上川支庁管内の大がかりな『官製談合』事件で、公正取引委員会が摘発し排除勧告した企業42社からも政治献金を受けている。弱い立場に置かれている企業だけが指弾され、政治家や行政は責任を問われない日本のシステムの下に、税金が止めどなく政治に還流し続けているのである。
【1997年(平成9年)9月11日 - 1998年(平成10年)7月30日 北海道開発庁長官 鈴木宗男 第2次橋本内閣】

横浜国立大学の花田頼明名誉教授は、わが国の権力による経済支配の手法について『日本の場合には許可制や免許制を取り、これらを通じて行政が関連企業を自分の世界に抱き込んで、一方では命令や行政指導を通じて規制しながら、他方では抱き込んでいる企業や業界を育成し保護していくというやり方を取っている』と指摘している。彼はこれをアメリカと対比して『アメリカではもともと規制はなく自由放任主義的に競争させることから出発しています』自由競争の弊害に対しては『独立行政委員会をつくって、そこで審判という方法で行き過ぎを是正し・・抑えていくというやり方をとっている』と説明している。
つまり、アメリカでは、まず、市場があって、その上でルールが作られるが、日本では逆だというのだ。

憲法86条は税金の使い途について厳しい態度をとっている。すなわち『内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない』
『予見し難しい予算の不足に充てるため、国会の議決に基づいて予備員を設け、内閣の責任でこれを支出することができる』と規定している。
つまり、憲法は、国の会計は各会計年度ごとに完結するもので、かつ年度当初に金額が予定できなければならないことを定めているのである。
裏を返せば、この国の経済活動の担い手は民間であり、経済、すなわち、市場の活動に行政が立ち入ることを予定していない。今日のわが国の財政運営は明らかに憲法違反の疑いがある。行政が民間事業に補助金を出したり、公共事業と称してビジネスに手を出したりすれば、市場の資源が経済活動から行政事務のものとなり、たちまち経済を壊し、市場を狭め、負担を増やす結果を招く。
事実、行政がやっている年間数百兆円のビジネスの中で、どの事業・業種をとってみても採算の合っているものはない。子会社・孫会社は座っているだけでお金が入ってくるが、国から見れば際限のない借金の山が築かれるいるのだ。

衆議院議員になって二年目の平成6年、あることがキッカケで、私は特殊法人を片っ端から調べてみた。
調べていくうちに政府系の公益法人やファミリー企業、それらを支える財政の仕組みなどから、これまで誰にも発見されなかった『もう一つの世界』の実態が次々に見えてきた。『もう一つの世界』は巨大な権益の世界だった。
権力の壁に遮られて存在していた数々の事実は、国の実体を特徴づける基本的で重要な事柄に思えた。本当の日本国は国民の目の届かない所でつくられ進んでいたのだ。私は、地球が回っているのではなく、太陽が回っていることを発見した思いだった。
1980年代後期からの、わが国の経済政策はことごとくダメだ。雇用対策、金融政策、需要政策・・。百数十兆円の景気対策も、暖簾に腕おしだった。国会議員としての役割りも、このままでは務まらない。
この事態は、単なる経済政策の失敗というような次元の問題ではない。経済学者、経済評論家も分析不可能な、経済の次元を超えた問題だ。げんに彼らの評論や予測はとんと当たらない。したがって、当然、『専門家』や『官僚』に依存してきた政府の施策が的を射るわけがない。

住都公団のファミリー企業発注問題の実態を国会でとりあげ、新聞も報道した。平成6年10月26日だった。それまではよいことしか語られず、もてはやされてきた特殊法人の実態が国会ではじめて追及されたのである。その後、私は、他の91の特殊法人についても片っ端からそれらの子会社、孫会社、天下り、放漫経営などを調べあげた。公益法人も調査した。
規模の大小はあるが、各省庁ごとに権益となって、全国ネット、同族会社など民間の大企業と同じような系列形態になっていることがわかってきたのである。これには、また、国会議員の利権の縄張りもからんでいることが政治資金関係の調査でわかった。この姿は、間違いなく『政策』と『金』と『法』によって確立された日本国のシステムなのである。
この国は、法そのものが正義を失い、舵取りの利かない状態に陥っている。『人のものを取ってはいけない』『公のものを私してはいけない』という基本法の掟が各省庁所管の法律によって『人のものは自分のもの』『公のものは私のもの』となっているのである。
法が法を犯すとき、国は末期を迎え、やがて亡んでしまう。今こそ、権益に組み込まれていない圧倒的多数の国民の手によって、既存の体制を覆し、国民のための新しい体制を作らなければならない。これは革命である。」

あとがきの最後 平成13年(2001年)12月 石井紘基 とあり、翌年平成14年(2002年)10月刺殺された。

以上

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